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ため息俳句 露地苺

 各地名産のブランド苺は、ハウス栽培である。
 だが、我が家の苺は、畑の一隅に半ば自生のような感じで、今日辺りは旬のそろそろ終いを迎えている。
 今年は、とても豊作で、ほぼ一日置きの収穫であるが、両手に一杯に乗せて三度ほどは採れる。

ただし、売られているような大粒は稀で、小さなヤツが大多数だ。


 こんな感じで、形も整っていない。大きさもばらばら。
 酸っぱいし甘さは薄い。

 それに、行き当たりばったりに、安物の苺の苗を、継ぎ足すように植えてきたので、何種類もの苺が混在している。
 そんな状態であるが、苺は冬の寒さに耐えて、勝手にランナーを延ばし、そこで根付く。
 春には花を咲かせる。


 そうして、春の終わりに赤く実をつけるのである。
 この後は、夏の間葉を繁らせ、ランナーを延ばし、秋が過ぎ、霜が降る頃には赤く紅葉して、枯れて行く。しかし、春にはまた生き返ったかのように、若葉を繁らせて、花をを咲かせるのである。
 そうして、何代か重ねると、もともとは品種改良されて大きく甘いはずの苺が、円く小さなぼこぼこしたみすぼらしい苺になってゆく。
 だが、これは、自分が思うには、もしかすると苺の本来の姿へと戻って行くことではないかと。人間に勝手にいじり回されて、たとえば、「あまりん」の甘さは本当の苺のありようではないと、「自然」へ帰ろうと。
 そんな風に思うと、酸っぱく、ほんのりと感じる甘み、それにこそ本来の苺のおいしさがあると、思ったりもしている。
 
 今朝は、この苺と牛乳をミキサーにかけて、飲んでみた。悪くないねと、老人二人の感想であった。


露地苺土に雨風日よりる  空茶