アウトサイド ヒーローズ;エピソード14-3
ティアーズ オブ フェイスレス キラー
吹き抜けの断崖に張り付く街が、地の底へと続く地下積層都市ナゴヤ・セントラル・サイト。その中央部にぽっかりと開いた、一際大きな縦穴。
それは、いまだ発掘が続く文明復興の最前線、最下層まで続く垂直回廊。そして住民から“ステーション”と呼ばれるナゴヤ最大の繁華街。
日がな一日たむろする若者たち、仕事の合間にやってきた勤め人。安全帽を被った発掘作業員たち、更にその先へ降りて遺跡の安全確保と引き換えにオーバーテクノロジー遺物を漁る“遺跡掘り”の独立傭兵。岸壁に沿うように走り、地表と真っ暗な穴底を行き来する大型エレベーター……
ネオンサインが彩る、蛍光色の光の河。目の前にひっきりなしに展開しては消えていく立体映像のコマーシャル。並んだアーケード・ゲーム筐体が一斉に起動し、不協和なコーラスをがなり立てる。人々の話す声、笑い声、遠くで怒鳴り声。
めくるめくような光と音が溢れる繁華街の片隅に、擦り切れたライダースーツ・ジャケットの男がぼんやりと突っ立っていた。まだ十代だろう初々しいカップルが通り過ぎていく。つかず、離れずの距離感を埋められないまま談笑する二人連れの背中を眺めながら、はて、俺はなんのためにここに来たんだっけ……と男が思い始めていると、
「レンジ君!」
背後から声をかけられ、青年はびくりと固まった。
「買ってきたよ!」
フードコートに出かけていた赤いドレスの娘が、両手にカップを持って走り寄って来る。レンジの前にやって来ると、右手に持っていたカップを差し出した。
「はい、これ、レンジ君の分」
「ああ、ありがとう……」
レンジは受け取ると、カップについていたフォークで中身を引っ張り出し、ろくに確かめもせずに口に入れた。途端、舌の上で爆発する違和感に目を白黒させる。
「何だ、これ?」
「あははっ、変な顔!」
レンジの様子を見守っていたナナは、楽しそうに笑っている。
「えーっと……“あんかけイチゴ練乳クリームパスタフロート”だって! 遺跡の底で見つかったレシピを使って復活させたとかなんとか……なんだか人気みたいだから、買っちゃった」
説明をしながら、ナナは自分の持っていたカップから一口。
「うーん? 結構おいしいと思うけど? ……うん、私はまあまあ好きかも!」
「そうか……」
ニコニコしながらパスタの塊を食べるナナを見ながら、レンジはカップの中身を口の中に押し込んだ。食べられない味ではない。けど、控え目にいっても“独特”としか言いようがない。モッタリ濃厚なクリームは練乳の強い甘味と爽やかなイチゴの酸味に彩られ、カップの中でアルデンテのパスタにまとわりつく。パスタの塊が浮かぶのは、強炭酸のソーダ・ポップ。そして上から、僅かに旨味を纏った片栗餡がやさしく包み込む。
噛むたびにひろがる甘味と食感。酸味により僅かにマイルドになったかと思われる異物感は、鼻に抜けるダシの香りによって否応なしに引き立てられていた。なんで俺は、こんなモノを食べているんだろう……
「何でここに来たんだっけ……?」
いわく言いようのない食べ物を飲み込むと、レンジはため息のように声を漏らした。ナナが顔を上げる。
「せっかく新しいサンダルを買ってくれたんだし、お礼をしようと思ってきたんだけど……もしかして、こーゆーところはあんまり好きじゃなかった?」
「いや、そういうわけじゃないが、その……」
「その?」
ナナは小首をかしげて、レンジをじっと見つめている。光が走る瞳から逃れるように、青年は視線を逸らした。
「なんというか、デートみたいで、いいのかなって……」
「ちょっとお、なんでそんなウブなこと言ってるのよー!」
楽しそうに笑うと、レンジの手を握った。
