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最近の記事

伝わらないのは誰のせいなのか?

前回の記事で話したように、伝わるように努めることは重要である。 ただし「伝わるように努める」とはあくまで自戒的な言葉であり、受け手側の怠惰や開き直りを正当化する言葉ではない。 ちょうど「有名税」や「お客様は神様」が自戒的な言葉であり、誹謗中傷者やワガママな客を正当化する言葉ではないのと同じだ。 1.それってあなたの願望ですよね 「本当に賢い人はもっとわかりやすい表現をするんだよなぁ」 こんなセリフをよく目にする。 だがこれは願望から生まれた俗説に過ぎない。 たと

    • 身内にウケる言動ほど気持ち悪い

      身内にはウケる言動が、外部から見ると気持ち悪い。 これはいたるところで見られる現象だ。 もっとも分かりやすい例は「ツイッターデモ」だろう。 ツイッターデモとは、同じ思想を持つ人間が同じハッシュタグ(#)をつけて特定のイデオロギーを一斉に主張する行為だ。 少し前のツイッターでは 「#安倍やめろ」 「#ワクチンは生物兵器だ」 といったハッシュタグが毎日のように流れていた。 (ここ最近はハッシュタグがほぼ機能していないが、野蛮な政治関連ツイートを垂れ流されるよりは幾

      • 好きなものや人間

        僕の異常な偏食については以前何度か書いた。 実はそれ以外のあらゆる分野でも僕は偏食である。 まず音楽は満遍なく聴くタイプじゃない。 とりわけボーカルにこだわりがあり、どんなに楽曲が良くてもボーカルが好みに合わなければ受け付けない。 そして音楽全般が好きなのではなく、特定のアーティストの音楽のみが好きなのだ。 たぶん音楽フェスなんかは楽しめない人間だと思う。 その代わり気に入ったアーティストの音楽は一作目からすべて集めるぐらい徹底的にハマる。 一度ハマると数ヶ月間

        • 人生で酒を一度も飲んだことがない人間

          僕は現在30代中盤なのだが人生で一度も酒を飲んだことがない。 飲食店で注文するドリンクは常にオレンジジュース一択だ。 酒を一度も飲んだことがない理由はいくつかあるが、最大の理由は自分の意志の弱さにある。 頭では正解が解っていても、本能的な欲求にあらがえず不合理な選択をしてしまう。 長期的に見ればマイナスに働くのが自明であっても、つい目先の快楽を優先してしまう。 そんな自分の性格をよく理解しているのだ。 むろん人間なら誰しも多かれ少なかれ同じような傾向性を持っている

        伝わらないのは誰のせいなのか?

          人は話を聞く前から結論を決めている

          世の大多数の人間は、もともと自分の中にある意見と近似した意見にしか耳を傾けない。 自分の中にある意見とは、たいていその人が最初に納得した意見だ。 それは親や教師の言うことだったり、テレビやネットで見た情報だったりする。 人は一度「こうだ」と思いこむとそれを変えるのは難しい。 たとえ新たに見聞きする意見のほうがはるかに合理的であったとしても、結論は話を聞く前からすでに決まっているのだ。 こうした現象は動物行動学者ローレンツの話を彷彿させる。 ある雛鳥は、生まれた直後

          人は話を聞く前から結論を決めている

          ワクチン

          一時期「コロナ離婚」という言葉が流行ったが、新型コロナに対する考えは多くの人にとってリトマス紙的役割を果たしている。 コロナに対する考えは他の話題よりも性格や物の考え方がハッキリ出やすいのだ。 ゆえに読者離れを引き起こしやすい話題でもあるのだが、今回はコロナの話題の中でも意見が分かれやすい「ワクチン」について語りたいと思う。 まず僕はワクチンに対して推進派でも反対派でもない。 高齢者は接種による便益がリスクを上回っていたと思うが若年層は打つ必要がなかっただろう、という

          次に来るのは愛着障害ブームか?

          昔から精神疾患は流行すると言われている。 多重人格障害、境界性人格障害、双極性障害、新型うつ、アダルトチルドレン…… ここ数年でいえば発達障害とHSPが二大ブームと言えるだろう。 (これらの中には医学的診断名でないものも混ざっている) そんな中、最近目にする機会が多くなってきた言葉がある。 それは愛着障害だ。 このまま行けば近いうちに愛着障害ブームが来るのではないかと心配している。 (小さなブームは過去に何度か来ている) 愛着障害ブームの予兆 Twitter

          次に来るのは愛着障害ブームか?

