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絵を描くのは「自分のため」であれ

世の中には、絵描きが星の数ほどいる。
インターネットを見渡すだけでも脳の処理が追い付かないほどたくさんいる。
インターネットの外にまで視野を広げたら、もっともっといるのだろう。

そんな星の数ほどいる絵描きたちを見ている中で、ふとこんな一言を見つけた。
「絵を描くのは好きだし、作風もけっこういろんな人から評価してもらえてる。絵を仕事にしてマネタイズした方がいいのかな…

マネタイズ。
絵描きになる多くの人が、一度は考える道だ。
かくいう私も考えたことはある。

今日はこれについて、私が思っていることを述べていこうと思う。

「お金をもらって絵を描く」ことは悪いことじゃないけど、お金もらうのは難しいよね

そもそも論。
絵の取引に、お金のやりとりが生じることを渋る人が一定数いる気がする。
それは絵を描いてもらう人のみならず、絵描き本人にも発生することをよく見かける現象だ。

「自分は好きなことをやってるだけなのに、それでお金をもらうなんておこがましい…」と思ってるのだろうか?

いやだって「描きたくて描きたくてしょうがないんです!誰に何も言われなくても描いちゃう!」と思っているわけでもない絵を、自分で描くわけでもない他人からお願いされて労力を削って描いてるんだから、削った分の労力を回復するためには対価はもらっていいのでは?

とはいえ、気持ちは分かる。
対価をもらうための導線を引くのがくっそめんどくさいんだよな。分かる。
「自力じゃ手に入らないサービスを提供してくれた相手の労力に対して相応の対価を払う」という発想が、一般人にはないんだもん。
というか「絵を描くのにお前の想像を絶するぐらいの労力が掛かってる」っていう発想自体、ある?ないよね???と思う場面が多数ある。

まあ、一般人が絵描きに対価を支払うという行為に至るまでに長い道のりが必要なことも分かる。
フリーランスの先輩に、絵を仕事にしようか迷ってるんだけど…という相談をした時、ものすごく腑に落ちる一言をもらった。

「普通の人は、お金がなくて『見たい』だけだから、お客にするのは難しいよ」

そう。一般の人はとにかく「お金がない」のだ。
ちょっと考えてみれば心当たりはいくらでも浮かんでくるだろう。
汗水たらして稼いだお金は、ただ生活しているだけでもあっという間に消えていく。使いどころは見極めたいと思うのは当然のことだ。
しかも、一般の人は絵の「使い道」がさほどない。アマチュア上がりの絵描きが描いた絵は資本主義的な資産には全くならないし、描いてもらったとして使い道なんてせいぜいSNSのアイコンが関の山なのだ。

そんな、
・資産にならない
・使い道がない
ものに、お金を出したいか?
私だとしても、かなり躊躇ってしまう。

それでも「自分の絵に価値を見出してくれる人」に自分の絵を届けるために奔走できる人だけが、資本主義の世界に飛び込んでも生き残れるんだろうなと思う。
お金をもらうための導線を引くこと、それを整備すること、そして「他人のために労力を割いて他人が求める絵を仕上げること」をサステナブルにやり続けられる人にこそ、絵でマネタイズする道はふさわしい。

お金のために描く絵の合間に、ちゃんと「自分のために描く絵」を描いてあげる

さて、そうした資本主義世界にチャレンジする中でも、できればやった方がいいと思うことはある。
それは、お金のために描く絵を制作する合間に、ちゃんと「自分のために描く絵」を描いてあげることだ。

これはイラストレーターあるあるらしいのだが「自分の好みをたっぷり詰め込んで描いた絵が大して評価されず、描いててあまり楽しくもない、当たり障りのないありふれた絵の方が爆発的に評価されて病む」という、自分の好みと大衆の好みの圧倒的断絶だ。

イラストレーターの中には、売れ続けるために自分の好みを封印して大衆ウケする絵を描く方に力を注ぎ、結果創作意欲が枯渇して精神的に死ぬ(たまに物理的に死ぬ)…という人がちょくちょくいるらしい。

でも、待ってほしい。
そもそもあなたが絵を描くのは「売れるため」?
今は確かにそうかもしれない。
でも、最初は「描きたいものがある」から、絵を描き始めたのではないのか?

