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キャスター→Webデザイナーのストーリー

あけましておめでとうございます。
異色のWebデザイナー・あゆです!

初めての投稿となります!

SNSでの肩書をこのようにした理由は
私は、ある意味で「異色」のWebデザイナーだと自負してるからです!
ということで、自己紹介を兼ねてこの肩書に行きつくまでをお話ししていきます。


ChatGPTで生成した、わたしっぽいイラストです笑

【Webデザイナーになる前の話】


私は物心ついたときからアナウンサーという仕事に憧れていました。
幼いころからテレビ大好きっ子だったので、テレビという箱の中でしゃべっている人がとってもかっこよく見えたのです。というのが表向き。

実際は、承認欲求というのが大きかったかもしれません(苦笑)
元が結構目立ちたがり屋の性格ですが、真面目系。
それゆえか、中学校時代はスクールカーストでいう最下層の人間でした。ひえええ。イケイケ系の中にぽつんといる真面目系女子が私。これがまた辛かった。ことあるごとに泣いていたかな…ははは。
真面目系女子でも、ある程度コミュニケーション能力があったとしたらマシだったかもですが、しゃべろうとすると緊張してあうあうしてしまう感じ…。(しゃべること自体は好きなんだけど、下手すぎたんですよね、トークが😂)そりゃあ、イケイケ系から馬鹿にされるか…。
それで、3年間過ごした私は、いつしか「検索したら名前が出てくるぐらいの人になったとしたら見返せるかも…?」「私がテレビでバリバリ活躍したら、驚くんじゃないか」という思考に至りました。

・・・これが、「アナウンサー」というコミュニケーションと知力を爆発的に掛け合わせた職業に挑戦するという行動につながったのかも。


【思うは招く】

さて、高校、大学と上がった私は、ありがたいことに友達に恵まれました。
(やった…!)
そして、いろんな所で「自分は未来の女子アナだ」と語っていたんです。語るだけでなく、いろんなところに書きまくりました。たとえば、ゲーム。ゲームでアカウント名とか、決めること結構ありますよね?
当時プレイしていた「どうぶつの森」には、村名に「じょしアナ」。プレイヤーは「あゆぱん」。
あとはLINEのユーザー名ですね…。「未来の女子アナあゆぱん」でした。いまは恥ずかしいから変えましたけど。もう、そのまま笑

本当に、自分はアナウンサーになると信じていました。
むしろ、「思い込んでいた」みたいな感覚です。

それで、就活に突入…。結構苦戦してしまいましたが、秋の終わりにNHKさんから契約キャスターとして合格をいただき、大卒から2023年3月まで、6年間契約キャスターとしてお仕事をさせていただきました。

すごい、夢が叶った!!!!言霊だ!


【生き残るためのクリエイティブ】

念願叶ってテレビのお仕事に就いたものの、ニュース読みはへたっぴ。
番組進行中も、天気予報も噛む、噛む、噛む、嚙みまくり😂
(本当に申し訳ございません。)
努力が足りないんじゃないか…、と言われたらおしまいなのですが、
どうしても上手くいかなかったのです。
どうしても噛まずに終われなかった…!
当然クレームも来ました。クビも覚悟。
この時は言霊の力を借りることも忘れ、焦っていました。

そしてある時、「しゃべり以外で生き残る方法はないか?」と考え始めます。それで目を付けたのがスーパー素直さとモノづくりでした。
もともと美術や工作は好きなほうだったので、作りまくりました。
当時、私自身お絵かきアプリのibisPaintを使い始めた時で
番組に使えそうなものをたくさん描いて、印刷して、作りまくりました。当(時の制作物は、インスタのハイライトでも少し見られます。)

それが、自分でいうのもアレですが「ハマった」んですよね。
もう、局内でも「モノづくりといえば西野」、みたいなポジショニングが取れてだんだん自分でも「西野アートセンター」と名乗るようになりました。
そして何が起こったかというと、モノづくりを通して、「笑い」が取れるようになったんです。これが大きかった!!「よし、モノ作って笑い取って、ほかの人がしないようなことをしよう」と考えるようになりました。もちろん、視聴者からは賛否両論あったかと思いますが、少なからず喜んでくれる方もいたと記憶しています。
これがキャスター生活、生き残るすべの一つとなり、トータル6年間、夢だった世界に身を置くことができました。

この6年間で、
・北海道の各地を旅リポーターとして巡り、
・テレビ・ラジオの定時ニュース担当、
・胆振東部地震発生時の中継
・お昼の情報番組MC
・インタビュー
など、いろいろ経験。
(こういう経験をしているWebデザイナーは他にいないんじゃないかしら…。)
これらすべてが、今の私を作りあげています。


【モノづくりのほうが楽しくなってきた】

キャスター時代、いろいろメンタルの不調などもありましたが…。
この時に自分を助けてくれたのも、モノづくりでした。
や、引き寄せたんでしょうかね?不調のタイミングで
とあるオンラインスクールを受講を決め、
Webデザインを学んだらまあ楽しい!名前は知ってたillustrator、Photoshop、そしてFigmaを使えるようになり制作物の幅が広がりました。
そして、「街にある広告やHPを作れるってかっこいいじゃん!!!」とここでまた承認欲求強めな性格が出てきます笑

6年夢だった世界にいられたし、また挑戦してもいいんじゃないか?と
ここで心を固め、トントントンと準備を進めていきました。
この時の私に迷いはありません。

思い返せば、「西野アートセンター」と名乗り続けたことはある意味言霊だったのかもしれません。だって、自分自身「西野アートセンター」であると疑わなかったから。


【異色のデザイナー誕生】

ここまで読んでくださったあなたは、「あ、異色ってそういうことね」って感じていただけたかな?
晴れて、現在はWebデザインの世界に身を置いています。キャスター時代の経験も、デザイン制作する際に活きていると信じています。

私の経歴は、一見、一貫性がないように見えるかもしれません。
でもね。人生において、一つの道を歩むだけでなく、様々な分野を経験し、学び、夢を見てもいいじゃないかと思うんです。

2024年1月1日、この日が皆さんにとって、新しい何かを始める素晴らしい日となることを願っています。

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