大事にしてきたものを失くしたくない。ずっとずっと、大事に大事にしときたかったのに、手放すことを決意するのは本当に辛い。沢山の物事を失い、台無しにしてきたけれど、今回ばかりは本当に辛い。でも楽しくて、嬉しくて、胸を焦がした時があったことには間違いない。楽しい時間があって、そのパート2を求めるような毎日だったのに、今では毎日が物語の始まりのようだった。どこで何を間違えたのかはわからない。もしかしたら最初から間違えまくってたのかもしれない。でもその全てを僕は受け入れてきたし、なにが
配られたカバンを開けることなく、ホイッスルを吹くこともなく見てた。30年も前から500回くらい聴いてるラブリーで泣くとは思わなかった。僕はこの30年の楽しかったことや、辛かったこと、諦めてしまったこと、落ちぶれてしまったことをくしゃくしゃにまとめた感情を抱えながら一緒に歌った。小沢健二はいつだって人生を肯定してくれる。何気ない日常を美しくカラフルにしてくれる。生活に帰ってしばらく経つとそんな感覚も薄れていってしまうのだけれど。 小沢は何度も歌える人は歌ってと、語りかけた。僕
人生をとっくに折り返して、9年後には60歳、もう初老だ。だから今のうちに、身体の無理が効くうちに、一回り下の友人達が遊んでくれるうちに、同世代の先輩が元気なうちに、会いたい人と大切な話と明日になったら忘れてしまうような話をして、行きたい場所に行って、観たい映画やライブを観て、食べたいものを次から次へと食べて、例えフラれたとしても、好みの女の子を食事に誘って、雰囲気良ければ頑張ったりなんかしちゃって、この人生を楽しみまくりたい。 前にも書いたけれど、どんな状況にあっても常に幸
かつて別れた女の子に会いにロンドンへ行ったことがある。何日か彼女の家で過ごし、後半はB&Bへ移った。最初はお互いぎこちなかったが、途中からまるで別れてなかったかのように仲良くなれた。それでふんぎりがついた。 ヘソンはまるで昔の僕みたいだった。そしてアーサーの気持ちもわかった気がした。どんなに不安でも気持ちよく送り出してあげたい。 ヘソンがノラに写真を撮ってもらうとき、僕なら最初から一緒に撮るなとか、再会したてのハグは愛情がないからこそ、あっさりと出来るんかな、でもヘソンは
音楽は出来るだけ安く手に入るべきだと信じてきた想いはサブスクが叶えてくれた。勿論、配信されていない音楽は山ほどあるから、サブスクが全てを賄うことは不可能だし、昨日まで配信されてたものが、権利関係で今日にはないということもあるから、フィジカルの重要性は変わらないままだし、なんならより増したと感じている。ただサブスクはちょっと聞いてみようには手軽だし、最適だと思う。日本のアーティストが海外に出やすくなった面もあると思うし、当然その逆もある。そのあたりはYouTubeやTikTok
僕は今から20年くらい前に大阪でレコード屋をやっていた。自分でやる前もレコード屋に勤めていたから、12〜3年くらいレコード屋だった。その間には色んなムーブメントが起こっては消えていった。DJがレコード盤じゃなくて、CDを使えるようになり、パソコンでDJが出来るようになっても、レコード盤は無くならなかったし、それどころか今では一番価値があるフォーマットみたいだ。 僕が最初に働いた店では輸入盤の仕入れを全て一人で担当していた。何を何枚取るかはそれぞれのバイヤーが決めるのだけれど
今の僕には大事なものが足りない。51歳だというのに。
酔った
また沖縄行きたいな。やんばるのビストロに行きたいのです。
何人かの女の子が僕を通り過ぎて行ったように、女の子にとって僕は通り過ぎて行った男なのだろうか
改名やめて、戻しました
改名しました
あの豚しゃぶが食べたくて、4月もまた沖縄に行こうとしてる、僕はバカですか。
仕事とかライブ以外で訪れる那覇は騒がしさと寂しさが同居していた。ちょっと路地を入ればいきなりローカルなお店が並び、まるでアジアの街にいるようだった。 楽しみにしていた豚しゃぶのお店があまりに美味しくて、思わず2人ニヤけてばかり。幸せな時間だった。 今回はブームの虹が出たならという曲を何度も何度もリピートして聴いたせいで、今回の思い出の大半がその曲と豚しゃぶになってしまった。 ひめゆりの塔では、なんとも言えない気持ちになった。世界では戦争が今この瞬間にもあって、僕達はそれ
明日からはキミと行く何度目かの沖縄。楽しいしかない旅にしたいな。初めての場所といつもの場所に行こう。
デート中に差し歯が取れた。しかも前の方。死にたいくらい恥ずかしかった。