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祀るということ

四十九日を終えて…

母やきょうだいが位牌が欲しいということで。
じゃ、お寺ごとをしたかったのかなぁ…と思ったら、「それはできない」と返ってきました。

「一周忌までのお寺ごとはお願いしたいけれど、仏壇は母の元で飾ってやりたいので位牌が欲しい」と言われて。ふーん。

私は全くもってこだわりはなく、「どーぞどーぞ」という気持ちでした。


あの、ツヤッとした塗りのお位牌が、やっぱり現代の暮らしにはなんとも神明にさせるというか、「祀る」「祈る」「手をあわせる」ことの敷居を高くしている気がしていたからです。


あと、四十九日までもやってきたし。一周忌まてやるのも別に作業的には困らないし。

逆に遡れば、介護の方が数段大変だし、介護も本人が状況を受け入れて前向きになるまで、母がいて精神的に落ち着かない時期の方が策がなくて大変だったわけで。

一周忌に納骨をして🙏一段落着くことがわかっていてお世話できるなら、ちょちょいのちょいでやりますよ。


ただ、ふと、その作業性とか、お世話に従事する時間の積み重ねが、お位牌とかに手をあわせるとかお線香を立てる気持ちに繋がるので…
そこを中抜きして、位牌や仏壇を飾るのは嬉しかったりするのかしら?
するんだねぇ、へぇー😑
という気持ちにはなりまして。

こりゃ、永遠に共感をしあえない関係だなぁと思った次第にございます。

ま、それは、互いにそこそこの距離を持って、勝手にやればいいことで、そういうもので互いが幸せに近いならそれでよいことだなぁと、思っています。


さて、私が位牌や仏壇を預かれないとわかると、周りの親族は気の毒がってくれました。

が、本当に私には必要なくて、気にもしてないことでした。

なぜなら、、、

松尾潤 作 干支の香合
父の干支 🐒


家族がガッタガタになっていて、葬式や墓や仏壇がどうなるかわからないときに…
父の位牌代わりになればと…

松尾潤さん作の香合を買っておいてました。
かわいい😍素敵すぎる!

父と母の干支がインテリアにそっと並んであるとかわいいかなぁと思っていたんです。

なんなら、これを早く飾りたい!

そんな野望があったので、全くもって寂しくもつらくもなく。ま、これがなくても、庭の木々にも田畑にも、「オレオレオレ」と父が存在しているので、全くどうでもよろしい気分なんですね。


ただ、形がないと…
先祖への思いや感謝を、だんだん人は忘れたり怠けたりしますので、なんらかの目印はいるかなぁということではないのかなぁと。

あと、老いることや死ぬまでの困難を忘れて、意地をはったり迷惑をかけたりするんだろうか?と思うので、なんらかの印や重しがいるのかなぁと思ってたんです。



で、たまたま
NHKで高山なおみさんの神戸の暮らしを拝見しまして


その中に出てくるお母様を祀るコーナーが素敵で。これだ!と思ったわけなんですね。


考える。暮らし。『雛形 hinagata』

さんでも、お母様とのことを話されています。

お母様との思い出のかわいいお品を飾ってらっしゃって、お花はコップに道草の花だったりして。なんにも気取りがないのです。


日常に溶けこむ祈りであれば、一日に何度もいのってもさぼっても、時間にも気持ちにも嵩張らないし。何日毎に、お寺がどうとかこうとかも関係ないし。行きたいときに参っていいしとなるわけで。

逆に心の不安を取り除いてくれそうな、生きているものに寄り添ってくれそうな感じに祀ることができそうで、私は、1年後が楽しみで仕方ないのです。



お祀りの余談

たまたま、別件でいらした近所の方と、
「ネズミが2階にいてねー」なんて話をしていたら…

「あんた、お膳ちゃんと引いてる?」
と言われまして。

「いや、毎日お供えしろって言われたから置いてるよ」
と答えると…

「あかんで。やられるで。水も置いたらあかん。お膳は朝一置いたらすぐひいて、すぐ自分で食べる。お菓子も缶缶とかのやつ。水もダメ。その代わり花は毎日な。もう、うちなんかイタチが入って、仏間〜玄関先まで、ご飯もお菓子も引きずられてめちゃくちゃなってんから。四十九日過ぎたから、ずっとおかんでいいから」


なるほど…
これまでは、お線香を絶やすことがなかったし、灯りもずっとつけてたし、寄るに寄れなかったわけだ…

今日から、ご飯は朝一のみ。

お菓子…
缶缶クッキーとかは今ないなぁ…


で、小さい蝋燭を入れてた陶器の入れ物ボンボニエールを見つけて…
どら焼きを一つ入れてみたら…
シンデレラフィット🤩

THE どら焼きケース!
日中〜翌朝は、こんな感じで
挨拶だけ☺️

しばらく、お菓子はこん中から食べてねー

ということにあいなりました☺️

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