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日本初の国産ジェット旅客機「MRJ」

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2011年に学研から発行された「ニュースでわかる次世代マシーン」で書いたMRJの取材記事を加筆修正したものです。当初は2012年に初飛行を予定していましたが、大幅にずれ込んでいて、航空業界関係者をやきもきさせています。期待が大きいだけに、なんとかビジネス的にもうまく行って欲しいものです。

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■スマートで美しい国産ジェット
 三菱航空機(株)が開発を進めている「MRJ」は、「YS-11」以来の国産旅客機であり、日本初のジェット旅客機である。MRJとは「Mitsubishi Regional Jet」の頭文字を取った略称で、「Regional」すなわち「地域の」「地方の」という意味の言葉が表すように、国際間のような長距離ではなく、飛行時間が1時間から2時間程度の距離にあるローカル空港間を結ぶことを目的とした航空機だ。
 MRJは両翼にそれぞれ1基ずつのジェットエンジンを備えたスマートなデザインで、客席が92席の「MRJ90」と、78席の「MRJ70」のふたつのファミリーがあり、それぞれ全長は35.8メートルと33.4メートル、主翼を除く胴体部分の直径は約3メートルとなっている。機体の尾部に格納庫、機内の前後にギャレーや化粧室が配置され、その間の空間に左右2列ずつの座席が並んでいる。

天井のLEDライトは、前方から見ると富士山のシルエットが浮かぶデザインが施されている

 座席はMRJのために開発されたスリムシートで、従来の座席よりも座面や背もたれが薄いため、一見か弱い印象を受けるが、実際に座ってみると身体を包み込むようにしっかりと支えてくれる。そのうえ、前方の座席とのゆとりも生まれるので、ゆったりと座ることができる。取材時には、広島の自動車用シートを手掛けるメーカーから納入される予定だったが、その後、アメリカ・カリフォルニアの企業が納入することになった。

実物大モックアップ内部

 中央通路の高さは床面から天井まで約2メートルと余裕のある設計で、国際線を飛ぶ航空機の機内にも引けを取らない快適性を実現している。機内の照明は、経済性と耐久性に優れたLEDが利用されている。実際、モックアップで作成したシートに対して、航空会社から「扱いやすい簡単なものにしてほしい」という要望があったという。

MRJ諸元:サイト資料より抜粋

■MRJ誕生までの経緯とは?
 三菱重工は、戦後YS-11から民間航空機の開発に関わり、2002年頃からは本格的な国産ジェット旅客機の検討を進めてきた。その結果、2008年3月にMRJの事業化が決定、同年4月に三菱航空機が設立され、MRJの開発や設計を進めることとなった。
 2009年には大まかな設計が終了し、翌2010年9月に詳細設計から製造段階に入った。そして、2011年4月5日に、三菱重工飛鳥工場において「鋲打ち式」が行われ、本格的な組立工程に移行した。組み立てが順調に進めば、2012年には初飛行が行われる予定だったが、スケジュールは大幅に遅れている。2013年8月に発表されたニュースリリースでは、初飛行が2015年第二四半期に初号機納入が2017年とされた。なお、飛行試験用の初号機組み立ては2013年10月15日に開始され、2014年5月には静強度試験のために試験機を、組み立ての行われている小牧南工場から技術試験場に移動した。今後、型式証明や耐空性証明に必要な試験が実施される予定だ。

■有望なリージョナルジェット市場
 「ジェット旅客機」といえば、いわゆるジャンボジェットのような大型の航空機をイメージする人も多いだろう。確かに、大量の人や物を速く運ぶというニーズがあったため、ボーイング社の「ボーイング747」やエアバス社の「A330/A340」に代表されるような大型旅客機が開発・製造されてきた。だが、大型旅客機の離着陸には長い滑走路が必要なうえ、燃料費や着陸料などの運用コストも高額であり、大型旅客機で短い距離を結ぶことは非効率だ。※ジャンボジェットの愛称で知られるボーイング747-400は、2014年3月末に、日本の国内旅客路線から姿を消した。
 そこで、大規模空港をハブ空港とし、そこから短い距離を小型~中型の旅客機で結ぶという考え方が生まれた(背景には1978年にアメリカで制定された航空路線の自由化があるといわれている)。リージョナルジェットは、ハブ空港と地方空港、あるいは地方空港同士の間を飛行するために生まれた航空機のカテゴリーであり、MRJを含む座席数50以上100以下のリージョナルジェットへのニーズは、今後大きな伸びが見込まれる市場と考えられる。なお、主なリージョナルジェットのメーカーには、ブラジルのエンブラエル社やカナダのボンバルディア社がある。

■日本の翼が世界を駆ける日まで
 日本は1910年代から海外の航空技術を積極的に導入し、1930年代後半から終戦にかけて、数多くの航空機を生み出してきた。終戦間近には国産初のジェット戦闘機の初飛行にも成功している、いわば航空先進国のひとつだった。しかし、戦後になると航空機の研究開発は大きく制限されることとなった。航空に関する研究開発の規制は、アメリカによる占領が終了する1952年(昭和27年)まで続き、再び国産航空機が飛ぶようになったのは、1960年代に入ってからのことだった。この長い空白期間を埋めるべく研究を進めている日本だが、いまだ日本の航空技術は先進国に比べて10年は遅れているといわれ続けている。特に旅客機の分野では、1962年に初飛行したYS-11以降、国産旅客機は生まれていない。50年の時を経て誕生する国産旅客機MRJに期待が集まるのも当然といえるだろう。
 しかし、残念ながらMRJのすべてが国産という訳ではない。機体を構成する約7割の部品は、海外からの調達部品なのだ。エンジンやアビオニクス(航空電子装備)始め、航空先進国の欧米にある経験ある装備品メーカーとのパートナーシップは日本の旅客機開発には重要な意味がある。
 これまで海外の航空機メーカーに対する構成部品のサプライヤーでしかなかった日本企業が、MRJの開発・製造を通じて航空機システムすべてを作り上げるノウハウを手に入れれば、近い将来、純国産のジェット旅客機が誕生することになるかもしれない。

・MRJ
http://www.mrj-japan.com/j/
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