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訪れた人の時も重ねる宿、他郷阿部家

ものづくりに携わっている人は、
1度は訪れて欲しい場所。

1つ1つに愛が溢れていて
「こんな使い方をしてもらえたらモノは嬉しいだろうな。では自分はどうだろう?」と考えるきっかけにもなった時間。

豊かな暮らしとか、田舎暮らしとか
そういう言葉だけではまとめ切れない。

阿部家 台所

今まで見てきた空間の捉え方が
ひっくりかえるような出来事だったので、
ここに旅行記として残そうと思います。

こんなに静かな書き始めだけれども、
一言で言えば鼻血が出そうなくらい興奮しました…。

“石見銀山”という場所

宮崎から飛行機、新幹線、車と乗り継いで島根県の石見銀山・大森町へ

まち中の景色。美しい土壁。

世界遺産 石見銀山


戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山。
上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、
当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。
江戸時代の初めは人口20万人。
大森銀山とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山とも呼ばれた。

Wikipediaより

美味しいパン屋さんや、お食事処、小さなお店や、レンタサイクル、
歴史感じる厳かな雰囲気もあるが、そこに“生活”もちゃんと根付いている。


この石見銀山に在る「暮らす宿 他郷阿部家」へ。
暮らす宿 他郷阿部家は

松場登美さんが築230年の武家屋敷を暮らしながら
10年以上かけて再生された場所。


一気に作るのではなく、1部屋ごとに構想を重ねながら建てられたそう。
地域の学校や古民家で使われなくなった廃材、家具、建具などが
使用された空間が広がる…。

その空間は、私にとって“アイディア探しの旅”だった。

現在は1日2組限定で宿泊が可能。


物が主張しているのに、調和している理由


通常、空間を作るときは、トーン、色味、素材、年代、国籍などの縛りで
統一してものを揃える場合が多いが(もちろんあえて外したり)
この空間は、人を通して出来上がった空間。
“人との出会い”から集まったもの

でできていた。

踏襲しようという雰囲気は一切なく
自由に物が置かれている。

統一感という言葉だけでは、まとめきれない
個人の出会いを通して集まったもの。

私はスタイリングをするときに
「モノと対話する」という表現を使うことがある。

生花の花の立ち姿、正面を意識している感覚に近い。
正面を向かせたからと言って、それがいいわけではなく
どう見せたら花単体ではなく、
全体としてまとまり(美しさ)が出るのかを考える。

ハマらない時は、ハマらず
ハマった瞬間、とても心地よい。

空間にある物体全てがその“ハマっている”状態。

「これが自分にとっての良い位置」
なのだと主張をしているよう…。
「ここがいい」と
存在しているようでした。(大袈裟かもしれませんが…笑)

「もっといい、ものがあるよ」と言われることがあるけれども、
モノは縁だと思っているから

と松場さんがお話していた言葉がすごくスーッと入ってきて、
ここに居るモノたちはなにかの縛りで集まったのではなくて、
1人の人の出会いから集まったもの。


とてもテンションが上がったアイディア満載の手洗い場


ものを自分のモノにする

ものは壊れてしまえば
破棄か、修理になる。

そのものが役目を終えたような感覚になった時
次にどう活かすのか。

かたちを変えても、輝ける方法を探した時
自分のアイディアが浮かんでくるものなのかもしれない。

欠けた天板がとてもかわいい
滑車を発見!
蓋をリメイクした小物置き

思わず「次はどんなアイディアに出会えるかな?」と
宝探しのように、探検してしまうような物使い。

モノを通してこの場所で、どんな会話がされていたのか妄想してしまう。
遊び心が刺激され、想像がどんどん膨らんでしまった。


通常、ホテルは前の人の気配をなくさな
くてはいけない


通常、ホテルや宿泊場所というのは
綺麗にし、なるべく前の人の気配を消してお迎えをする。

阿部家でコーヒーの話を聞けば
「阿部家に合うからと、持ってきていただいたんです」
という話や、家具の話を聞けば
「こんな方がいらっしゃって…」
という話。

誰かの“気配”を感じずにはいられない。
自分以外の“その人”の存在が確かにある。



お掃除された綺麗な廊下、
いつもだったらあまり気にしないかもしれないけれども、
「きっと誰かが掃除してくれたのだろうな」
と見えない存在の感謝する。


隅々までお掃除されていた



建物の歴史、時間だけではなくて
訪れた人の時間、関わった人、これから関わるであろう人への想い
が交差している。

気配を消すのではなく、あえて残す。
真っ白な紙ではない、
何回も色が重ねられた紙の束、物語のような豊さを感じました。

初めて使ってみたインクペン


家庭料理の安心感


阿部家でいただいたご飯は
“染みる”という言葉が合う。

思い出して、ああ、もう一度食べたいなと
思ってしまう…。

また食べたくなってしまうから
「もうここには来ないだろう」
と、ぞんざいに扱うのではなく
また来たいと思うからこそ
少しだけ、空間が自分ごとのようになる。

美味しかったコーンの天ぷら
おくどさんで炊いて、握って下さったおにぎり、美しい…


すごく嬉しかった言葉があって、
ここには良い人しか来ないと言った時
「ここにきたら良い人になっちゃうんだよ」と言われたの

「同じ窯の飯を食う」
夕食を、松場さんと家族のようにご飯を食べることで
外でご飯を食べていて、ここは初めてくる場所なのに親戚の家に遊びにきたような温かさを感じた。

朝ごはんの魔法

朝ごはんを楽しみに、キッチンに行くと
丁寧に配膳されたお皿や、サラダ。

まぶしい朝ごはん

朝のスタートが良いと、まるで今日1日が全てうまくいったように
感じるのは何故だろう。

明るい雰囲気のテーブルクロスと朝ごはん
丁寧に焼いてくださったパン


朝から、手作りのご飯を食べ、ほっとした気持ちに…。


1日を通して、宿で過ごし、暮らすことで
良い宿だったねと終わるのではなくて
「自分はどうやって日々を過ごしていこうか」
なんて、自分の想いに耽る時間をもらった気がしています。

誰かと比較するのではなく、自分の時間を重ねたい

私が阿部家から帰ってきて
しばらく経ってから考えていたこと。

「自分の時間を重ねてアウトプットしたら、どんな空間が出来上がるのか」

ということ。

理想で言えば、みんなそんな素直に理想の物を集めて
自分の心地よさだけを追求した状態になれたら幸せだなと思った。
夢物語かもしれないけれども。

窓辺、並び方が絶妙ですき

他の誰にも盗めない、
自分だけの思考を散りばめた空間を、存分につくってみたい…。
何かの教科書や流行りではなくて
「自分がこれがいい」
というものの集合体はどんな場所になるのか…。

同時に「私はこんなに物をうまく扱えているのだろうか」
とも不安になった。

でも結局、私はきっとそんなこと思っていなくて
どこか心の中で大丈夫だなんて思っているのだろうと、そう思う。


東京で半年住んだ、DIYシェアハウスは私にとって
実験のような遊び場のような場所だった。
次は、大きな自分の隠れ家を作るような気持ちで
暮らす場所をつくりたい。

お庭が見える心地よい道

いきなり理想の場所には辿り着けないので
まずは自分自身が、良いもの、良い出会い
が集まってくる魅力的な人にならないとね、なんて。

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夏の思い出

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