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■解答不能性としての可能とオルターモダンということ
・解答の不能性に到達した現代は、ひとつのアートであり、アートはそのために複数に分かれながらも、そのとおりに分有しあい、循環していく
・言語的到達以前性か以後かは判明していないが、人類の起源と定義が往来する最中に、生命的なものの起源さえ、滲む
・全難民化の理解を促すことは、容易ではなく、働く主婦は、尚持って、なぜ、働く主婦であるのか、を問うことは、そのとおり、そう、そのとおりに困難であるが、その
オルターモダン制作論20240508
・翻訳語の本質は造語である。従って、オルターモダンは、造語、によって力強く駆動される。こと、初期においては、造語、からはじまる
・これが、おそらく、扉、である
・すでに、ニコラ・ブリオーの「ラディカント」の表紙に、偶然か、本質か、視覚的造語が生成されている(おそらく、ブリオーの意志以上に、オルターモダンのトポスが、生成した、ということになる)。日本では、造語を推奨した折口信夫がすでに扉でもある
「線」としての言葉。声の線、手書き文字の線、印刷文字の線 ―ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』読書メモ(2)
ティム・インゴルド氏による『ラインズ 線の文化史』の読書メモ、先日のnoteの続きである。
ラインズとは線のことである。
ご存知、ペンを紙の上に走らせた時にできる、あの線である。
線には二種類があると、ティム・インゴルド氏は書く。「軌跡」と「連結器」である。これについてはこちらのnoteにも書いたが、改めて整理すると、次のような具合である。
まず「軌跡」とは「踏み跡を追跡する徒歩旅行」の途上
あらゆコミュニケーションに対するとあるケンチ
直接的だったり実際的な手触りや触感、実感のあるものを提示したり共有したりするとまず ? が入る
人間は代理や疑似にしか反応しなくなっている 言葉通りの意味で代理や疑似であればまだいいが代理と疑似の代理的疑似や疑似代理であるようなものばかりに反応するようになっており
結局は詐称しか呼称せず
詐称によってしか呼び止められず
詐欺以外の殆どを行わなくなった
直接的だったり実体 実際的な手触りや触感