君が生まれて、虎ノ門に向かう銀座線で泣き笑いしたくなったことを思い出した
自分の人生の底と言えば、いまからちょうど7年前だ。
思い返すと、自分で引き起こした出来事がうまくいかず、それでもう世界の終わりみたいな気分になって、なかなか浮き上がることができなくなってしまった。
最近「鬱の本」といういろんな人の鬱な感情や出来事のエッセイ集を読んでいて色々と思い出したのだけど、自分がそのテーマで文章を書くとしたら間違いなくその頃のことを書くと思う。
妻との出会いや家族や友人の支えによって、なんとかどん底を脱してからも、その後遺症のようなものは2,3年続いた気がする。
人と接するのが怖かったり、自分の判断がまた間違ってしまうのではないかと怖がったり。
だから、周りからは回復したように見えていたとしても、僕の心には渦巻く暗い感情があった。
当時、失敗から環境を変えてなんとか軌道に乗り始めた仕事で、クライアントのオフィスがあった虎ノ門に行く機会が多かった。
また失敗してしまうのではないかと、緊張した心持ちで銀座線に乗り込む日々だった。
電車の中では、これから会うクライアントの仕事のことを考えていると悪い想像ばかりが頭に浮かぶので、SNSを流し見して気を逸らしていた。
そのときに、Twitterでたまたま見つけたのが、クリープハイプのアルバム「泣きたくなるほど嬉しい日々に」の発売に合わせて燃え殻氏が書いた寄稿文だった。
たしかその寄稿文は、銀座線(か、東京メトロの地下鉄)に乗っている筆者が、電車の動きとともにアルバムの曲順に曲を紹介するような内容だった。寄稿文を読んでから聴いた「泣きたくなるほど嬉しい日々に」は、すごく良かった。
いまはその特設サイトは見られなくなってしまい、内容も朧げにしか記憶がないのだけど、それを読んだ時の自分の心の動きは覚えている。
これから先、自分の人生が浮き上がることができるか、どうなっていくかはわからない。
冴えない未来が待っているかもしれないし、ひょっとしたら幾分か改善されて前向きな気分で過ごせるかもしれない。
でも、とにかく生きていこうと思った。
辛かろうが惨めだろうが、生きていこうと思った。
その生きた先で、こんな文章に、こんな音楽に出会えるなら、悪くないじゃないかと。
そして、生きていて良かったと思った。
アルバムタイトルが歌詞に出てくる「泣き笑い」という曲が、自分の心情を表していた。
今週、子どもが産まれた。
どんな人生を送るのかな、どんな人と出会い、どんな大人になるのかな、と考える。
良いことだけではなくて、辛いこともたくさん起こるだろう。僕はこの子のことで色々と頭を悩ませることもあるかもしれない。
でも、虎ノ門に向かう銀座線で20代の僕が経験した、泣き笑いしたくなるような日がこの子にも訪れてくれれば、僕はとても嬉しい。
泣きたくなるほど嬉しい日々が、この子の人生にありますように。
泣き笑い / クリープハイプ
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