「いいじゃん、デートしようよ、デート! レンジ君は、もう食べ終わった? それじゃあ、今度は、新しいゲームが……」
手を引いて歩きだそうとした時、娘の耳につけられていたインカムが着信音を鳴らす。
「あっ、何よう、こんなタイミングで!」
ナナは文句を言いながら、右手を空中にかざした。立体映像によって、空中に端末機の画面が投影される。サイバーウェアでも搭載しているのだろう。娘はざっと画面に目を通した後、インカムの通話回線を閉じた。
「ごめんなさい、せっかくのデートなんだけでど、そろそろお仕事の時間だって、せかされちゃった」
「いいよ、仕事前にひきとめるわけにもいかないだろ」
「ありがとう。それじゃ……」
また今度デートの続きをしましょうね、と明るく言うと、ナナは空になったカップをバイオマス発電資源の回収箱に放り込み、足早に去って行った。
レンジは人ごみの中で小さくなっていく、赤いドレスの後ろ姿を見送っていた。
背格好も、顔立ちも、なにもかも違うはずなのに……こうも天真爛漫に、積極的に来られると、どうにもたじろいでしまう。
ナナの姿が見えなくなると、レンジは小さく首を振った。ぬるくなり始めたソーダ・フロートの残りを口の中に流し込むと、渦巻く光と音の奔流から逃れるように、薄暗い地下回廊の奥へ歩き出した。
ネオンと映像広告に彩られたナゴヤ・セントラル・サイトにも、灯のともらない領域がある。カネにならない、企業との折り合いがつかない……そんな住民たちが住まう区域からは広告企業も撤退していく。給電権を握るのも、企業だ。残された電灯を住民が勝手に使うことは許されず、一帯は非常灯のか細い光だけを頼りに生きる人々が身を寄せ合う、スラムと化すのだった。
“ステーション”の上層に位置しながらも昼なお暗い、グランドゲート・スラム。外部からの流入民や前科者、薬中、ミュータントらが身を寄せ合って暮らす荒れ果てた通りを、ぱりっとしたスーツに身を包んだ若い女性が歩いている。背筋を伸ばし、胸を張り、両目は凛とした光を湛えて。
娘はところどころが崩れた街並みを見回す。路傍に寝そべっていた老齢の男は、うっとおしそうに寝返りを打って視線を逸らした。懐中電灯を片手に家の前を掃除していた中年の婦人は、露骨に舌打ちをしながら娘を睨む。
懐中電灯の光を浴びて、スーツの胸元につけられた金色のバッヂがキラリと輝いた。
歓迎されてないなあ、当たり前か……
スーツ姿の若い女性、滝アマネは辺り一帯から向けられるとげとげしい気配を浴びながら、尚もスラムを歩き続けた。いかがわしい看板の下をくぐり、足元に転がる異臭を放つゴミ袋をまたぎ、より暗い区画に。
“入口”は見当たらない。でも、これだけマークされていたら、そろそろ……
「おい、姉ちゃん」
背後から呼びかける声。振り返ると立っていたのは、2人の男。筋骨たくましい非ミュータントの男と、外骨格に覆われたひょろ長いミュータント。非ミュータントの男が腕組みをして、「ふうう……」と威圧的に息を吐き出す。
「そんなお上品なナリで、このグランドゲートに何の用だ」
アマネは周囲に視線を走らせた。あきらかに“やる気”なのはこの二人だけ、か。
外骨格ミュータントは神経質らしい小刻みなリズムで触覚を動かしながら、顎を左右に開いて笑った。
「はははァ! 何だよォ、叫んだって誰も助けに来ねェぜ? それよりもよォ、俺たちと“仲良く”しようじゃねェか、なァ……?」
「タワケ、盛ってんじゃねえぞクソ虫が!」
非ミュータントの大男が握り拳で外骨格を殴りつける。ゴン、と鈍い音が響いた。振る舞いはともかくとして、装甲の頑丈さは侮れないようだった。
「いてェよ、何すんだよォ!」
「この女、カタギじゃねえ。二人がかりでいくぞ!」
「えッ、おい、ちょッと……」
大男がアマネに飛び掛かる。外骨格も慌てて相方を追いかけようとした時、
