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マフラーを巻いたうさぎ。(3)

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「まい子、ご飯にしようか」
「うん」
お父さんに言われて、テレビを見ていたまい子は立ち上がり、食卓にすわった。こい緑色のエプロンをつけたお父さん。見慣れない格好だ。ぎこちない空気が台所にみちている。
「いただきます」
「いただきます」

二人とも普段の半分くらいの音量で、挨拶をしてから、箸を手にとった。今日のおかずは、白いごはんとコロッケ、やさいサラダ、それから味噌汁。コロッケはスーパーのお惣菜でお父さんが買ってきたもの、サラダは千切り野菜のパックと缶詰めのコーンとをもりつけたもの。つまりお父さんが自分でつくったのはお味噌汁だけだ。めったに料理をしないお父さんにとっては、夕ごはんをひと通り揃えるだけでも一苦労だろう。

「どうだ、うまいか?」
まい子がお味噌汁をすすると、間髪入れずに聞いてくる。
「うん、おいしいよ」
それを聞いて、安心したようにお父さんも自分の味噌汁をすすった。

数日前から、お母さんは留守だ。田舎のおじいちゃんが倒れたと知らせがあって、新幹線でとんでいった。
「おじいちゃんね、そんなに大したことはなかったみたい。でももうちょっと様子みるために、こっちにいるから」
電話の向こうのお母さんの声は、ピリピリしていた。緊張感が伝わってくる。電話だと声は近くに感じるけど、ほんとは遠くにいるんだな。いっしょに暮らしていると、お互いの声を電話ごしに聞くことは少ないから、いっそう変な気がする。お母さんは田舎のおじいちゃんの家にいるってだけなのに、どこか知らない場所にいってしまったような、心細い気持ちになる。

まい子とお父さんは、二人とも無言のままご飯を食べつづけている。
(気まずいな、でも話すことなんて何もないし)
中学生になってから、お父さんとの会話はめっきり少なくなった。お父さんは変わっていない。変わったのはまい子のほうだ。それまでは学校であったこと、好きなアイドルのこと、アニメのこと、話したいことが次から次にあふれてきて、
「食事中くらい、少し静かにご飯を食べなさい」
とお母さんに叱られていた。それなのに、中学生になった途端に「シーン」だ。

(学校なんて毎日同じことの繰り返しだし、アイドルとか漫画のこと、お父さんに話したって全然盛り上がらないし)
まい子が何を考えながらご飯を食べているのかなんて、お父さんは気にもしていないようだ。コロッケにソースをかけて、美味しそうに頬張っている。

(もしお母さんがいなくなったら、うちはお父さんの二人だけの家族になっちゃうんだな)
こんなに静かで、お葬式みたいな時間がつづくのは、まい子には耐えられそうもない。
「なあ、まい子」
お父さんがふいに話しかけてきた。
「おじいちゃん、大したことなくてよかったな」
「うん、そうだね」
たしかに今回は大事ではないようでよかったと、まい子も思う。
「ま、いつかはみんな、あっちの世界にいくことになるんだけどね」
お父さんはご飯を口にいれ、そのまま味噌汁をズルズルと音を立ててすすった。ここにお母さんがいたら、
「あなた、音を立ててお汁を飲まないで」
ときつく注意を受けていただろう。

お父さんのお父さん、つまりまい子のおじいちゃんは、まい子が小さかった頃に病気で亡くなっている。今なら聞いてもいいような気がして、まい子はお父さんにたずねた。
「おじいちゃんがなくなった時、お父さん、どんな気持ちだった?」
「そりゃあ、悲しかったよ」
お父さんの言い方は、いつもサラリとしすぎていて、まい子には、お父さんの気持ちはよくわからない。
「もう二度と会えないのかと思うと、ガクンと身体の力が抜けたみたいな感じがしたな」

(そうか、そういうものなのか)
「死ぬのって、怖いよね」
ぼそりとまい子がつぶやくと、お父さんも、
「そりゃあ、怖いよな、死ぬのは」
といった。

「死んだら、人ってどこにいくのかな」
まい子は、うさぎのことを思いながらお父さんに聞いてみた。
「さあ、死んだ人は、どこかにいくのかなあ」
いつもは真面目な話に冗談ばかり返してくるお父さんが、今日は真面目に考えてくれている。
「もしかしたら、すぐそばにいるかもしれないぞ。おれたちが気づかないだけで」
「え、じゃあ、この辺りにおじいちゃんがいるかも?」
「その可能性だって、ゼロじゃない」
まい子が怖がっているのをみて、ハハハとお父さんは笑った。
「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても。死んでみたら分かることだよ」

(でも、あたしは死ぬ前に知りたいんだけどなあ)

「あの世とこの世って、そんなに遠くはなれているわけじゃないさ」
お父さんは、まるで自分に言い聞かせるようにそう言うと、残りのご飯をガガガッとかきこんだ。

  ******  

その次の土曜日、図書館にあらわれたうさぎの目は真っ赤にはれていた。
「どうしたの、その目」
「ああ、大したことはないよ」
うさぎは頭をぽりぽりかきながら、
「最近、あんまり眠れんのでな」
と言った。
「わしの目はもともと赤いから、人間の目が赤くなるほど大変なことじゃない」
それを聞いたまい子は、ついお母さんのように腹が立った。
(でも今、寝不足だって言ったじゃない!)