          「甘えるな」は思考の怠惰から生まれる

          「甘え」とはなにか? 『甘えの構造』の著者である土居健郎によると、「甘え」に該当する言葉は他言語にはないらしい。 辞書には以下のように書いてある。 この説明では不十分だろう。 たとえば以下のような昔からよく目にする使用文脈では、上記の意味を当てはめてもピンとこない。 「うつは甘えだ」 「デブは甘えだ」 「〇〇ができないのは甘えだ」 僕が思うに「甘え」という言葉は「努力不足」や「なまけ」と同義で使われることが多い。 たいていの場合、それで前後の文章との整合性が

          「甘えるな」は思考の怠惰から生まれる

          2024年2月~3月の振り返り

          2月と3月を振り返ります。 ブログ 1月の振り返りで書いたとおり、このブログは優先順位を下げたので執筆数が減少。 1月→18記事 2月→5記事 3月→6記事(この記事も含む) ちなみに3月は「続く」と書いた記事がいくつかあったのですが、あまり評判が良くなかったので続きはゴミ箱に捨てました。 確定申告 契約相手の企業が10社ぐらいあるため、すべて記入するのがなかなか面倒でした。 ただしすべて足しても同年代の平均年収をはるかに下回ります。 ハゲ治療開始 薄毛

          2024年2月~3月の振り返り

          どのコミュニティにも属せない人間

          現代では多種多様のコミュニティがある。 ネット上にはコミュニティへの入口がいたるところに張り巡らされ、それぞれが強烈な引力を放っている。 かつては社会不適合者とされた者の多くも今ではこの引力に吸い寄せられ、「同じ悩み」や「同じ怒り」を集団内で共有するようになった。 だがどうやら僕はどのコミュニティにも属せそうにない。 「集団」に共通する独特の臭気が鼻について仕方ないからだ。 それはある種の鈍感さだったり、高慢さだったり、帰属意識だったり、排他性だったり、思考の怠惰だ

          どのコミュニティにも属せない人間

          内モードと外モードのギャップが大きいほど労働が苦痛になる

          人間は多かれ少なかれ「家にいるときの自分」と「外にいるときの自分」とで振る舞いや精神状態に差がある。 前者を内モード、後者を外モードと名付けよう。 僕は内モードと外モードのギャップがかなり激しいタイプだ。 とくに子供の頃はそれが顕著だった。 少年時代の内モード・外モード 家の中ではいくらでも話すのに、外に出ると一切話せなくなる。 クラスメイトと会話した時間は小中学校合わせても5分に満たない。 ゴリラーマンか僕か、というぐらい何もしゃべらなかった。 一度も同じク

          内モードと外モードのギャップが大きいほど労働が苦痛になる

          終わり悪ければすべて悪し

          なぜあんな退屈なものにハマっていたんだろう…… あの人のいったいどこが良かったんだろう…… かつて夢中になっていたのに今ではまったく興味がない。 そんなものが僕には腐るほどある。 以前ハマっていた某漫画はその典型だ。 現在では惰性で最新話を読んでいるが、昔の僕がなぜこの退屈な漫画に夢中になっていたのか、今となってはサッパリ分からない。 昔の自分は見る目がなかったんだなぁ…… かつての自分の感性が恥ずかしくさえ思えてくる。 終わり悪ければすべて悪し ところが先

          終わり悪ければすべて悪し

          自称カサンドラ症候群の増加から見える発達障害ブームの弊害

          最近「カサンドラ症候群」という言葉をよく目にするようになった。 ウィキペディアによる定義は以下の通りだ。 カサンドラ症候群とは正式な医学名ではなく、海外では差別を増長する言葉として問題視する声も多い。 実際SNSでの使用文脈を見てみると、家庭内で生じた問題の原因を発達障害者(とされる人)に押しつける手段として使われているケースがほとんどだ。 つまり責任転嫁を正当化できる便利な言葉として使用されているのである。 増え続ける自称カサンドラ症候群 夫婦や家族の不和など誰

          自称カサンドラ症候群の増加から見える発達障害ブームの弊害

          便利は不便を生む

          便利はたびたび不便を生む。 車は便利な移動手段だ。 だが頼りすぎると足腰の筋力が衰える。 車という「便利」によって体が「不便」になる。 スマホは便利なツールだ。 だが膨大な時間を奪われる。 少なくとも僕に関していえば、得られた恩恵よりも失ったもののほうがはるかに多い。 スマホが存在しなければ、今より何倍も本を読んだり考えたりする時間を過ごせていただろう。 ネット検索はたしかに便利である。 しかしそこで得られるものは自分が欲しい情報に限られる。 「既知の未知

          便利は不便を生む

          なかなか治らない厄介な病気

          子供の頃からずっと厄介な病気に悩まされている。 "本音言いたい病"である。 もちろんこれは正式な病名ではなく、僕がいまテキトーにつくった病名だ。 この病気の厄介なところは、黙っていたほうが得をする場面でも本音を言いたくなってしまうところである。 強迫性障害の罹患者がその不合理性を自覚していても同じ行動を繰り返してしまうように、損することが分かっていても本音を言ってしまうのだ。 なぜ嘘は不快なのか 僕は「嘘」を蛇蝎のごとく嫌う。 嘘をつかれるのも嫌いだが、嘘をつく

          なかなか治らない厄介な病気

          いじめられる側にも原因はある

          「いじめられる側にも原因はある」 という主張は非常にウケが悪い。 たとえば有名人の誰かがそんなことを言おうものなら 「いじめる側が100%悪いに決まっているだろう」 「加害者を擁護するのか?」 といったコメントが四方八方から飛んでくる。 しかし僕には、むしろそうしたコメントを書き込む人間ほどイジメっ子気質があるように思えてならない。 現に彼らのプロフィールから過去のコメントをたどってみると、別の話題では平気でいじめる側に回っているケースが多々見られる。 そもそ

          いじめられる側にも原因はある