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日航123便墜落事故(事件)㉟〜ここ数年、事故関連記事や画像、動画よりスクショしたものの、当noteで使ってこなかったもの数知れず。ランダムにいくつか上げて、考えてみる

その1

地元の学校の文集にも収められた目撃情報。青山透子氏の著書にも重要証拠として出てくるが、123便の飛行経過時間とは合わず。18時45分頃はちと早すぎる。ここで「米軍機の輸送機とファントムの先回り」説が浮上するも、それにしても時間が早すぎる(墜落場所があらかじめ決まっていたならともかく)。例の米軍の(輸送機で事故現場に向かった)アントヌッチ氏の証言にファントムの話は出てこない。

その2

奥多摩で撮影、123便をとらえた唯一の写真。あまりに有名な写真だが、「撮影時間が18時46分頃」となると、これもおかしい。いや、正しいのか。フライトレコーダーによると、その時間は相模湖を過ぎて東(もしくは北東)方面を飛行していることになっている。飛行経路と時間はやはり、なんらかの理由により修整がなされてると考えざるえない。

その3

早々にミスを認めたボーイング社。フツーに考えれば、日本側としては「国民感情を考慮し、当面はボーイングの購入をやめる」となりそうなもの。極めて奇異な成りゆきと言わざるえない。いまなら反対の声でネットが荒れまくるのは必至。

その4

ずさんな修理なるものがおこなわれたのは1978年のこと。墜落事故の7年前。その後、墜落事故に至るまで、2週間ほどかけての大がかりな整備ーーいわゆる「C整備」が、計6回ないし7回(どっちよ?)も、おこなわれている由。

ずさんな修理があったならそれが一番悪いわけだが、その後の6回ないし7回の大整備で、不備が見つからなかったのが不思議。本当に不備はあったのか。むろん、「残念ながら1984年12月までは、不備がありながら圧力隔壁はまだしっかり保っていた、その後の8か月で急激に劣化したのだ」と言われれば、返す言葉はない。ただ、その場合、最後のC整備にも非があるわけで、「墜落はボーイング社の修理ミスだけのせい」の話は吹っ飛ぶ。

その5

当時の五日市町、現在のあきる野市住人による目撃情報(西多摩郡五日市町の地名は合併で1995年9月に消滅。このインタビューはそれ以前におこなわれた由)。地名がやたら出てきて、信憑性が高いと言わざるえない。時間は18時45分頃で、前述の奥多摩町での撮影時間に符合する。
ラストの「最東端」云々は却下。相模湖から東に飛んだのは間違いなく、そちらのほうがより東になる。

その6

某事故調査委員会派のYouTuberの言い分。撃墜があったかなかったか、現時点、自分は断定できないが、表示の「撃墜で地震波は出ない」の意味がわからない。旅客機クラスのデカい飛行機なら落ちれば地震波は起こる。どうもどうやら、この方は「撃墜=空中で爆発粉々」というイメージしか湧いていないようで……。機体の一部破壊による撃墜の場合、丸々本体のまま地上に突っ込んでいくことになり、そりゃ地面は揺れ、地震計は反応する。

その7

こちらも事故調査委員会派の方(ツイート)。自分は陰謀論派だが、「すぐに行けた」と言ってる人間はあまり見たことがない。事故現場は早々にわかる人(自衛隊、米軍)にはわかっていたのだから「もう少し早くなんとかできたはず、なんとかならなかったのか?」という見解……が大半だろう。浅はか極端に「すぐに行けた」と言ってる人間がいればごく一部。陰謀論派の風上にも置けない人たちということになる。そういうわけで、変にミスリード招く、こういったツイートもタチの悪いデマというしかない。


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