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友と呼ばれた冬~第31話
9時台はもうピークが過ぎているとは言え、普段は空いている電車を利用している俺にとっては混雑しているように思えた。
車内は一日の活力を充分に備えた乗客しか居ないように見えた。鬚も剃らず、シートベルトのかかる右肩辺りだけが擦れたスーツを着ているくたびれた俺は、さぞ場違いに見えていることだろう。
密集して熱がこもった車内に、足元から上がってくる温風が追い打ちをかけて気分が悪くなりそうだった。
友と呼ばれた冬~第30話
家に帰りクローゼットに押し込んであった茶色の革製のトランクを引っ張り出した。
ソファーに座りテーブルの上にトランクを置いて開けた。中には盗聴器、広帯域受信機、コンクリートマイク、アッテネーター、小型カメラなどのかつて愛用していた道具たちがきれいに収まっている。
俺はその中からマグネットの付いたキーケースを取り出し、ケースを開けて中からGPS発信器を取り出した。
新しい単三電池を入れて電源
友と呼ばれた冬~第29話
休憩を終え、旧甲州街道を新宿駅方面へ向かって走り始めた。新宿2丁目の仲通りが珍しく空いているのを見て、俺は右折して入って行った。
普段なら俺がこの一方通行に入ることはまずない。常に渋滞していて動かないからだ。その渋滞は路地から出てくる客を狙って堂々と停車するタクシーが原因だ。
一般車両が遅い時間にここを通ることはほとんどなく、迷惑を被るのは同業者だけだ。俺はそういう流し方が苦手だった。
友と呼ばれた冬~第28話
「会社は……、所長は大野の捜索願は出さないつもりですか?」
「その話なんだが、お前が帰ったあとに事務員に手続きをするように指示を出していた」
「では、もう届けは出されたんですか?」
「いや、まだだ。肝心の所長の承認印が押されていないと事務員がぼやいている」
「押させればいいじゃないですか」
「昨日、今日と会社に来ていないんだ、体調を崩したって話だが」
「そんな偶然……」
と言いかけて俺は口
友と呼ばれた冬~第27話
千尋を尾行し俺に膝を入れた男、郷田。何者だろうか?
「お前たちの二年後に入社しているな」
梅島は乗務員台帳を見ているようだった。
「今日は当欠しているみたいだ」
「郷田は暫く休むかもしれませんよ」
「顔に絆創膏をつけて乗務するわけにはいかないな」
俺が郷田の顔を傘で殴りつけたことを話すと、梅島が鼻で笑いながら言った。
「梅島さん、郷田の前職の記録はありますか?」
「前職は警備員を
友と呼ばれた冬~第26話
「もう一つ大野に取っては不運な事が重なった」
梅島が言いにくそうに付け足した。
「その頃、所内で夏風邪が流行っていて俺も事務員もかかってしまった。当直の者から事情を聞いて大野のクレームの対応をしたのは所長なんだ。あの人は出世街道から外れてうちに飛ばされたんだが返り咲きを狙っている」
「本社に漏れたら終わり、と言うことですか」
「あぁ、相手の条件を全て飲んで内密に処理をしたらしい。実はこの件
友と呼ばれた冬~第25話
昨日の休日にまともに身体を休めなかったツケが夜になって回ってきた俺は、新宿御苑の大木戸門の前に車を止めて休憩に入った。
外に出て新鮮とは言えない新宿の空気を吸い込み身体を伸ばすと、御苑からヒマラヤザクラの花びらがヒラヒラと足元に舞い落ちてきた。
都心から新宿に入る実車のタクシーが旧甲州街道をひっきりなしに走って行った。都内だけでも約300社の法人タクシー会社があると言われている。すべての会
友と呼ばれた冬~第24話
すべての映像を見終わると24時を回っていた。大野が隠し持っていたこれらの映像には共通の特徴があった。
車内での男女の睦言。ラブホテルを利用している証拠。そして最後は男の家が判明している映像記録で終わっていること。たった一点だけ異なる点があった。大野の映像だけが本来保管されるべきクレームの映像だったことだ。
大野の対応がどうだったにしろ客のあの剣幕ではクレームになってもおかしくない。だが他
友と呼ばれた冬~第23話
突然失踪した大野の顔をこうしてモニターで見ても感傷的になることはなかった。服装の乱れた大野と客に謝る姿、男たちの怒号が大野の失踪にますます不穏な影を落としただけだった。
このクレームの決着がどうついたのか気になったが、梅島からはまだ連絡はなかった。梅島に電話を入れようかと考えたが時間を見て思い直した。梅島は乗務員ではない。もう寝ている時間だ。
次のファイル ”n20150801”を再生する
友と呼ばれた冬~第22話
その映像は歌舞伎町の一方通行を走る大野の車の前にホスト風の若い男が飛び出してくる直前から始まっていた。
歌舞伎町のホスト達が住むエリアは面白いほどに明確に分かれている。稼ぐものと稼げないもの。数名で乗ってくる場合が多く、車内の会話も両者でははっきりと違っている。
稼いだ金をどう生かすかについて議論する”稼ぐホスト”と、貢がせた金だけで暮らすことを自慢する”稼げないホスト”。彼らの会話は成
友と呼ばれた冬~第21話
第三章 パズルのピース
部屋に戻り大野のノートパソコンの電源をもう一度入れてみたがやはり電源は入らなかった。
大野のアパートのインターフォンは壊れていたのではなかった。故意に中のコードが切断されていて鳴らなかったのだ。大野に似つかわしくないその細工が気にかかっていた。インターフォンと同じように壊れて機能しないノートパソコン。
俺はノートパソコンを裏返してみた。思った通り充電池が入っている
友と呼ばれた冬~第20話
「悪いが新宿まで戻ってくれ」
「わかりました」
ドライバーは諦めたように返事をして青梅街道を上り始めた。車窓に雨がまとわりつき何もかもが歪んで見えた。ひどい気分だった。負の感情を締め出す必要があった。あの男の顔に傷をつけてやったと思うと少し気分が良くなってきた。
「西口に着いたら声をかけてほしい」
ドライバーにそう告げて目を閉じてみたが興奮した頭は冴え、眠りを拒否した。あの時、千尋は交番
友と呼ばれた冬~第19話
自分が尾行されていたと分かったら大人でも恐怖を感じるものだ。今になって怖くなったのか千尋の足の震えは止まらなかった。あの時、千尋はすぐに俺の所へ戻ってくれた。いつだってこの子は自分の事よりも他人を思いやっている。
俺はどうだ?
タクシーの窓に反射した醜く歪む男の顔が憐れむようにこちらを見ていた。
”まるで尋問のようじゃないか”
そう言われているような気がした。
”優しさをは
友と呼ばれた冬~第18話
中野坂上の手前から渋滞が始まった。
「左車線に入ってくれ」
交差点に左折の車がいると直進車が詰まるのはわかっていた。直前で右に戻れと指示する客も居る。そうすると中野坂上の交番の目の前で進路変更禁止の黄色い車線を跨がなければならない。タクシードライバーに取っては迷惑な指示だ。
「詰まったらそのままで構わない」
俺の言葉を聞いて運転手は左車線に入った。後ろを振り返って確認したが不審な動きを