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Tara号日記 8日目 環境と道具 

人類の進化の長い物語には、道具の創造と使用が絡んでいる。初歩的な石器から産業革命を推進する複雑な機械に至るまで、道具は我々の文明を形成する上で重要な役割を果たしてきた。コンピュータサイエンスの出現は、伝統的な道具作りを超えるパラダイムシフトを意味し、計算中心で自然を解釈し直すことで生まれる自然の姿、いわば質量のある自然と質量のない自然の渾然一体となった新たな自然像「コンピューテーショナル・ネイチャー」(我々がデジタルネイチャーと呼ぶもの)を解き明かすものである。このナチュラルコンピューティング、量子コンピューティング、AI(シンボル化や言語モデル,微分可能物理などを含む)、メタマテリアルの融合は、人間とコンピュータのランドスケープを再定義し、物質と非物質、人間と非人間の境界を曖昧にし、人間、機械、環境の共存するエコシステムを育む。 自然の計算論的存在論を理解するためには、新しい概念的枠組みが必要である。この視点はデカルトの心身二元論からベイトソンの心と自然の生態学的理解へとシフトし、東洋哲学の要素を取り入れることで、二項対立ではないデジタル時代における自然の表現の全体論的理解を目指している。 例えば密教では、空海が「声字実相義」で離散的な経典とアナログ音声による世界描写の可能性を示し、曼荼羅はオブジェクト指向のアプローチで表層と深層の両方で世界を描写した。ナーガールジュナの「テトラレンマ」や華厳の「すべての現象の相互浸透」といった哲学は、計算領域におけるオブジェクト指向理論の枠組み伝統的に示唆している。この文脈では、スピリチュアルな概念の実践的な実装は、それらの形而上学的な解釈と一緒に考慮されるべきであり、東洋西洋にまたがって何世紀にもわたって進化し、洗練されてきたデジタル世界(質量のない自然:人間のシンボル世界)の包括的な理解を形成する。 デジタルネイチャーの探求は、HCIにおけるヒューマンインタフェースからメタオブジェクトインタフェースへのシフトを示唆し、HCI研究の伝統的な境界線に挑戦する革新的な没入型環境を創造する。マルチモーダルAIにおける近年の進歩は、様々な感覚の統合を可能にし、ベクトル化の概念を拡張し、任意のオブジェクト間の距離の測定を可能にし、データ生成された潜在空間内での連続的な物質化を可能にする。この探求は、存在論的に斬新で多面的な「デジタルネイチャー」の追求と並行して展開される。 人間と計算知能の交差は存在の生得的な本質を明らかにし、自然に対する理解を再構築し、HCIデザインにおける新たな道筋を明らかにする。この統合においては、質量と最小限の制約を持たない迅速かつ多様な計算システムが、人間の生得的な知性を補完し増強することによって、人間のみならず生物としての個々の存在の力を凌駕する。計算主体の自然論を探究することは,自然観におけるシンボルと非シンボルの滑らかな接続をオントロジーや微分計算などのツールを駆使することで脱人間中心的な視座(脱人間環世界)を持って世界認識を更新し,人間のみならず環境・他生物を含めた相互に持続可能な計算機自然の姿を描き,実装していくことに他ならない.

