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朝、寝返りをうったらその先にベッドがなくて床にそのまま落下してしまい、背中と腕が微妙に痛い。それに加え、最近の寒暖差に身体がついていけていないこともあり、出かける気分ではなかったので家で本を読んだりスマホを見たりした。

この数か月にいくつか美術館や博物館に行ったからその感想をちゃんと書きたいなーと思ってなんどもパソコンの前に向き合うのだけれど、なぜかいつも言葉が出てこなくて諦めてしまう。そうやって言葉にできず記憶の中だけにとどめておくと、いつか見た絵をまったく思い出せなくなって、好きだなと思ったり、もっと見ていたいな、って思った気持ちがなかったことになってしまう気がして、すこし怖い。だから時間のあるときはいつもショップでポストカードを買ってしまう。また思い出せるように。

そのときの気持ちや感覚、手触りがずっとそのままの形で残らないことに対する焦り、不安、恐怖みたいなものがいろいろな行動のベースにあって、なんとなく窮屈に思う。また見たいと思ったらまた行けばいい、ただそれだけなのに。あのとき感じたのとまるっきり同じものをまた感じたい、という欲求とどうにかうまく付き合いたい。


ともだちにおすすめされたので、最近やっと「ちいかわ」を見始めた。言葉はしゃべらないのに「ワァ…」「ウン…」「ヤダッ」とかは言えるのがかわいくて癒される。でもちいかわたちの世界もなかなか厳しく、労働で成果を出せない者は生きていけないのだ、と言われているようですこしだけつらい。

もうすぐやってくる母親の誕生日のためにプレゼントを急いで用意した。昨年はたしかえらぶ時間が無かったのでわたしの好きな小説を送った。アクセサリーは何度もあげているからなーなどといろいろ悩んだ結果、紅茶の茶葉を贈ることにした。以前イギリスに行ったお土産に茶葉をあげたらすごく喜んでいたのできっと大丈夫。

ちいさなお菓子でもなんでも、人になにかを贈るという行為がけっこう苦手で、最近はすこし慣れたけれど、ともだちの誕生日プレゼントをたくさん考えて用意したのに渡さなかった、みたいなことがたくさんある。好みのものじゃなくても、もう持っている物でも、なにかしら人にもらったらうれしい気持ちになるのだから、なにも気にせずに渡したいものを渡せるようになりたい。そのほうがきっとたのしい。


今日はおやつにチョコのカップケーキとフィナンシェをたべた。あまくておいしかった。


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