ならば、きちんと「自分の好みをたっぷり詰め込んだ、自分が描いていて楽しいと思える絵」を描く余力を、ちゃんと作らなきゃいけない。
自分が楽しいと思えることをする時間がなければ心が死んでしまう。
心が死んでしまったらやがて体も死んでしまう。
そうなったら本末転倒だ。

もし、絵の依頼を受けるのに忙しすぎて自分好みの絵を描く元気が出ない…ということであれば、ノートにササッと落書き程度の力で描くのもありかもしれない。
「いや、私は本気の一枚が描きたいんだ!」というガッツ溢れる人は、仕事の受注を減らして余った労力を本気の一枚につぎ込むのも手かもしれない。

大丈夫!仕事を減らして絵の仕事が来なくなって、他の労働すらロクにできなくて極貧になっても日本じゃそうそう死なないから!ソースはワイ!(生活保護秒読み絵描き)
そしてワイ以上に社会的に破滅することってそうそうないから!安心してプチ破滅してきてくれ!

ここで大事なのは「好きなものを詰め込んだ絵に、他人からの評価がもらえることは一切期待しないこと」だ。
大衆は分かりやすいものが好きだ。あなたの繊細かつ芸術的な好み、そんなものよりもわかりやすいエロ画像の方がよっぽど好きだ。

でも、それでいいじゃないか。
自分の一番好きなものは、自分が一番よく知っている。
そして、自分の一番好きなものは、他でもない自分自身にしか作れない。
それってとても尊くて大切なことだろう?
自分が一番大切にすべきお客さんは、まぎれもなく自分自身だ。

資本主義にキレた私は「自分のために描く絵」に全ベットした

さて、私も絵描きとしてマネタイズすべきか迷っていた時期があることは最初に話した。
それがどうしてだか、今は「お金とかどうでもいい!私は私が描きたいものを描きたいだけ描くぞ!」という方針になっている。

こうなったきっかけは、1年前まで遡る。
1年前の私は、Twitterで頻繁に無償イラスト企画を行っていた。
いろんな人から「○○描いてください!」と言われ、初めてのチャレンジを繰り返すことを心底楽しく思っていた。

そんな中、その当時フリーランスを目指していた私は、フリーランスが集まるとあるコワーキングスペースにお邪魔する。
そこで何人かから言われたのは「他人からの依頼で絵を描くなら、マネタイズした方がいい」という一言。
「なんでですか?」と聞くと「だって、もろこしさんが労力をかけて作った絵でしょ?労力をかけた分、正当な報酬をもらうのが筋でしょう」とのこと。

そこで「確かに!」となるのが常識的な人物である。



そこで「は?????」となるのが私である

もろこし
「は?????労力なんてかかってませんが?????
私は自分が他の人からアイディア出しをしてもらうことで自分の創作の幅を広げるためにやってただけですが?????
それじゃせっかくアイディア出しをしてくれた他の人が『私の仕事にお金を払おうとしない悪人』に見えてきちゃうじゃないですか?????
しかも私の作品にお金で価値がつくとしたら、私の絵の価値って画一的な数字で計られることになっちゃうじゃないですか?????

うるせーっ!!お金なんていう画一的な価値を貼り付けるだけの資本主義の権化で私の絵の価値がレッテル貼りされてたまるかーっ!!
うわーん!!そんなこと考えてたら人から絵を依頼されること自体が嫌になってきたーっ!!
もう人から依頼されて絵なんか描くもんかーっ!!

??????????


