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感想 夜と霧新版  ヴィクトール・E・フランクル ナチスによるユダヤ人虐殺の事実というのか収容所体験を書いた名著として有名な本です。医師という職業もあるのか客観的に描かれていて遠い感じがしました。名著ではあります。

両親と妻をアウシュビッツでなくし、当人も収容所に入れられていた医師の体験談。
あの非道な歴史事件を冷静な筆致で描いています。分析していると言ってもいいと思います。

「自分を待っている仕事や、愛する人間の存在を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するのかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」


これは名言です。
著者はユダヤ人として収容所に入れられ、仕事や地位、妻や両親も失い。自分もいつ殺害されるのかという不安の中、つまり未来に対する希望がない時間を過ごしていたのでした。

そういう人だからこそ、こういう考えに至ったのかと思えます。

生きる意味があるからこそ、人は生きることができるとも言えます。
それを強制的に奪われた人たちのことが描かれています。

筋肉組織が消えていった。そうなるともう身体には抵抗力など皆無だった。居住棟の仲間はバタバタと死んでいった。次は誰か、自分の番はいつまわつてくるのか。誰でもかなり正確に予見できた。


これは飢えの章の記述ですが、収容所内の食糧不足の深刻さがよく表現されています。
ガス室で殺害されるだけでなく飢えでも死んだ人はたくさんいたそうです。


自らの自我までが無価値なものに思えてくるのだ。自ら抵抗し自尊心を奮い立たせない限り自分はまだ主体性を持った存在なのだということを忘れてしまう。



人は生きる意味という支え棒によってシャキッとしているのですが、ただ、腹が減っているだけの毎日は生きている意味など、どこにもありません。


靴があるいはコートが自分のよりまだましかどうか、・・・ギラギラとしてまなざしの吟味にさらされた。


死んだ人たちの残した遺品を漁る様を描いた記述です。
生きるために道理なんて消えてしまう。



自分の未来をもはや信じることができなかつたものは、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的な拠りどころを失い精神的に自分を失い身体的にも精神的にも破綻していったのだ。通常、こうしたことは何の前触れもなく発症した。


ただ飢えている毎日、未来に希望はなく、いつ、自分が死ぬ番になるのかという終わりを待つだけの日々。
本書の優れた点は、ユダヤ人虐殺の悲惨な事実を収容者の心の中から描いた点にあります。

この世界は虚無と似ている。
希望のない世界、それは地獄じゃないかと言った人がいましたね。
まさしく、ここは地獄です。

生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い。生きていても何もならないと考え自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばりぬくことの意味も見失った人は痛ましい限りである。そのような人たちは拠りどころを一切失って、あっという間に崩れて行った。



人は精神で生きていると、この記述を読み感じました。
生きる意味とか、やりがいとか、そういうものが生活の中になくなり、絶望や虚無に支配されると、精神は簡単に崩壊するようです。そうなると、生命すら危険になるのです。

最後に、著者の人間のとらえ方を見ていきます。

人間とは何者か。人間とは、人間とは何かを常に決定する存在だ。人間とはガス室を発明した存在だ、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を言える存在でもあるのだ。

2024 5 15



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