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10/8、にぎやかな一人部屋。

ホステルは、ホテルと比べて他人の存在を感じやすい。
町家を改装して作られているこの宿は音が響きやすいこともあり、ひとつ屋根の下で共同生活をしている他人の物音だったり話し声だったりがしばしば耳に入ってくる。

ドミトリーの二段ベッドが林立する部屋の中で他人の寝息を耳に刺しながら寝ていた自分は、そんな環境にももう慣れっこなのだが、ホステルタイプに泊まった経験の浅い宿泊客は戸惑いの色を見せることがある。
トイレも手洗い場も部屋の外にあるから、どの宿泊客も部屋との出入りがどうしても多くなる。廊下のきしむ音が聞こえるたび、水音が響くたびに振り返る神経質なお客さんは、果たして安眠できたかどうか。

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他人の話し声というのは、他の音より際立って耳に障る気がする。さらに外国語ともなれば、聞き慣れなさも相まっていっそうやかましく聞こえてしまう。
短いひと夜の間とはいえ、共同生活を送る以上はお互いに気をつけてもらうことが大事になってくるが、その暗黙の了解に”耳を塞いで”かしましくにぎにぎしい宿泊客も時たま存在する。

人数が多い大部屋は基本的に毎日うるさい。人間のおしゃべりによる騒がしさは、その人数に応じて二次関数的に上昇してゆく[要出典]から、耳をふさぎつつもまあ仕方ないかなと割り切ることにしている。

真にやっかいなのは、むしろ一人部屋のほうである。独り言がひどい客ばかりを集めた珍妙な部屋というわけではなく、原因は「電話」である。

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対面で話しているとき、人は相手の反応を見ながらボリュームを調整しているはずだ。反応というのは「うるさい」と言われるだけでなく、瞬間的に眉をひそめるなどの当人にとって無意識的なものも含む。相手に合わせた話し方をするのが、比較的容易なのである。
一方電話越しになると、相手の反応はほとんど見えなくなる。極端なハナシ、聞こえているかどうかもこちらでは判断の術がないのだ。また、電話特有の雑音がハナシを聞き取りにくくしているかもしれない、なんて無意識に思っていたりする。
そんな中でなんとか相手に声を届けようとするあまり、自然と声が大きくなるのだろう。

これも仕方ない部分はあり、一様に責められることではない。ただし、アキラカに会話をしているとわかる大部屋のそれと違い、一人部屋から聞こえる話し声はあくまでも独り言にしか聞こえない。だから、なんとはなしに不快感が募るのだと思う。

度を越えて建物上に響き渡るような語らいを愉しむ(あながち比喩とも言えないのだ、これが)御仁に対しては、恐れながら部屋をそっとノックしたのち、口頭で注意して町家を響かせるのを遠慮していただいている。

それだけこの宿で我が家のように快適にくつろいでくれているのだ、と好意的に解釈することにしよう。

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【夕食のコーナー】

さんまを一尾まるごと買ってきて、生まれて初めて「魚をさばく」ということをした。
頭を切り落とし、尾を切り落とす。あふれる血。内蔵を取り除き、水で洗う。水が赤くなっていく。店に並んでいる時点で息絶えているとはいえ、この台所でトドメをさし、否応なしに「命」というものを感じた。

それにしても、よく”こんなもの”を昔の人は食べようと思ったものだ。先人のおびただしいトライ&エラーの上で、僕は美味いものにありついているんだなあ。

買ってきた当初は3枚おろしにしようと考えていたのだが、宿のフライパンは少々小さく焼きづらそうだった(という言い訳を見つけた)ので、3つに分けて味噌煮にした。おいしかった。

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今日もにぎやかな声が聞こえる、宿直部屋の隣にある一人部屋。

僕がヘンにうるさく感じるのは、単に部屋が近いからというだけなのか。アイツも僕も”一人旅”という意味では変わらないのに、電話を掛ける相手があちらにはいることを羨ましく思っているのではあるまいか。

いらぬ思考が頭の中を駆け巡り、思わず「チクショウ」と独り言が口をついた。
‥‥これで隣の部屋に「話し声がうるさい」とか言われたら、立つ瀬ないな。

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