manabufujisawa

松本出身 猫部屋 下北沢近辺在住 アマ野球、MLB、独立系映画、黒人系音楽など愛好者 …

manabufujisawa

松本出身 猫部屋 下北沢近辺在住 アマ野球、MLB、独立系映画、黒人系音楽など愛好者 モーニング→ヤングマガジン→FA→東京都写真美術館広報誌別冊ニァイズ編集補 日本マンガ塾講師 無所属新

最近の記事

ひとよ〜父親のひとごろしのやうな目つきについて

劇場で見逃したものを見るともなしに見るといっても身につまされるものしか見ない、娯楽やエンタメのたぐいを下に見ているのかもしれない やはり子どものころの刷り込みというかなんというか、ウルトラマンやゴジラや仮面ライダーにワクワクしていた時期もたしかにあったはずだがかなり短かった 下の子特有の背伸び感、オレはオマエらとはちがうという唯我独尊の差別感がそうさせたのであり、やがてアニメは見ない、カラダが受け付けない、来るべき時代を予測できずマイナーの荒野をひとりさまようことになるの

    • 碁盤斬り〜農耕社会と愛と遊興の果て

      SMAP解散以来、日本も世界も終わったと夜を徹して語り続ける妻子からの洗脳により、遠心分離した三人の映画はすべて観ているゆえ条件反射的に観たまでではあるが、一般論としては必ずしも演技が上手いとはいえない草彅剛の技術を超えた何かとは何か、エンタメや娯楽を謳う時代劇映画とは違う何かとは何かを考えている 清廉潔白、謹厳実直に生きることがいかにはた迷惑であるか、周囲を犠牲にするかといぅた斎藤工の捨て台詞は真実であり、草彅剛と仲間たち=新しい地図のジャニーズとの関係性を言い表している

      • あこがれの色彩〜つまるところつきるところ自分か

        人間はいずれ必ず無になるのだから、自分、自分らしさ、自分さがし、すべてあってなきがごとしとも思えるし、生きて形あるうちはせめて他人とちがう自分でありたい気もする いかなる仕事においても、売ること、売れることが第一義でないとしてもだ、売れなくてよいとはいえない、売れなければ成り立たない、続かないのが真理だ にもかかわらず、売れる売れない、儲かる儲からないというと、目先の欲にとらわれた仕事は仕事ではない、楽しくなければやめてしまえと喝破する人もいる そういう気楽、気まま、自

        • カラオケ行こ!〜オマエの歌は死ぬほどつまらないと詰られた夜

          洋楽しか聴かないのは宗教一世のように欧米の洗脳から解けないからだと思う あるいは日本の曲は歌うものであり聴くものではないと半分信じているのかもしれない カラオケボックスが流行る前夜、行きつけの会員制的スナックが二軒あり、呑むたびにどちらかへしきりに通った時期がある 歌唱力は人並みにあっても表現力がないことは知っていた 音が外れないようにソツなく歌おうとするあまり、感情を込めることができない ある夜、職場の先輩に図星を突かれた オマエの歌はただ元歌をなぞってるだけで

        ひとよ〜父親のひとごろしのやうな目つきについて

          ブルックリンでオペラを〜She came to me.

          洋画の常で原題から邦題への劇的な転生に今回特に驚いた 主人公の体躯を考えると、真実の愛の探求とは男女の恋愛にとどまらない こんな時、英語が堪能ならばとうらめしく思いつつ、めんどくさいからあれこれ調べたりは決してしないが、敬虔なキリスト者である女医は夫の不貞が許せない、恋愛中毒者の女船長は妻に訣別された男を受け容れる 後者をもって男は生まれて初めて真実の愛を見つけたというのだけれど、いまひとつ合点がいかない おそらく自分が配偶者と結局一度も別れていないからであって、もし

          ブルックリンでオペラを〜She came to me.

