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笑いに関する名言集――避けるべき笑い

 名言集はたくさんあるのに、笑いに関する名言集がないなあと思ったんです。ないなら作ろうの精神で、ちょこちょこ集めている次第でございまして、それが「笑いに関する名言集」でございます。

 ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 「笑い」といってもいろいろございますけれども、その中でも今回は避けた方がいい笑いについて触れた名言をいくつかご紹介します。まずはこちらです。

上士は道を聞けば勧め行う。中士は道を聞けども、存(おぼ)ゆるがごとく、忘るるがごとし。下士は道を聞けば大いに笑う。
老子(BC571-BC470)

世界名言辞典(明治書院、1966)

 老子は中国春秋時代の哲学者でございまして、中国文化の中心をなす人物のひとりと目されています。

 ここで言う「上士」はいわゆる賢者であり、「中士」は凡人、「下士」は愚者という位置づけです。「道」は「最高の究極原理」とのこと。つまり、「道について聞くと、賢者はガンガン実践するし、凡人は半信半疑だし、愚者は『馬鹿じゃないの』と笑う」というわけです。

 この言葉には続きがありまして、検索するといろんなページで読むことができます。

 雑にまとめれば、「道というのはパッと見じゃわからないもんだよ」でございまして、だから愚者は馬鹿にするし、凡人は半信半疑になるわけですね。ちなみに、道の例えとして「本当にいい器は出来上がるのが遅い」という文言がございまして、これは「大器晩成」の大元となっています。

 とにかくパッと見で物事を判断し、馬鹿にするのはよくないよと戒めております。全然別の方の言葉ではございますが、それを端的に表したかのような名言もございます。

創業当時、私が「世界的視野に立ってものを考えよう」と言ったら噴き出したやつがいた。
本田宗一郎(1906-1991)

明日が変わる座右の言葉全書(青春出版社、2013)

 本田宗一郎は世界的な輸送機器メーカー「本田技研工業」の創業者として知られています。

 これだけ見ると、見る眼のない「下士」をいじったような形ですけれども、なかなか難しい話でもありますよね。今でこそ本田技研工業は世界のホンダとなっておりますけれども、創業当時にそれを予測するのは大変です。ホンダこそ成功しましたが、世界を目指して挫折した方が圧倒的に多い中では仕方がない部分もあります。「上士」のすごさを痛感する一言でもあります。

 さて、老子のように人を上中下のみっつに分ける名言は他にもあります。

人間には上・中・下の三種類がある。上というのは、他人のいい分別を学んで、自分の分別とすることである。中というのは、他人から意見をされて、その意見を自分の判断にかえる人物である。下というのは、他人から良いことを言われても、ただ笑って聞き流す人間をいう。
鍋島直茂(1538-1618)

生きる財産となる名言大語録(三笠書房、2002)

 鍋島直茂は戦国時代から江戸時代前期にかけてに武将で、佐賀藩の藩祖でございます。龍造寺隆信の義弟として知られます。

 この場合は、上は言わなくても勝手に学んで、中は言われてようやく学んで、下は言われても学ばない、といったところでしょうか。当時はともかく、現在では王道的な上中下のように感じられます。

 鍋島直茂はこの考えを大切にしていたようで、このような名言も残しております。

下輩に言うはよく通じがたし、故に助けて聞くこと肝要なり。下輩なれどその心は天の真を受けて、人と生まれたる者なれば、詞(ことば)がたくなりつとも、その理は聖賢君子の言に符合すること多し、必ずあなどり、笑うことなかれ。
鍋島直茂(1538-1618)、「二十一箇条壁書」

生きる財産となる名言大語録(三笠書房、2002)

 同じ人物の名言でもなぜかこっちのほうは原出典がややしっかりしています。こちらは「後輩の言ってることもちゃんと聞きましょうね」といった感じでしょうか。これは人がいかに後輩の言うことが聞きづらいかを示している名言でしょう。

 続いてはこちらの名言です。

人にはすべて能不能あり。一概に人を棄てあるいは笑うべからず。
山岡鉄舟(1836-1888)

座右の銘(里文出版、2009)

 山岡鉄舟は幕末から明治期に活躍した人物でございまして、勝海舟、高橋泥舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれています。

 「人には得意不得意があるんだから、簡単に捨てたり笑ったりしちゃだめですよ」という、こちらもまた、言われたらわかるけど実行するのが地味に難しい話ですね。こう思っているということは、山岡鉄舟と言えども過去には何かそういう失敗をして「もうやらない」と決めたのかもしれません。

 最後は少々変化球的なこちら。

判断するときには皮肉を避けねばならない。精神のあらゆる性向のうちで、皮肉がもっとも聡明から遠いものである。
シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ(1804-1869)

世界名言辞典(明治書院、1966)

 サント=ブーヴはフランス出身の人物で、特に文芸評論家として知られます。それまで圧倒的主流だった、個人の感覚による批評ではなく、文学者の人生が作品に現れると考え、伝記や書簡と言った資料を駆使して研究する手法を確立しました。現実の作家と文学作品を結びつけるのはどうなんだという批判もあるようですが、サント=ブーヴはこの功績から「近代批評の父」とも言われています。

 皮肉とは乱暴に言ってしまえば「意地悪な笑い」でございます。これを判断に入れていけないとはどういうことなんだろうと最初は思いました。

 何かを判断するのに大切なのは、事実を事実としてとらえて、自身を真っ直ぐ見つめることだと思うんです。そう考えると、皮肉というのは変化球がすぎるのかもしれません。笑いというだけでひねった見方になりがちなのに、皮肉は更に意地悪が混ざっている。事実を事実としてとらえにくいでしょうし、自身を真っ直ぐ見つめられない危険がある。そりゃ判断を誤っても仕方がない。そんなところなんだと思います。

 皮肉だって人々の間から生まれたのですから、役に立つ場面だって当然あるんでございますけれども、かえってよくない結果を生むこともある。よくよく考えれば当たり前の話です。

◆ 今回の名言が載っていた書籍


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