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【読書】坂口綱男『安吾と三千代と四十の豚児と』を読んだ

 坂口安吾にまつわるエピソードを集めようと思いAmazonに出品されている古本を十冊ほど注文した。

 三千代夫人による『クラクラ日記』『追憶 坂口安吾』はすでに持っていたので、安吾の死後に残された証言や作品から書かれた評伝をいくつか買った。それらは文量がたっぷりしていてすぐに読み終わるようなものではないので、資料として必要に応じて飛ばし読みしたり、時間がある時にゆっくり読んでいこうと思っている。

 同時代の作家やのちの研究者以外の本として、ご子息坂口綱男氏の『安吾と三千代と四十の豚児と』を購入した。

 綱男氏は坂口安吾の唯一の子息でありながら、物心つく前に安吾は亡くなってしまったので、安吾との思い出は無いに等しい。唯一覚えているのは桐生の家のそばにあった岡公園に連れていかれ池端でアヒルを見たというもの。それも連れて行ってくれたのが安吾だったのか、そもそも本当に岡公園の池の記憶であったか自信がもてない。

 それでも多くの安吾ファンからは「安吾の息子」として安吾の話を期待され、安吾作品の権利を管理し、安吾忌などのイベントや講演を頼まれる。母が存命中は母が安吾を語り、綱男氏は母のマネージャーという立場であれば良かった。しかしその母も『クラクラ日記』などの端正な文章や、暴風のような安吾に振り回されていたエピソードから想像するような母ではなかったらしく、なかなかこだわりが強く個性的だったらしい。そのような母に今度は綱男氏が振り回され、母亡き後は、エピソード無き安吾を語らなければならなくなってしまった。なんという煩わしい運命だろうか。もし自分が同じ立場であったら必ず父のことはもう知らんとさじを投げて近親者からできうる限り離れ独りで全く違う人生を送ろうと考えただろう。もちろんそのような安吾への反発を試みた時期もあったようだが、今は「開き直り」を経て安吾と向き合うようになったらしい。

 この本は「安吾の息子」として世間や母に振り回され、それでもというかそれだからというべきか、自分の好きなことに没頭していく綱男氏の半生が話しかけるような気さくな文体で綴られている。大変な半生だと思うが自ら言うように楽天主義で自分の好きなことには熱中・没頭できる性格だからだろう、悲壮な感じはあまりしない。非常に健康的だとすら思った。

 なんだかんだ言われる母三千代も、息子が自分で何かしようとした時には干渉せず気前よくお金を出したり車を買ってくれたりするし、綱男氏も母に呼ばれればその車で駆け付け運転手を務める。父も母も息子も変わり者だけど、とても健全な親子だと思った。

 欲を言えば檀一雄とのエピソードをもっと読みたかったが、父がさんざん迷惑をかけた家というイメージがあって檀家を訪れるのは気が引けたという言葉になるほどとも思った。石川淳は相変わらず「バカヤロウ!」と言っていた。石川淳のバカヤロウは禅僧の喝のようなものだ。生でバカヤロウを浴びることができた綱男氏を羨ましく思った。

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