          高校野球からの大学野球とドカベン

          今日は今シーズン最初の野球の日と決め、午前4時からドジャース戦を観たあと、保土ヶ谷球場へ飛んで行った 高校野球の春季大会といえど、一年前も入場券を買うのにずいぶん並んだ、今年も覚悟はしていたが、最後列へと辿り着くのに5分はかかった、あとでニュースを見たら、チケット難民約3000分の1だった 入れたとしても立ち見ではつらい、あきらめて大和スタジアムの首都大学リーグへと相鉄で流れた 特筆すべきは神奈川の野球熱の高さではなく、二つの球場が『ドカベン』ゆかりということだ 保土

          高校野球からの大学野球とドカベン

          異人たち〜親子のわだかまりと異人たちへの斟酌

          このタワマンにに住んでいるのは自分たち二人だけだと思いこむほどに、交通事故死した両親に会うために生家へ通い続けるほどに、愛し合う相手が孤独死した同性だと気づかぬほどに、アルコールやドラッグで現実と妄想の境を紛らすほどに、主人公は孤独だ 孤独癖があって被害妄想で自ら孤立感を味わう私とは孤独の根深さ、出来がちがう 親子、家族、家庭に対する積み残しという点では身につまされるものがあり、父や母となにゆえうまくやれなかったのか、妻や息子ともそれゆえうまくやれなかったのか、もう取り返

          異人たち〜親子のわだかまりと異人たちへの斟酌

          PLAN75〜七十五歳まで生きたくはないがあっさり死ねるだろうか

          ある日、人類の足跡を少しでも遡ろうと決意し、連日ひたすら歩き続けたものの、一日二十数キロが限界だった 労働と経済という資本主義的な事情でどうにも時間がなくなり、やむなく歩みを止めた瞬間から、堰を切ったように身体のあちこちが悲鳴を上げ、いきつけの呑み屋よりかかりつけの医者という体たらくに陥った ヒトもモノも生きてるかぎり宿命的に衰えてゆくのだが、アフリカを出たはるかなる祖先たちも同じような事情によってあちこちで脱落し、文明の芽や礎、屍となったのかもしれないと思えば、タナトス

          PLAN75〜七十五歳まで生きたくはないがあっさり死ねるだろうか

          生きてるだけで、愛〜ヤク中の明けたり暮れたりする夜明け

          「ひりつく」という言葉を知らずに生きていた、「ひりひりする」ということなのだが、人の痛みがわからないから気づかなかったのかもしれない むろん映画みたいな人生を送ってきたわけではなく、ただ単にぼんやりしていた、大切な何かをたくさん置き去りにしてしまった気はする なおさら「生きてるだけで、愛」といわれてもポカンとするばかりだ、「生きてるだけで丸儲け」と同じ感じだが、生きてるだけではどうにもならない、生きてるだけでなら死んだほうがマシだ 原作は読んでおらず、公開から5年後のい

          生きてるだけで、愛〜ヤク中の明けたり暮れたりする夜明け

          すべての夜を思い出す〜団地へのあこがれと絶望

          ものごころついた頃というのが正しくはいつ頃を指すのか知らないが、とにかくその頃、実家のすぐ北側で団地の造成工事が行われていて、祖母に手を引かれ日参してたのが最も古い記憶の一つだ ここで問題なのは、私が覚えている映像が祖母と自分のうしろ姿ということで、実際には工事現場のことはいわゆるひとつのデジャビュなのかもしれない その後、小学校、中学校ともに人口急増学区で、団地がいくつもあったし、学校が分離して仲のよい友だちと別れることもあった、昭和の自分史としてそのあたりを詳しく書い

          すべての夜を思い出す〜団地へのあこがれと絶望

          野球どアホウ未亡人〜知らないからこそ生まれるカルト

          『野球どアホウ甲子園』という漫画があったのであり、主人公は甲子園と阪神しか知らない坂田三吉でありながら、堂々カンニングで東大入試を突破してしまい、阪神のエースとなるあきれた水島ドリーム漫画だ 『ドカベン』に代表される手を替え品を替え輪廻転生的に主人公たちがスケールアップする大河ドラマは漫画のお手本だと思う 作者が文字通り『野球狂の詩』を地で行く人であってこその偉業だが、真逆に野球のルールすら知らない人だから描けた荒唐無稽に過ぎる名作、人気作も数多い この映画もまた、野球

