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最後の審判

気が付いた時、ベッドの上で目を覚ました。長い間、ぼやけた頭でこの状況を理解しようとなにかと一生懸命になってみたが、頭痛がして、なんにも集中できない。部屋はあまりにも真っ白。ライトのようなものがあるわけでもなく、不思議と真っ白だ。部屋をやっと確認できた後、ここに来る前の最後の記憶を探ろうとした。

「ああ。」

溜息に似た音が出た。僕は確か死んだ。事故だった。でも「事故」がどんな風だったかは確実に言えることができなくて、やっぱりぼんやりとしか思い出せなかった。「死んだ」という事実だけが、目覚めてから最初の確信だった。

「おや、目覚めましたね」

そばに人がいることにやっと気づいた。一目見て、彼が何なのかが一瞬で理解できた。天使だ。不思議だ、死後の世界を信じてなかった僕にとって、目の前にいる天使が、まあ、どっちが正解でもよかったのだろうけど、一つの正解だった。極楽浄土のような日本的なものじゃなかった。正解は、西洋的な天国と地獄のようだった。

「ぐっすり眠ってましたよ、さあ、これから審判です。」

「審判?」僕は、たしかにそういうシナリオがあったなと思い出した。その瞬間すこしだけ恐怖のようなものを感じた。

「天国か、地獄か、組み分けをするのです。生前、どこかの宗教家が言ってたでしょう、あれです。」

「ここは、一体どこ。」

「まあ、天国でも地獄でもないところです。長かったんですよ、人類が全滅するのは。この宇宙の人類は、実に。」彼はため息交じりに答えた。「さあ」と言いながら天使は僕を起こした。

「審判は一大イベントです、人類にとってはね。僕たちにとっては、あまりにも大変な……とっても大変なんですよ、皆の身長を測らなきゃいけない。」彼は愚痴を漏らしながら僕をこの部屋の外へ案内した。

部屋を出てすぐのところ、急に騒音のようなものが聞こえてきた。ライブ会場のように、いやもっとうるさい、人々の声の塊がどっと僕の鼓膜に衝突した。

「待機列です。」

全人類の待機列だった。僕は、あまりの壮大さに口を開けたまま立ちすくんだ。こんなんじゃ、審判されるまで何日かかるんだろう。

「審判までの順序はこうです。まずそこのシャワールームで体をよく洗って、次に身長を測ります…」

「身長?」

天使はため息を吐いた。

「もう何億回目ですかねその質問は、みんな同じように質問しますが、もう説明するのもおっくうなので……」少し怒ったように答えた。

審判に必要なものは、なんて言うか、「徳」のようなもの以外にも、身体的な、詳細なデータが必要なのか。

「身長を測り終えたら、待機列に並んでください。」

「え、それだけですか。」

「それだけです。」

「なにか、あの、生前やったこととか質問とかは無いんですか。」

「え、ああ。なるほどね。いわゆる『徳』のことでしょう。大丈夫、あんまり心配しなくてもいいんです。」彼は微笑みを浮かべて、答えた。

僕は少しだけ違和感を抱えながらシャワールームに行き、身体を洗った。質問の答えにあまりなっていなかったような気がしたからだ。まあ、超自然的なこの場所のことだから、全人類を観察するようなシステムがあるんだろう。でも、一番不安なのは地獄行き、ただそれだけだ。地獄行き。僕には心当たりがあり過ぎる。生前、社会的貢献のような何かをしたわけでもなく、ただただ、無機質に生きてきたような気がする。でも、高校時代は夢も多少あった。友人のマサヒロと夢を語り合ったのを覚えている。僕は医者。マサは政治家になりたいって言ってたな。みんなを救うヒーローになりたいって言ってた。そして彼は政治家になった。いい政治家になってた。マサは、確実に天国だ、間違いない。僕はだめだな。医者になれなかった。努力もしなかった。きっと地獄だ。諦めのようなため息が出た。

シャワールームから出た。

「きれいになりましたね。ここの水は良かったでしょ。あなたたちの宇宙では情報量を削減すべく、最小単位の原子で世界を構築しましたが、ここはもう無限大の情報量を納められるので、最小単位なんてものはないんです。だからサラサラだったでしょ。」

僕には彼の言うようなサラサラは感じられなかった。あんまり変わりがないような気もした。

「さあ、身長を測りましょう、あっちです。」

そこは保健室みたいなところだった。いや、かなり広い、とてもひろい保健室だ。全人類がすっぽりと収納できそうなぐらい広い。僕もある列に並んで、待機していた。すると、後ろから何やら聞き覚えのある懐かしい声が聞こえた。

「なあ、おい、おまえショウタ?」

僕は振り返った。マサだった。僕は一瞬、暖かな気持ちになって、彼を抱きしめたいような気分に駆られたが、やめた。彼の顔立ちはすっかり政治家だった。僕は自分の一生を無意識に一瞬で比較してしまってとても惨めな気分になった。

「ああ、マサ、元気そうだな。」

「お前は、なんか元気ないようじゃないか。」

「なんでもないよ。」

この長い待機列で、待ち時間に世間話をする気も起らなかった。彼の話はきっと、僕の一生を虚仮にする。彼に悪意はなくともだ。だから、そのような話を僕は、絶対に、聞きたくなかった。

