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おしゃべりな僕と写真たち

関西で生まれ育ったからなのか、見てきたテレビや友人たちとの中学、高校での生活の影響なのか、昔から僕はおしゃべりです。

小さな頃、学校であった出来事や帰り道に見つけた面白いことを両親に報告することが楽しくいつも喋っていました。
友人たちとの会話も絶えず、文字の通り、会話を楽しむ、という思春期を思い出します。

その根底に、何か面白いことがあれば誰かと共有したい、という気持ちを常に持っています。
これは今でも変わらず、通勤中の出来事や子供たちとふれあう中で起こったことを妻になんとか伝えたい、と「ただいま〜」のすぐ後に「今日の電車で〜」と話始めます。

今、カメラを持ち出して、何かを写真にする、ということの自分のベースは、身近にある面白いこと、を見つけて、誰かと共有する、ということだと思っています。

ルーツとなった関西での幼少期

幼少期に過ごした京都、大阪ではお笑い番組がテレビをつければやっていて、小学生は土曜日の午前授業が終わったら帰宅して昼ご飯を食べながら吉本新喜劇を見る、とコースが定番だった気がします。

自分にとってのヒーローは中川家の礼二さんや、矢野兵藤の兵藤さん、新喜劇の小籔さんでした。
とにかくテレビをつければ、身の回りで起きた出来事をオチをつけて面白く語る芸人さんの話し方がベースになり、同じようにおしゃべりをする友人が学校にはたくさんいました。

同じ人間なのに、普通に過ごしていれば見逃してしまうような小さな出来事に興味を持ち、観察して、人に言葉で伝える、という、人と違う目線をもつ、ということに憧れを持っていたのだと思います。

彼らは言葉を手段として場面を想像させ、話の順番、言葉選び、擬音を混ぜながら巧みに笑いに導いていきます。
淡々と語る人、強弱をつける人、楽しい擬音をつける人など、表現の方法は多種多様です。

好きでも上手ではない僕

ただ、自分の場合はおしゃべりが好き、と言っても話すのは下手くそです。どういう状況なのか、を細かく伝えようとしすぎて言葉が増えすぎてしまい、前置きが長くなって、なかなか本題に入れない、ということが多々あります。

関西にいる友人は同じ環境で育っていることもあり、「ほんで?」と相づちを打ちながら待ってくれますが、関西を一歩出ればそんなに待ってくれる人は多くありません。
関東で生まれ育った妻も、ちょっと長くなると「何の話?」と結論を急かされます。
オチをつけて話したい、というのは封印することにしているのです。
ちょっと寂しい。

本当は表現として言葉だけでなんとかしたい、という気持ちもあるのですが、もう一つの表現として掛け合わせているのが写真です。
僕にとっての写真は現実的に場面を切り取り、リアルさをもって相手に伝える、という特性をもった表現の手段です。

風を表現したいときに撮った写真

小さな話ですが、2024年4月は例年よりも桜の開花が遅くなりました。ただ、その分、新しいランドセルを待ちかねていたかのように入学式の時期に満開となりました。
近所の桜が綺麗なので、家族一緒に散歩して見に行こう、と誘ったときの話です。

東京には有名な桜の名所が多々ありますが、毎日通勤で使っている道に桜があり、満開となった桜はトンネルのようにアーチを作り、まっすぐの道の先には踏切を電車が横切ります。
住宅街の中の桜ですが、見応えがあるので妻や子供たちにも見てほしいと思ったので、満開になる前に「この場所の桜が綺麗だから、週末晴れたら見に行こう」と誘っていました。
ただ、足を向かせるだけの魅力を伝えきれなかったため、前のめりではなかったのですが、こんな場所だ、とスマホで写真を撮って帰りました。

見せた写真は下の方に載っていますが、文字だけで想像してから見て頂けると嬉しいです。

こんな写真でも、子供たちは「どこどこ?行こうよ!」と乗り気になってくれたのが嬉しかったです。

写真を選ぶ理由

あくまでも個人的な考えにはなりますが、表現手段としての写真は感情が入らず、現実的で、瞬間を切り取るリアルさが魅力だと考えています。

表現の方法は他にも絵画、音楽、言葉、造形など複数の選択肢があると思っています。ただ、写真以外の表現方法は事実が人の身体の中を通り抜け、全く異なる絵、音符、文字で出力される事になります。

世界をどう見ているのか、という点においては、自分の目で見たものを表現するために絵の方が良い人もいれば、漫画にする人、音楽にする人、言葉で伝える人、様々です。

他の表現を否定するわけではなく、人間の目で見たままに近い出力をする表現方法は写真、或いは映像のいずれかだけだと考えています。

気持ちよさそうなベンチ

おしゃべりな僕にとっては写真は相性が良いです。
旅先で素晴らしい景色に出会ったとき、友人たちに共有するため、どんな旅行であったのかを語ります。ここでイメージを膨らませてもらい、こんな感じだったんだよ、と写真を共有する。

恐らく自分の中では、芸人さんが出来事を言葉で語り、笑いまで持って行くプロセスを、言葉と写真を使って再現しているのだと思います。
写実的に絵を描いても良いのかもしれませんが、現実そのものを持って帰るには写真か映像しかないよな〜と。

感動や興奮、悲しさ、喜びなどの気持ちを、言葉を含めて写真で伝えられたら、というのが私なりの写真を撮る理由になります。

とはいえ、お話させていただける機会を写真を見て頂く全員と持てるわけでもないので、写真で誰かに何かを伝える技術を磨かないと、いつまでも無口な写真は自分らしさのある写真に感じられません。

今日もカメラを持ち出して、面白いことを見つけてきたいと思います。

家族に見せた写真
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