「はっ!」
腰を落として放たれたアマネの正拳が、男の腹筋を貫いた。
「……がはっ!」
「えッ? えッ! そんな簡単にィ……?」
男の体が力を失い、どさりと路上に倒れ伏す。外骨格男は慌てて間抜けな声を漏らしたが、構えを解かずに鋭い視線を向けるアマネを見て、覚悟を決めたようだった。
折りたたまれていた両腕が展開し、肘先から鋭い刃が露わになる。
「ちくしょウ、やってやんぜェ、このアマぁ! ……ほおおわああああ!」
矢鱈めったらに両腕を振り回すと、刃が風を切った。
「ほわあ、ほわッ、はああああッ!」
襲い来る刃をするり、するりとすり抜けて、アマネは外骨格男の懐に飛び込んだ。
「何でェ、何で当たらないんだよォ! ……あ痛だだだッ!」
アマネが後ろに回り込んだ時には外骨格男の肩は釣り上げられ、きつくひねり上げられていた。関節がギリギリと軋む。
「痛い、痛い、痛いよォ……!」
苦しんで力なく藻掻く外骨格男の鼻先に、アマネはカードを突き出した。保安局直属のオフィサーであることを示す五弁の花の紋様が、暗闇の中できらりと光る。
外骨格の男はカードを見るなり固まりついて、細かく震えはじめた。
「そ、それ、は……!」
「手厚い歓迎をどうも。巡回判事、滝アマネです」
アマネがにこやかに自己紹介すると、外骨格男は両腕の刃を引っ込めた。拘束されていない側の手を高く上げ、抵抗の意志がないことをアピールする。
「じ、巡回判事サマが、どうしてこんなトコロにィ……?」
「ちょっと、ね。行きたいところがあって、案内をお願いしたいと思っていて」
アマネがあっさりと拘束を解くと、外骨格男は未だに倒れたままの相方を見捨てて大きく後ずさりした。
「あ、案内ィ……?」
「そう。お願いできるかしら?」
再びにっこり。外骨格男はすっかり震えあがっている。
「ど、どこに行きたいッて、言うンです……?」
「それは……」
アマネが答えようとした時、通り一帯が光に満たされた。強烈なサーチライトが当てられたのだ。外骨格男は「勘弁してくださいィ……」と情けない声を漏らして路面に這いつくばる。
「『巡回判事殿、まずは手荒な歓迎をお詫びしたい』」
光の中、拡声器にのって響く声。ライトの光を背に、無数の人影がアマネを取り巻いていたのだった。
「いえ、こちらとしては丁度いいタイミングで、助かりました」
強烈な光を浴びながらも目をくらませる素振りもなく、涼やかに返すアマネ。周囲からはざわつきの声があがる。
拡声器から僅かに漏れる不満の吐息。サーチライトの光が消えると、アマネの前に立っていたのは青い外骨格に覆われた一本角の男。
周囲には、呪術的フォックス・マスクで顔を隠した黒尽くめの戦闘員たち。その体格はまばら、中には腕や脚の本数が違う者たちさえいたが、皆一様に銃口をアマネに向けている。
リーダー格と思われる一本角の男はハンドサインを出して、部下たちの銃口を下げさせた。
「……どういう事です?」
「皆さんに、案内していただきたいんです。……オオス・アンダーグラウンド・テンプルに」
「何だと? オオスに何があるのか、知らないという事はありますまい」
「勿論、存じ上げています」
呪術的フォックス・マスクの戦闘員たちに動揺が走っている。身を強ばらせる者。自発的に、再び銃を構えようとする者。一本角のリーダーは再びハンドサインを出した。
「諸君、紳士的であるように」
油気の抜けた木材のような飄々とした響きの中に、刃のような鋭さを持った声で静かに一喝すると、リーダーは再びアマネに向き直った。
「失礼しました。では、貴女は……」
「ええ。あなた方、“明けの明星”に御用がありまして。捜査にご協力願いたいのです」
(続)
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