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持たざる者の戦い方

昨日は母の日と言うことで娘と一緒にご飯を作ったりカーネーションを買いに行って来ました。私からはプリンをお取り寄せしておいたのでそれをみんなで食べました。オムハヤシライスを一緒に作ったのですが、ニトリで購入した子ども用の包丁がええ感じです。


うちで主にやる行事はひな祭り、ハロウィン、節分、クリスマス、誕生日、母の日、年越し、あとお正月に妻の方の親戚の集まりに参加させてもらっている感じです。あとは敬老の日とかも義母に何かするようにしています。


一年での行事は積極的にするようにしています。妻に教えてもらったりネットで調べたりして手探りでやっている感じです。私は幼い頃にほとんどこのような行事を家でやったことがないものでして。ひな壇や兜も鯉のぼりも見た事が無いですしクリスマスツリーもないです。朝ごはんも食べた事がないんですよ。時代もあったとは思いますが、私の過去の話に書いている通り母親が男の所に行ってて家におらず1人だったもので本当知らないことだらけでして。なんかくれたりはあったんですけどね。その行事をするとかの経験がないんですよね。なので、色々とやっていますが未だに


見よう見まね感が抜けない



のですよ。経験したことないから


こ、こ、こんな感じかな?



みたいにオロオロしながら探り探りやっております。合ってるのかよくわかりません。こればっかはどうしようもないですね。なんかこう


よそ者感が拭い切れません



幼い頃の経験から自分が大人になった時に子どもに同じ事をやるみたいな繋がりが私には全くありません。なんせGoogleで検索した思い出と経験しかこちらは持ち合わせていませんからね。妻は全て経験して来ているのでどうするものなのかいつも聞きまくっています。母の日も私はカーネーションをお小遣いから一輪毎年買っていたので、それを子どもに伝えて今日一緒に買いに行きました。この経験も誰かに言われたり聞いたりしたものではなく、1人で考えて自転車乗って買いに行っていたのでこれでええのかようわからん経験ではあるんです。正月に親戚と集まるとかも初めての経験で最近やっと慣れて来ましたね。


いや本当行事の度に難しいなぁ〜っと思う訳なんですよ。私は知らないし経験したことがない訳ですが、娘は違う訳じゃないですか。娘が経験した事を次に伝えたりそれが思い出になって娘の一部になったりする訳です。正直本音を言うと毎回申し訳ないなと言う気持ちがあります。後ろめたさがあるんですよね。めっちゃ


娘の思い出の行事はほとんどGoogleから出て来てるけどええんやろうか••



とも思うんです。まあこればっかはどうしようもない訳ですけどね。ただ、


こんな行事とか経験した事がない親でごめん



っといつも思います。自分もうまく笑えているか、楽しんでいるか、そういうことばっか考えてます。子どもの時に経験していなくていきなり大人でやっているものでなんかこう


おじさんがいきなり初めてプラレールで遊ぶ


みたいな感覚があるんですよ。いきなりおじさんからプラレールやっても中々全力でいけないじゃないですか。非常にわかりにくいですがそんな感じです。せめてそう子どもに感じさせないよう頑張ろうと思っております。全力でプラレールで遊べるおじさんになるのがベストなのですが中々ハードルが高いんですよ。結構難しいです。


たまに全部を経験していて思い出や写真も沢山ある妻が眩しく感じる時があります。私は幼い頃の写真も何も持っていないので娘の写真は沢山撮って飾っています。


色々と書きましたが、全然悲観的でも後ろ向きにも考えてないんですよ。


持ってない者の戦い方はこうや!



って言う自信も確信もあります。持っていないなら自分で作っていけばええんや〜っとも考えておりますが、持っている人が自然と振る舞っている姿を見ると大きさが違いすぎて眩しく感じる時があります。ただ、逆に私にも出来る事はあると思っていて娘が大きくなった時にはこの事を伝えたいと思っています。それが私に出来る唯一の事かなと思っております。悲観的に考えている訳ではなくこうやって考えられる事が幸せやなと感じております。


桜もちって関西と関東で違うの知ってましたか?関東の桜もちどら焼きみたいな桜もちで関西の桜もちの名前は関東ではなんか道明寺みたいな花より団子に出て来るキャラクターみたいな名前してるんですよ。ほんまわからん事だらけですわ。

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