          野球どアホウ未亡人〜知らないからこそ生まれるカルト

          オッペンハイマー〜映画の尺と偉人の矛盾

          算数の文章題ができなかったのは、私かバカなのではなく例題の日本語がなんだか違和感だらけだったからだ たとえば一郎と二郎が池の反対方向を回って合流するのは何分後といった現実が、はたして日常の中にあるだろうかといった疑問を小僧ながらに抱き、思考が止まってしまったのだった 理科もよくわからなかった、何がわからなかったのか思い出せないくらいわからなかった そういう学力のなさなので、高校の数学、化学、物理となると限りなく透明なゼロに近かった 映画の中で数式が音符に見えるという台

          オッペンハイマー〜映画の尺と偉人の矛盾

          瞳をとじて〜ミツバチのささやきとシネヴィヴァン六本木

          スーパーのセルフレジで人が並んでいるのに気づかなかったり、牛丼屋で手元が狂ってボロボロこぼしてしまったり、アタマでは分かっていても脳がカラダに命令を伝えてくれないことが増えた 王さんと同じくらい憧れの選手だった高田繁さんは、イメージと捕球位置との間に20cmぐらいの誤差が出るようになったと現役を引退したのだったが、守備位置にボールが飛んできてもどうしていいかわからずオタオタしている感じだ 六本木のシネヴィヴァンで『ミツバチのささやき』を観てから四十年近く経っていると知り、

          瞳をとじて〜ミツバチのささやきとシネヴィヴァン六本木

          ロブスター〜甲殻類アレルギー者の悦楽

          海老が食べられない日本人、野沢菜漬けが食えない信州人は、キムチを受け付けない韓国人にたぶん等しい もしも郷里で選挙に出たら、私は何票獲得できるだろうか、いま住んでる場所でも見知らぬ土地に落下傘で舞い降りるのでもいっしょだ、少なくとも当選できない自信がある、まあそういうことだ さらに似たような屁理屈で、かつて結婚できない男な気がしていた、進んでしようとは思わなかった、できようができまいができればしたくなかった、するかしないか、しないなら別れてくれといわれ、別れるぐらいならこ

          ロブスター〜甲殻類アレルギー者の悦楽

          季節のはざまで〜子どもでいることはむずかしい

          父親から相続した遺産はごくわずかなものであったが、保険にも一切入っておらず、葬式代ものこさなかったてな話を聞くとありがとうパパと言わざるを得ないし、相続税の割合というか払わされた額を思えば、都内某区が空き家だらけなのもよくわかる だがしかし、過ごした年月以上に想い出が詰まった生家、実家を取り壊すのは忍びない、朽ち果てるまま残しておきたいという場合もあるにちがいない 諸事情省くがおととしから片付けをした、実家の、モノを絶対捨てない、昭和製造の寒天とか備蓄している老婆の目を盗

          季節のはざまで〜子どもでいることはむずかしい

          つがい〜CFF2024 カウリマスキもといカウリスマキ彷彿

          話の前提として、いま悲惨にもあちこちが痛い、近年比較的快調だった古傷の右腰右脚が痛い、開幕絶望といった感じだ かつて名画座、二番館三番館の椅子は当たり前のように座り心地が悪く、こちとら大いに若かったとはいえ、旧文芸坐のオールナイト上映などはかなり足腰にきた あるとき小川紳介だか宮島義勇特集に異性を誘い、池袋から沼袋に連れ帰った日曜日の朝に異変が起こり、さらには駅前交番の巡査とまさかの衝突事件なども、下半身の重だるさとともに思い出される ここ高円寺の映画スペースは早稲田の

          つがい〜CFF2024 カウリマスキもといカウリスマキ彷彿