うさぎは図書館の本をこっそりもちかえり、家で調べ物をつづけているのだと打ち明けた。
「わしはまたいい話を見つけたんじゃ」
うさぎはうれしそうに、本をテーブルに広げた。
「日本の北の方にな、イタコとよばれる女性がいるらしい。なんでも死んだ人の言葉を聞き取っておしえてくれるそうだ」
まい子もテレビで見たことがある。
「それからな、沖縄の方にいけばユタとよばれる女性たちがおって、その人たちも同じような技ができるらしいんじゃ」

死んだ人の声が聞こえる女性に助けてもらい、エリーと話ができれば、彼女が今どこにいるかおしえてもらえるはずだとうさぎは言うのだ。
「どうすればエリーに会えるか、直接本人に聞くのが一番手っとり早いじゃろ」
「じゃあ、うさぎさんは、東北か沖縄に行ってみようと思ってるの?」
まい子がたずねるとうさぎはシュンと首をうなだれた。
「それはできんなあ。わしはこの辺りから遠くにはいけない身体なんじゃ」

こんなに年をとっているんだもの、遠出なんて無理に決まっているとまい子も思った。
「年をとるって疲れること?」
こんなこと、人間のおじいさんやおばあさんには、正面からあまり質問できない。相手を嫌な気持ちにさせるかもしれないから。でも相手がうさぎだと思うと、まい子はふと聞きたくなってしまった。田舎のおじいちゃんのことがあったせいかもしれない。

「そうじゃなあ」
うさぎはしばらく考えてから、ぽつぽつと話してくれた。
「若い頃のように存分に跳びはねることができたらなあと思わないこともない。でもまあ、年をとって良かったと思えることもいくつかあるよ」
「へえ、たとえばどんなこと?」
「エリーのおしゃべりを理解できることが増えていったし、エリーが考えていることも、若い頃よりもよく分かるようになったことかな」
なんだ、またエリーか。うさぎさんはエリー、エリーばっかりだ。まい子はほんの少しうんざりした。

「結局、人間だって、うさぎだって、ひとりぼっちは寂しいんだよ。だから、いつも誰かのことを考える。自分のことばかり考えてちゃ、心が貧しくなるからの。だってそうじゃろ、考えてみてごらん。自分のことなんて、何かを食べて、排泄して、遊んで、寝る、その繰り返ししかないんじゃから。わしはうさぎじゃから、お前さんたち人間みたいに、いろんな味の食べ物を口にすることもないわけだ」

「わしを抱いている時にエリーがとても安心していることが、わしにはよく分かった。ああ、自分がエリーの心をあたためている。もう真っ白い毛でもないし、目の下にはクマができたヨレヨレのじいさんうさぎだけど、テレビを見ている時よりも、漫画を読んでいる時よりも、わしをだまって抱きかかえている時のほうが、エリーの心がうんと落ち着いている。それがとてもうれしかった。年をとっても誰かの役に立てるっていうのは、ほんとに年をとってからじゃないと実感できなかったじゃろうの」

「エリーが安心しているのがうれしかったの?」
「そうじゃ。エリーが安心したら、わしも安心だった。お前さんもそういうことがあるんじゃないのかね?」
「…ある、かな」
まい子は考えてみた。でも頭には何も思い浮かばない。
「…あまり、分からないかい?」
「うん」
そうか、そうかとうさぎはうなづいた。
「心配せんでもいい。お前さんにも必ず、分かる時がくるよ。自分の安心は誰かの安心とつながってることも、寂しさや心細さも、それほど悪いものではないってことが」

学校の先生にも聞けないようなこと、お父さんともお母さんとも話さないようなこと、それをうさぎは淡々と話してくれた。それはうさぎだからできることなんだろうか。相手が人間の大人だったら、子どもに言い聞かせているような素振りが鼻について、素直に耳を傾けることができなかったかもしれないとまい子は思った。

うさぎが知りたい答えが本当に見つかるのかどうか。かなりむずかしいことのように思えてくる。でもきっと、うさぎはあきらめないだろう。あきらめたら、生きる希望がなくなってしまうだろう。今のうさぎに何と言ってあげたらいいのだろう。まい子は必死で考えた。

「考えごとしすぎると眠れないって友だちが言ってたよ」
うさぎがハッとした顔になってまい子を見た。
「まずは、うさぎさんが元気でいなくちゃ。寝込んだらエリーに会えなくなるよ」
「それはいかんな」
うさぎが、鼻息あらくこたえた。
「まだあきらめるのは早い。きっとなにかいい方法がみつかるにちがいない」
自分に言い聞かせるように、うさぎが言った。
「そうよ、きっとエリーもうさぎさんが会いにくるのを待ってるわよ」
でもまい子は、心の中でこう思っていた。
(エリーの方からうさぎさんに会いにきてくれたらいいのに)

(つづく)




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