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絵を描くこと

夜中にポテトチップスを貪るのと同じような感覚で、パソコンの前、あるいは画用紙やコピー用紙の前に座り、とにかく1本2本線を引いてみる。それが何に見えるか最初は分からないけど何か見え始めるまでとにかくぐちゃぐちゃに線を引いてみる。その度にどんどん線が重なり太くなっていってくるけど、確実にアイデアの霧を高純度の水滴にしている実感を感じる。出来上がった太い線の絵を、今度は消しゴムを使って削って行く。水滴の中の不純物をさらに取り除いていく。理想の線の幅に限りなく近づいて、もうこれ以上削れないところでこの作業は終わる。

ペン入れ。荒く、たくさんの線の束から1つの線を選び抜いて引いていく。それは霧のように存在する「可能性」の線から1つの事実として収束させるようなもので、なんとなく量子論のそれと似ているところがあって興味深い。出来上がった線画は頭の中の形のないアイデアを具現化させたというものではない。それは最初思い描いていたアイデアとは数キロも離れたところで形になっていて、しかしながら足跡の源流は最初のアイデアだった。最初のそれが何かを始めるためのきっかけになっている。僕の場合は描くことだ。誰かは書くことかもしれないし、奏でること、踊ることだったりする。

僕の頭に今浮かんだ、些細で、しかしながら凄まじい温度の衝撃は、絵にすると温度が低くなる。
どれだけ高い温度で絵に写せるか。これこそ絵を描く上での目標なのかもしれない。

というのは建前で、もしかしたらこの温度は太陽のように眩しすぎてそれに背いていても背中が熱くなるような承認欲求なのかもしれない。

どっちにしろ、その得体のしれない温度でみんなを火傷させたい。

これが僕の絵を描くこと。