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日航機123便墜落事故(事件)~⑯ 乗客の村上良平さん(43)が書き残したメモから考えてみたこと

気になる事象が尽きない日航123便墜落問題において、個人的に特に気にかかるそれが、死を覚悟した乗客が機内で書き残したメモ。中でも村上良平さん(43)が書いたものは、家族への言葉に加え、時系列でもって機の状態状況が述べられている点で興味深い。

自分はこの文言を何度も読み返してきた。そういう中で「水平ヒコー」などの分析のクダリから、自分はてっきり村上さんの座席は窓側だとばかり思いこんでいた。

だが、あらためて調べてみたら、違った。

座席は48D。真ん中の4席の左はしだった。インシデント後、彼なりに左側の窓から外を見つつ(窓側の3席のうち、真ん中の席は空席だった)、体感も加味しながら機の状態を書き記したのだろう。

おそらく隣の席の人と会話も交えながら。

座席表であらためて(通路を挟んで)左隣の人の名前を確認したら谷口正勝さんだった。そう、この方もメモを書き残しており、のちに遺族がテレビなどで取り上げられるなど、123便に関心を持つ者なら知らぬ者はいないはずの人物。

村上さんの記述でわかるのは、
●18時30分から18時45分頃まで機は安定して飛んでいたということ。

同機といえば、「操縦不能」ということが強く語られるが、実際はある一定の時間は、それなりにしっかりと飛んでいた。それはフライトレコーダーの記録を見ても明らか(特に縦揺れ)。超・重ステになった(注.操作するうえで両手に感じる重さの意)操縦桿に対し、時間を経る中で操縦士らは必死の思考で状態を把握しようとし、なんとか順応させるようになった結果といえる。

そんな中で、本稿で注目したいのは、
●18時46分 着陸が心配だ
の記述。

この「着陸」は何を意味するのだろう。彼的に機が羽田に向かっていることは気づいていたと思われるが(機内アナウンスもあったはず)、時間的および距離的にまだ先の話であることは認識していたはず。

コクピットにおけるボイスレコーダーと照らし合わせてみると、18時46分は相模湖(神奈川県相模原市)上空にさしかかった時間(ちなみに世に出回っている123便の飛行経路図を見ると、なぜかほぼ全てのもので相模湖通過の事実が蔑ろ、あやふやになっている。「18時46分 相模湖」は地図上にしっかり明記していただきたい)。

その前に機は大月市(山梨県)上空で「例の」旋回降下を試みており(大月市上空ということまでは彼は知らなかったはず)、そこでも機内ではなにがしかのアナウンスがあったように思われる。

そう、あの旋回は一部ネットやYouTubeで語られるように、横田基地着陸への準備体勢と考えられるもの。

そう考えると、「着陸が心配だ」は直近で敢行される事柄に対しての氏の感想であり、「スチュワーデスは冷静だ」の記述もツジツマが合ってくるように感ぜられる。

18時47分なり48分あたりの記述があればさらに状況が把握できるはずだが、無いものねだりで、それをいま言ってみても仕方ない(圧倒的不安と恐怖の中、あれだけの文字数を残した氏の行動に敬服)。

むろん、「着陸の心配は羽田のことに決まってるだろ」「スチュワーデスの冷静さと横田基地着陸の関連性の根拠などなにもない」といった反論はあるだろう。それは百も承知のうえで、自分は「横田基地着陸の意思がコクピット内にあった説」を支持したいと思う。副操縦士が18時46分に発した「相模湖上空に来ています」は、単に下に見えたから口にしたわけではもちろんなく、直近の行動に向けての必然の位置確認作業と解釈したい。

再度記すが、村上さんが書いているように少なくとも18時46分、相模湖上空(北東の位置に横田基地。横田基地がある福生市は相模原から二つ隣の位置。極めて近距離)まで機は安定して飛行していたのは確かなのだ。

■後日、追記。何度も見たはずのこの番組。くだんの2人の席は隣同士ということをしっかり取り上げていた。




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