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#87アイロン瞑想。

(もしかして、この時間が一番、わたしの頭の中は整っているかもしれない)

それは週に一度か二度、アイロンをかける時。アイロン台の足を伸ばし、小さなひし形のアイロンをコンセントにつなげ、霧吹きをセットしてから、その日の分のシャツを一枚ずつ、台の上に広げていきます。

アイロンがちゃんと熱くなっているか、手を近づけて確かめてから、霧吹きをほんの少しシュシュッと吹いて、シャツの上をゆっくりとアイロンを滑らせていきます。いつもやり方は決まっていて、襟をかけて、後ろ身頃、前身頃を一つずつ、それから左右の腕。アイロンを強く押し付けたからといって、シワが伸びるわけでもないことは分かっているので、ゆっくり押すように、霧吹きはしすぎないようにと気をつけています。

昔は面倒に思っていたアイロンがけですが、作業中に自分の頭が無になっていることを自覚してからは、いやではなくなりました。寧ろ「待ってました」という感じです(笑)。頭の中が無になっているのが何故わかるかというと、自分の呼吸を自然と観察しているからです。

一時期、ヨガや瞑想を熱心に学んでいた時期があったのですが、その頃はもう少し、肩に力が入った取り組み方をしていました。呼吸法などもいろんなパターンを試してみました。数をカウントして、吸う息、吐く息、止める息のリズムを整えたりもしてみましたが、「無理にコントロールしようとしなくても、普段は向けていない意識を呼吸に向けるだけで、呼吸は深くなる」ということを知ってからは、型にはまろうとしなくなりました。

時々やっていることで気に入っているのは、思いっきり息を吐いてしまうこと。美木良介さんのロングブレスみたいなことは出来ませんが、できる限りお腹を凹まして、息を吐き出すことで内臓にも刺激がいき、ちょっとしたマッサージのような効果もあるらしいのです。これを意識するようになってからは、時折ゆるんでいた下腹部が、スッキリをキープできるようになりました。

(どうしてアイロンがけをしている時が一番、瞑想しているのに近い精神状態になれるんだろう)

皆さんにはこの謎が解けますか?(謎っていうほどの謎でもありませんね。スミマセン)それは主婦が自分の家にいながら、家事と呼べるほどの集中力を必要とせず、その場にじっと座っていられる作業に身を任せながら、アイロンをかける狭い範囲だけに視線を集中している状況だから、なのです。

瞑想をする時には、外からの刺激を少なくするために半眼にするとよいという方もおられますが、この状況はある意味半眼に近い。その上「半眼にするぞ」「半眼になっているかな」など意識する必要もないのです。

他の家事と比較してみると、料理の時には目の前の料理の進み具合を見極めながら、手元を動かしていかなくてはなりませんし、掃除の時には掃除機を押しながら家の中を歩き回らなくてはなりません。不要な荷物をよっこいしょと移動させることもありますね。洗濯物を干す時も、立ったりしゃがんだり、ベランダに出たりと、やはりじっとして行える家事ではない。というわけで、アイロンがけには瞑想に適した作業環境が揃っていると考えて、間違いはないようです(な〜んて主観的なこじつけなんだ、と思った読者の方、あなたの意見はすごく真っ当です)。

(ふうう。整った、整った)

シワがのびてきれいになったシャツをハンガーにかけ、自分が何かよいことをしたような満ち足りた気持ちになり、ふだんの1.5倍くらい寛容な人間になれたのではないかという錯覚に浸っていられるのも、ものの10分ほどのこと。ちらりと時計に目をやると、

「あ、もうこんな時間。夕ご飯の支度しなくちゃ」

いつも夕方にアイロンがけをするわたしは、その後大慌てで夕食の準備にとりかかることになります。バタバタ、バタバタ。腰にエプロンを巻き、スリッパの音を響かせながら、台所を右へ左へと動き回ります。

(えっとまずはお鍋を温めて。それから箸とお皿を出して。ご飯をよそって。急須にお湯を注いで…)

頭の中はフル回転。先程までの静けさが嘘のようです。かくしてアイロン瞑想の効果は長続きしないのでした。




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