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辛さや痛みを、他人と比べてしまうひとへ

妊娠し、それまで通っていたジムに行けなくなったわたしは、新たにピラティスに通い始めました。

ピラティスではインストラクターさんが毎度「今日の体調はどうですか?」と聞いてくれるのですが、入会初期のある日、「つわりは辛くなかったですか?」と聞かれました。

そこでわたしが、
「他の妊婦さんに比べれば、だいぶ軽い方だったと思います。」と答えると、
インストラクターさんは、
「自分が辛いと思ったなら、辛いと答えて良いんですよ。」と言ってくれます。

そう、たしかにそれなりに集中力や体力が下がったり、体調が悪くて動けない日はあり、心の調子はそこそこ悪かったのです。
それでもなんとか最低限の仕事をしたり食事をとることはできたので、「わたしのつわりは軽い方なのだ」と感じていたのですが、振り返ってみると普通に辛かったのかもしれません。

痛みを主張できない理由

わたしは子どもの頃から、痛みに強い自覚があります。
「我慢強いね」と言われて育ち、それは自分の長所だと思って生きてきました。
妹や友人が「痛い」「辛い」と口にしても、わたしだけは絶対に言ってはいけないと我慢していました。
幼い頃からそうするうちに、痛みを自分の主観で捉えられなくなったのかもしれません。

また、妊娠の諸症状については、「辛さを発信したくない」というポリシーを持っている節もあります。
なぜなら、妊娠・出産・子育てに関するブログやエッセイを読み漁っていた時期、つわりなど体調変化の描写があまりに壮絶で、「そんな思いをするなら妊娠したくない」「妊娠怖すぎ」「子どもが欲しいと思える人はわたしより我慢強いのか」と思ってしまったから。
その恐怖が原因で後々自分の気持ちを捻じ曲げてしまったから、わたしからは他人に恐怖を与えたくないのです。

痛みを他人と比べないためには

「辛いと答えて良い」という言葉は、わたしにとって目から鱗の考え方。
しかし思えば、カウンセリングやコーチングでは繰り返し「その時どう思いましたか?」「今どう感じますか?」と聞かれていました。
当初は「〇〇と比べたら辛くない」と答えてしまっていたけれど、やっと最近「辛い」「悲しい」とストレートに表現できるようになりました。

これからも今感じている痛みや辛さを積極的に発信をするつもりはありませんが、感じること自体を辞める必要はありません。
痛みや辛さを身近な人や、聞き役の第三者(カウンセラーやコーチ)にストレートに伝え、自分の主観を正しく把握していこうと思います。

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