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半笑いが透けて見える文章

 文章を読むだけでは筆者の顔を正確に推測できません。どんな顔をして書いたのか、文章で判断できる機会は稀でしょう。予想してみたところできっと大体外れますし、当てたところで大体まぐれです。ただ、書いた人の表情が透けて見えるような文章があるのも事実です。

 例えば、かつては「屁負比丘尼(へおいびくに)」という人がいたとされています。常に高貴な女性のそばにいて、高貴な女性がおならをした時、「申し訳ありません、私がやりました」と謝る役割を担った比丘尼、つまり尼さんです。もう少し正確な表現をするならば、おならを始めとするちょっとした失敗を一手に引き受けて謝っていたらしく、そのために「科負比丘尼(とがおいびくに)」とも呼ばれていたようです。

 おならがちょっとした失敗ってのは違和感がありますが、「過去は外国」とも評されるほど、同じ国でも時代によって文化や考え方が違ってくるものです。ましてや高貴な女性ともなれば、おならのひとつも許されぬお立場なのでしょう。

 歴史が詳しい人の中では屁負比丘尼は知られた存在のようで、「屁負比丘尼」で検索すると複数の解説ページが簡単に出てきます。「人のおならを代わりに謝る」という特殊性や、身もふたもない名前もあってか、どのページもこのページと同じように屁負比丘尼を冒頭に出し、「あ、科負比丘尼もあるよ」と後出しで科負を出す有様です。何なら、私のPCは屁負比丘尼は一発で変換できますが、科負比丘尼は一発変換できません。「やっぱいじりますよねそこを」と共感せずにはいられません。

 屁負比丘尼について扱ったページとしては、例えば以下のようなものがございます。

 何ならLINEスタンプも発売されております。

 屁負比丘尼の存在は歴史的な事実であり、また江戸時代の文化を知る上でも重要な知識です。当然、屁負比丘尼を解説する文章は真面目な雰囲気が強い。

 でも、真面目な文章を読んでいても、どうも筆者の半笑いが目に浮かぶんです。たまに我慢できなくておならをいじっちゃってる辺りがその証拠にも見えます。そりゃしょうがないですよ。いくら高貴な女性だからって何ですか、他人に自分のおならを謝らせて。未来人の私は無責任にツッコみます。

 ちなみに、私はもちろんこの文章を真面目な顔で書いてます。人として当然の態度だと思ってます。

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