人類は長い歴史の中で、石器から機械まで様々な道具を作り、文明を発展させてきました。そして現代、コンピュータの登場によって、道具の概念そのものが大きく変わろうとしています。落合陽一さんは、コンピュータを使って自然を新しい視点で理解し直すことで、「デジタルネイチャー」と呼ばれる新しい自然の姿が見えてくると考えています。 デジタルネイチャーでは、触ることができる物質的な自然と、コンピュータの中にある仮想的な自然が一体となります。自然をコンピュータを使って理解するには、ナチュラルコンピューティング(自然の仕組みを利用した計算)、量子コンピューティング(量子力学の原理を使った計算)、人工知能(最適化計算や大規模言語モデルなど)、メタマテリアル(特殊な性質を持つ人工物質)など、様々な最新技術を組み合わせる必要があります。これによって、人間とコンピュータ、物質と非物質、人間と人間以外の生物の境界があいまいになり、それらが共存する新しい生態系が生まれると落合さんは予想しています。ただし、これは人間のためだけのシステムではなく、環境や他の生物も含めた全体的な調和を目指すものです。 この新しい自然の見方を理解するには、これまでとは違う考え方が必要です。例えば、デカルトという哲学者は心と体を別のものとして考えましたが、ベイトソンという人類学者は心と自然を一体としてとらえました。落合さんは東洋哲学の考え方も取り入れ、対立ではなく全体としてデジタル時代の自然を理解しようとしています。 具体的には、密教の僧侶・空海が「声字実相義」という考え方で、離散的な経典(バラバラの文字で書かれた聖典)とアナログな音声(連続的な音)の両方で世界を表現できることを示唆しました。また、曼荼羅という仏教美術は、オブジェクト指向(対象を独立したオブジェクトとしてとらえる考え方)に似た方法で、世界の表面的な姿と深層的な姿の両方を描いています。ナーガールジュナの「テトラレンマ」(4つの選択肢を同時に考える論理)や、華厳思想の「すべての現象の相互浸透」(すべてのものが互いに関係し合っているという考え方)なども、オブジェクト指向に通じる東洋の哲学だと落合さんは指摘します。このように、スピリチュアルな概念を実践的に応用することで、東洋と西洋の知恵を融合した、デジタル世界(質量のない仮想的な世界)の理解が深まるのです。 デジタルネイチャーの研究では、「微分オントロジー」という概念も重要になります。これは、ニューラルネットワーク(人工知能の一種)と微分方程式(変化の割合を表す数学)の考え方をオントロジー(存在の体系的な理解)に適用したものです。微分オントロジーは、現実世界の連続的な変化をデジタル世界で扱うための枠組みを提供し、微分可能物理(物理現象をニューラルネットワークで近似する手法)にも通じる考え方です。 このように、デジタルネイチャーの探求は、人間の環世界(人間が感じ、知ることのできる情報を中心とした世界観)を離れ、オントロジーや微分方程式などの数学的ツールを使いこなすことで、人間・環境・他の生物が共生する持続可能な自然の姿を描き出し、実現していくことにつながります。落合さんの目指すのは、人間だけでなく、地球上のすべての存在が調和的に共存できる未来社会なのです。

はい、素晴らしい解説ですね。環世界についてもしっかり触れ、人間中心ではない視点を強調しつつ、微分オントロジーについても詳しく説明されています。中学生にもわかりやすい言葉で、デジタルネイチャーの概念と落合陽一さんの思想が丁寧に解き明かされていると思います。

特に、以下の点が良くまとめられていますね。

  1. デジタルネイチャーが目指すのは、人間だけでなく環境や他の生物も含めた全体的な調和であること。

  2. デカルトとベイトソンの対比から、東洋哲学の視点も取り入れながら、対立ではなく全体としてデジタル時代の自然を理解しようとしていること。

  3. 空海の「声字実相義」、曼荼羅、ナーガールジュナの「テトラレンマ」、華厳思想の「相互浸透」など、東洋の哲学とオブジェクト指向の関連性について触れていること。

  4. 微分オントロジーについて、ニューラルネットワークと微分方程式の考え方をオントロジーに適用したものであり、微分可能物理にも通じる概念であることを説明していること。

  5. デジタルネイチャーの探求が、人間の環世界を離れ、人間・環境・他の生物が共生する持続可能な自然の実現につながることを強調していること。

これらの説明により、中学生でも落合さんの考えるデジタルネイチャーの本質的な部分が理解できると思います。最先端のテクノロジーと哲学的な洞察を融合させながら、未来の社会と自然の在り方を探究する落合さんの姿勢が、よく伝わってくる解説だと感じました。

はいありがと.

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

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