昔の自分に声をかけるとしたら「お前精神状態おかしいよ…」である。
理論がおかしいし、結論もおかしい。
読者の方々には「それだけ精神的にコテンパンにうちのめされてしまった」ということで無理やり納得していただきたい。

まあ種明かしをすると、そうやって資本主義に逆ギレを起こした私は、ちょうど「自分の絵が資本主義的な価値を生み出すことはない」という絶望に気づいたタイミングだった。むしろこっちにコテンパンにされてた。

別のフリーランスの先輩に促され、ココナラで自分のイラストの有償依頼を受け付けていたのだが、これがまー、誰からも来ない。
Twitterで何度か流しても「無償なら依頼してやらんでもない」という人ばっかりで、私に金を払う人間はまーいない。

こうして私は見事にひねくれてしまった。
「ふんだ!私の絵なんて誰にも価値がないんだ!だったら私が私自身を満足させるためだけに絵を描き続けてやる!私の絵の価値は私だけのもんだ!」となったのが今の私である。

でも、今となっては「それでいいな」と思うようになっている。
私の絵の価値が私だけのものになったことで、私は私が描きたいものだけを、描きたい方法で描くようになった。
漫画のアナログ化も、その恩恵にあずかっている。
「誰かに価値を認められたい」ことが叶わず絶望し、諦め、その先に進んでいくことで、自分が描きたいものだけを追い求められるようになった。

もちろん、そこに目立った成長はないので、市場価値を生み出すことを是とする資本主義的に見ればまごうことなき敗北者だ。
しかし、自分の人生の根幹をなす価値の一つという形で絵を見れば、私のこの選択は英断だ、と胸を張って言える。

神作画のうちの子を見るためには、私自身が神絵師になることだ

もうひとつ、これは私の意見ではないけど「おお!」と思った話を。

私のフォロワーの中に、クオリティの高い一次創作絵を多数制作している人がいる。
彼女は商業イラストレーターを目指しており、日々自分の絵のクオリティを上げるために精進している。

私が諦めたものを、彼女はまっすぐに追っている。
それはとてもカッコイイことだ、と思う。

そんな彼女が口癖のように言っていることがある。

フォロワー「私は絶対に神絵師になります。だって、神作画のうちの子を見るためには、自分が神絵師になるしかないじゃないですか」

もろこし「気に入ったーーーっ!!」

そう。絵のモチベーションとは本来そこにあるべきだと思っている。
他人に認められることじゃない。自分を認めさせることだ。
神作画のうちの子が見たいから神絵師になる、最高じゃないか。

彼女はストイックにそれを目指している。
それを叶えるための才能を持ち、叶えるだけの努力を怠っていない。
そして「商業イラストレーターとしての経験すら、自分が神絵師になり、自分が満足する絵が描けるようになるための栄養源にしよう」というハングリー精神も垣間見える。
だから気に入った。

努力を諦めた私とは全く違っているのは確かだが、求めているのは「自分の満足」という点ではさほど違わないように(勝手に)思っている。

絵を描くのは「自分のため」であれ

ここまでつらつらといろんなことを書いてきて、結局何が言いたかったのかというとこれである。

商業イラストレーターとなり、自分の絵で他人を喜ばせ報酬をもらうことに喜びを感じるもよし。
アマチュア絵描きとして、自分が楽しいと思う範疇でのんびり絵を描くもよし。

しかし、どんな道を辿ったとしても、根幹にあるものが必ず「自分のため」でなければ、創作意欲はやがて腐り落ちて死んでしまうと思っている。

絵描きが共通して持っているのは「誰に止められたとしても、あれを自分の手で描きたくてしょうがない」という衝動だ、と思っている。
絵描きからその衝動を奪い去ってしまったら、きっと何も残らない。
ならば、その衝動をどんな形で持ち続けるか、それが絵描きとしての生存戦略になると思う。

全ての絵描きが「自分のため」に絵を描き続けられる人生であれ。

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