言わなくてもいいこと 20230123

それなりの量の文章を、誰に見てもらうためでもなく生成してインターネット上に公開するという行動になんらかの価値を見出すとすれば、つまるところ自分がやりたいかどうか、に尽きる。

何らかの調査を伴った実のある内容を多少の正義感とともに開陳するならともかく、個人の矮小な生活とその延長にある思考を言葉に起こしたところで誰かのカテになるとは思ったこともないし、逆に自分以外のなにかのためにわざわざ・しぶしぶ書いているわけでもない。ましてや強制されてもいないのだから、書きたくないときにムリクリ書く必要もない。
人間なら誰しも「思う」ことがあるだろうが、その全部を自分の外の存在に伝えることはない。できないし、その必要もない。「思った」ことのほとんどは伝えなくてもいいことだし、その上言語に置き換えて言わなくてもいいことだ。些細な出来事、他人との会話の齟齬、お金を払って味わった娯楽の否定的な感想‥‥思うのは自由だし、ひとりでに思ってしまうこともあるけれど、伝えなくてもいい。言わなくてもいい。

インターネットにわざわざ自分の口を近づけて、わざわざ声を小さくして(しかし0にならないくらいの音量で)、「言わなくてもいいこと」をわざわざ言うという酔狂な行為は、まったく自発的にしか達成されない。
かつて定期的に文章を書いていた習慣がほぼ途絶えてしまったのは、かつての習慣を押しのけてまで取り組みたいモノが増えたのではなく、「コレって別にわざわざ言わなくてもいいのではないか?」といつからか狼狽していたからだ。

しかし陽はまた昇る。ここまで現在完了進行形で、酔狂な行為を自発的に達成してきた。こねくり回して自己完結する理屈なんて、ほんとうに誰にも言わなくていい。インターネットに公開しなくていい。
でも、言わなくてもいいことをわざわざ言うのだ。自分がやりたくなったから。

思ったことを言葉にするという作業は苦痛だ。うまくいかない。漠然とした思考に言葉という道具の力を借りて構造を与え組み込みたいのに、掴みどころのカンが悪くて手が滑るばかりだ。でも、ヤツを倒さねばお目当てのアイテムはドロップしない。ドロップ率は限りなく低くても、バグ技でラクをできるようなものでもない。
わずかな書きやすさを求めて卑近な話題、吹けば飛ぶよな強制力を求めて他人からの視線(を浴びる可能性)、とここに結節したのが日記の公開という行為である。
自分がやりたくなくなるまで、続けてみることにする。

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