「天国に行けると良いな。」マサは、僕のことを察したかのように言った。彼は笑っていた。その笑顔が、僕には嘲笑のように思えて仕方がなかった。

「そうだな。」

僕の番が来た。

「はい、ここに立って。背筋まっすぐね。はい、176㎝。」

「相変わらず高いな。」マサが言った。彼はいつも自分が160㎝だったことを心の隅で悔やんでいるようだった。

「うん。」

ふたりの測定が終わって、ついに審判の待機列に並んだ。マサは僕の前に並んだ。かなり長そうだ。気が付くのがかなり遅れたのだが、ここには空腹が無い。だから食べ物を食べなくても一ヶ月や二ヶ月、それ以上生きることができる。最前列に近づくにつれ、人々の悲しみの声や嬉しそうな声が聞こえてきた。その声たちによって、僕は覚悟を決めなきゃいけなかった。そして、一番怖い、地獄がどんなものか想像した。そのたびに僕は足が震えた。

「マサ、お前は絶対天国だ。」

「どうした。おまえ。」

「マサ、僕は、生きてる間、何にも残せなかった。」

沈黙した。その沈黙にも関係なく人々の喜怒哀楽が騒音で聞こえてくるので、ぼくはとても正気でいられず、耳を塞いでしまった。

「もうやめてくれ!」

「おい、ショウタ!大丈夫だ!お前は絶対天国に行ける。」

「嘘だ、絶対に嘘だ。僕はいいことも悪いこともしてないが、君は良いことだけをやってのけた。立派だ。僕は、絶対地獄だ、地獄行きなんだ!」

マサが僕を抱きしめた。その時懐かしいにおいが漂ってきた。高校時代、彼と共に過ごした、青春によく似た匂いだった。その熱いぐらいの温度に、僕はついに涙を流してしまった。涙を流しても僕の運命は変わらないのに。こんな安直で掃いて捨てるほどあるような、友情におけるドラマチックな展開でさえ、ぼくは恥ずかしげもなく涙を流した。マサは、ずっと抱きしめてくれた。

涙が止まって、それなりの覚悟が付いた。もう受け入れよう。マサの審判が次に迫ってきた。

「行ってくるよ。」

僕は返事をしなかった。あの落ち着き用は、もう確信を持っている証拠だった。僕は忌々しい気持ちだった。さっきまでの涙が恥ずかしくもなって来たのだ。ああ、この感情があるのは悪か?誰だって醜い感情はあるに決まってる。それを隠すか、ひけらかすかの違いだ。自分の自制心が強いか強くないかの違いだ。僕の番が迫るにつれて、今まで考えたこともなかった善悪について考え始めた。でもそれも取るに足らない。でも、少しだけグレーな気持ちになった。良いことも悪いこともしていないのは、果たしてどっちなんだろう。その不確定さが、一種のギャンブルのように、一世一代の賭けのように僕を不安にさせる。

「君が香川正弘ね、うん、地獄行き。」

マサの顔が、一気に変わった。何もかも順風満帆で、絶望など見たことのないマサの、僕が初めて見た彼の絶望の顔だった。僕も、信じられないような気分になった。

「え、え?え、どうして、どうしてですか。」

「いや、わからないの?」

僕にもさっぱりわからなかった。

「わかりませんよ!ほら、もう一度確認してみてください、間違えてるかもしれませんよ、ほら、きっと違う人です。そうにきまっている!」

「いや、確実にあなただ。」

もう見ていられないくらい、マサは叫び始めた。こんなマサは初めてだった。恐怖に足が震え、人間の感情が純然たる塊となってそこにあるかのようだった。

「なぜだ!僕は政治家だぞ!たくさんの人の困難を解決してきた!解決に尽力してきた!そんな俺がなぜ、なぜ、なぜだ!」

「いや、ごめん、静かにしてください。」

天使が駆け寄って、暴れるマサを制した。マサが地獄。マサの言ってることは確かに本当だった。あいつは確かに人々の困難を解決しようと必死になって解決しようと、その人生をささげてきた。じゃあ、なぜ。彼ほどの人間が地獄行きなんだったら、僕はもう確実に地獄じゃないか。でも、マサも一緒なら、もうどうでもいいや。ざまあみろ。

「お前たちの善悪はなんなんだ!いったい、なぜ!俺は地獄なんだ!」

審判の天使は何食わぬ顔で、いや、マサの疑問自体が不思議であるかのような顔をして言った。

「いや、ね、そりゃあ身長が低いのは悪でしょ。」

マサは、その一言で、抜け殻になった。そして天使に引きずられて、地獄行きの部屋に行ってしまった。

「ふう、なんでなんだろ、人間はおかしいね。身長が高い方がいいよね、ね?品質的に。あ、君が原田翔太さん?君は天国ね。ハイ次。」

天使はタバコを吸いながら答えた。僕は、あまりにも事務的に終わった審判にあっけなさと、ひとつの安心を覚えた。

「僕が天国。」

僕はにやにやした。でも、天国の部屋を見た時に、その安心も終わりを告げた。僕はいい品質の家畜だった。