YouTube ゆっくり民話 解説の中の人 (RN:黒猫チョビ

Youtubeチャンネル ゆっくり民話解説 の中の人です 動画内で出てきた概念や項目の…

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Youtubeチャンネル ゆっくり民話解説 の中の人です 動画内で出てきた概念や項目の詳細な内容。また、収集したけど使わなかったものを 書き記していこうかと思っています。 今後動画作成に使う可能性のある書籍や理論などのメモ代わりに

最近の記事

鬼婆はいるのに、なぜ鬼爺はいないのか?Part4 (善悪の両義性)

イントロダクション前回、鬼婆と呼ばれていたモノ達の大まかな輪郭が見えてきた。 これからどういうアプローチでこの話を進めていくかというと、昔ばなしの中に見える鬼婆と類似した「山姥」との比較をしたい。と、おもうのだが、それよりもさきにやらなくてはいけないことがある。 山姥・鬼婆・魔女山姥と鬼婆は、昔ばなしの中にとてもよく出てくるキャラクターである。 しかも、どちらもその特徴は似ているように感じられる。 しかし、この両者はあまりにも性質が似すぎているために、具体的な違いの判別がし

    • 鬼婆はいるのに、なぜ鬼爺はいないのか? Part3

      イントロダクション早いもので三回目となるシリーズだが、ここでの考察を元に動画作成作っていく予定なので、僕の動画の原稿がどのように作られていくかの一端を覗けるとおもっていただければ幸いである。 さて、前回までのところで、どうやら鬼〇〇というのは、それを具体的に表す場合と、比喩表現としてそれを使うことの二つがあることが見えてきた。 今回はその比喩表現としての「鬼婆」についてみていきたいと思う。そう、なぜなら、比喩表現の「鬼爺」の具体的な使用用途がみつからなかったのである。 しか

      • 鬼婆はいるのに、なぜ鬼爺はいないのか? Part2

        イントロダクション前回「鬼婆」という言葉は耳にするのに「鬼爺」という言葉は耳にしない。 それはなぜなのか?ということについて問題提起させていただきました。 その後いくつか調べてみてわかったことがあるので、今回はそれを簡単にまとめていきたいとおもう。 鬼爺という語彙はある前回「鬼婆」と「鬼爺」という言葉を、現代日本書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)を使って使用例をチェックしてみた。 すると、鬼婆は一定の使用例があるのに対し、鬼爺は全くと言っていいほど見当たらなかった。 それで

        • 鬼婆はいるのに、なぜ鬼爺はいないのか? Part1

          イントロダクション昨日、「本当は恐ろしいグリム童話」にまつわる白雪姫シリーズの動画完結編を、無事にアップすることができた。 サムネイルをどうするか悩んだが、結局こうなった インパクト重視のサムネというのはあまり好みではないが、ただ、このシリーズを始めるにあたっての一番の理由 「白雪姫の王子って死体愛好家なんでしょ?」 っていう話からスタートしているわけだから、ここはしっかりとそれをアピールしようとおもったら、こうなった ここ最近はボチボチと再生される(ドカーーーンということ

        鬼婆はいるのに、なぜ鬼爺はいないのか?Part4 (善悪の両義性)

          白雪姫の「毒リンゴ」とはいったいなんなのか?

          イントロダクション(2024/5/13 一部変更 新しい動画の編集作業に没頭していたら、すっかりノートを書くのを忘れてしまっていた…… しかし、動画を編集・推敲していると「あれ?これってどういうことだろう?」とか「これって、どこかでみたような?」というような発見を度々することがある。 今回も「あれ?これって?」って思ったことがあり、編集作業に疲れたら、そちらについての考察をして息抜きをしている。 今から書くことは、ハッキリとした裏付けがある箇所もあるが、まったくない部分もあ

          白雪姫の「毒リンゴ」とはいったいなんなのか?

          グリム童話は、本当に恐ろしいのか?

          イントロダクションこれまで掲載してきたものを見ていただければ「こいつ、本当に昔ばなし好きなんだな」と、感じ取っていただけるかと思いますが、こうした話。何かの集まりで初対面の人と「どんなことしてますか?」「趣味ってなんですか?」みたいなやり取りで触れると 「昔ばなしの研究とかしてるんですね!!昔ばなしって本当は怖いんでしょ?ほら、白雪姫ってお父さんと肉体関係を持っていたりとか、王子様って、実は、死体愛好家(ネクロフィリア)だって書いた本もあったじゃない?日本の昔ばなしも、すっ

          日常世界にも、他界は意外とすぐ近くにある

          イントロダクションこれまでは、ただでさえ昔ばなしというニッチなジャンルを取り扱っているというのに、ニッチofニッチな「発端句」「結末句」について紹介させていただいた。 しかし、どんな物語でもそうだが、冒頭の書き出しや言い出し方というのは重要である。それこそ書店でタイトルに目を惹かれ、手に取り、そしてページを捲り、目に飛び込んできたたった数行で「あ、つまんなさそう」となるか「これは、良本かもしれない」となるかは、まさに発端句のおかげだといえよう。 その大事な一番最初の掴みが昔ば

          日常世界にも、他界は意外とすぐ近くにある

          現実と昔ばなしとの境界線(一次元性について)

          イントロダクション発端句から始まり、2つの結末句についてこれまで紹介してきた。 一つは「むかしむかしあるところに」という発端句の悠久の時限性を、ある一定の位置に収束させる。という効果があった。 もう一つは「むかしむかしあるところに」という物語の信憑性を強調させる効果があると考えられる。 実は、結末句はこれだけではなく、もう一つ重要な役目を果たすものがある。今回はそれについての解説をしたいとおもう。 一次元性さて、3つ目の結末句を解説するにあたって、先に、とある発端句について

          現実と昔ばなしとの境界線(一次元性について)

          「さるかに合戦」の現実的信憑性

          イントロダクション前回、2つの「結末句」を皆さんに提示、その一つの構造について解説させていただきました。 今回から初めて見ていただいているかたもいると思うので、簡単にどういう話だったかを記していくことにしたい。 まず「結末句」とはどういうものかを説明すると、日本には手紙を書くときのルールとして「拝啓」で書き始めたら「敬具」で終わるというルールがある。つまり「敬具」にあたるものが結末句である。一方「拝啓」にあたるものを発端句という。 多くの場合、昔ばなしの発端句は「むかしむか

          昔ばなしの時限性

          イントロダクション前回、昔ばなしの始まりの言葉「発端句」について、少しお話させていただきました。 この回から一読された方もいらっしゃると思うので、簡単に発端句とはなにか?を説明しますと、一言にいえば、周知の事実ではありますが、「むかしむかしあるところに」が、発端句となります。 「発端句なんて仰々しい書き方をしやがって。なんてことはない「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました」のことかよ。」 そうおっしゃられたら、僕はぐうの音も出ません(グゥ~ ですが

          学問として昔ばなしを研究するもの

          僕が、どういうことをしている人物かどうかを説明することは、簡単にできるとおもうが、では、なぜそれを好み、そして研究しているのか?については、これから書き記すことを読んでいただく方が早いかとおもう 「むかしむかし、あるところに」で始まるのが昔ばなしである。 これを耳にした聴き手、あるいは目にした読者は、直感的に「お爺さんと、お婆さんが住んでいたんだな。」と思い浮かべてしまうほど、この「むかしむかし、あるところに」というワードは人々の心の中に根付いている。 しかし、この法則を