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好きなエッセイ

自称“文章オタク”な私がエッセイとして最初に読んだのが、さくらももこさんの『もものかんづめ』だった。

軽快なリズムで、日常を書いていくその文章に恍惚とする。
読んだ後によくよく考えてみると普通なら笑えないような話も、彼女の手にかかると途端に一大ギャグになる。

そして、彼女の言葉はとても素直だ。
エッセイを書こうとするとどうしても身構えて自分を良くしようとしがちだと思う。
話をしている分には面白おかしく自分のダメなところも言えるのに、文字にするといきなり出来る女みたいな言い方をしてしまう。
そして、そうゆう文章は大体読まれなければいいねもない。
”ナルシストな文章“は読み手とのキャッチボールができないので、書いている方は面白いつもりでも読み手はつまらない。

さくらももこさんのエッセイにはいつも等身大の“まる子”がいて、それはいつかの私だったりする。
自分とまる子を重ねたり、共感していく。
読み終わる間、ずっとまる子とコールアンドレスポンスを繰り返す。
こんなに楽しい時間があるのかと思うくらいだ。
今も時々まる子の世界に入る。

例えば、自分の全然知らないアーティストが会場に一切声もかけず歌っているとしたら…絶対つまらない。
エッセイを誰かに読んでもらう時も同じ。読み手と書き手がコールアンドレスポンスできる関係でありたいと思う。
彼女のエッセイを読みながら「そんなことってある?!」とか「分かるわぁ」とか言って、気が付けばコールアンドレスポンスな関係になっているから楽しい。

さくらももこさんのエッセイはどれも最高なのだけど、暗記するくらい最高のエピソードがあってそれをみんなに読んでもらいたいからともう5人くらいに本をプレゼントした。
その一文というのが、息子さんが保育園をずる休みしたいと祖父である父ヒロシと口論になっている場面の一文。

父ヒロシが息子に「やい、もう泣かねえで御飯を食え」と言うと息子は泣きながら怒り「御飯なんか食うもんかっ。人が泣いている時に御飯を食えなんて言うなーーーっ」と叫んだ。
まったくである。泣ている時に御飯なんて食べたくもない。私は大笑いしそうになったがこらえてそのまま様子を見続けた。

さくらももこ『さくら日和』より

思い出すだけでニヤニヤする。
抜粋した部分だけでは伝わらないかもしれないけれど、全体の流れを見ると更に爆笑する。
声に出して笑える文章って最高だと思う。

最近凄いなと思ったのは平野紗季子さんの『生まれた時からアルデンテ』

Amazonのレビューを見ると賛否両論別れる人ではある。
今の世代の言葉選びという印象なので、それを受け入れられるか否かなのかもしれない。
私自身は「そうゆう言葉選びがあるのか!」と大発見した。

この本の中で“道端に置かれたスタバのカップ”についてこう書いている。
“道端に捨てるのは良くない”と先に書いた後

美しいのです。
流れるライトは弧をなぞり、皆既日食を閉じ込めたような輝きを放つ。
透明な茶褐色と言う言葉では情報不足な精彩が光の濃度を変えながら、揺れ動いている。
地に伏して雑踏を見上げてもなお、凛と佇むその姿に
私は神を見た。

平野紗季子『生まれた時からアルデンテ』より

道端に捨てられた、しかも飲みかけのコーヒーの容器を神にまで昇格させる。
言ってみれば“ちょっと浮かれている文章”は読んでいて気持ちがいい。
物書きをしていて表現が狭くなってくると読む1冊。
ちなみに2020年に発売された本のタイトルが『私は散歩とご飯が好き(犬かよ)』のタイトルが好き。
可愛いと純粋に思える表現だった。

エッセイは小説より作者の気持ちがダイレクトに読めるものだから、その人なりの世界観を共有できる気がして読むのも書くのも魅力的だと思う。

読んでいる時に作者の書く情景を想像するのも、書く時に、私の日常や頭の中を読んでくれる人と共有できることを想像するだけで楽しい。
この楽しい時間をできるだけ長く味わっていたいので、好きなエッセイの一文をメモしたり頭に覚えたりして、仕事をしながら思い出す(働け)
嫌なことがあっても、幸せな一文を思い出すだけで気持ちがリセットされる。
私はいつだって文章に救われて幸せにしてもらいながら生きてきた。


そうゆう文章が書ける人になりたいな。

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