すぐ忘れちゃうからな 20230206

高校では芸術科目が選択式だった。美術や書道には目もくれず選んだ「音楽」の授業では、オリジナル曲を作って披露しようという課題があった。自分で作る曲には内面がヒトカケラでも反映されてしまって、さらにその内面を誇るかのように他人サマにお見せすることができようか、いやできまい、と自意識との不必要な戦いで時間を浪費しながら、なんとか曲を作った。

最初は「存在しない発車メロディメドレー」を作ってお茶を濁そうと思っていたものの、発表順のクジで先頭を引き当ててしまったからさあ困った。発車メロディメドレーは、1番にしては変化球すぎる。オープナーとしての使命感に駆られたのか、きゅうきょ歌モノに変更し、アコギ一本で歌うことにした。

発表会の1週間前には、各自が作った曲のタイトルを明かすことになっていた。曲にタイトルをつけることが一番の苦行で、何も思いつかない苦し紛れに音楽室から外を見やったときに目に入ってきた「窓枠」をその場でタイトルにして提出した私を、隣にいた男(ギターが上手でステージにも立っていたリッパなヤツ)がエラく褒めてくれたのを今でも覚えている。「無機質な感じが良い。俺もそれが良い」‥‥彼が口の回る男であったのを見て見ぬふり、いや聞いて聞かぬふりしたか、当時は素直にそのお褒めに預かり、無欲の勝利を噛み締めた。噛み締めたことさえも覚えている。

コードも進行も簡単な、「ゾウリムシにもできる作曲」みたいな本の最初の作例に載っていそうなその曲を発表会の最初に披露して、逃げるように席に戻った。他の人たちも自分の発表準備でソワソワしていて、私の曲など誰も聞いていなかった‥‥と思いたい。「窓枠」というタイトルで1勝を挙げられただけマシだろう。

自分でつけた歌詞の中に、「決まらないってことだけが決まってる」「忘れてるってことさえも忘れてる」という一節があり、ここには自分の性質が出ているなと今でも印象的に振り返る。物事をナナメから見た肩透かしのような思考、レトリックと呼べば聞こえの良い見せかけのヒトヒネリを、あの頃からずっと繰り返しているような気がする。

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個人的な思い出話をするつもりは本来なく、今週は1月に見たものを忘れる前に記録する回にしようとしていたのだった。「忘れるってことさえも~」と昔の詩がふとよぎったばっかりに、恥の上塗り。

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1月は映画をよく見た。3時間超えの大作「アバター2 ウェイ・オブ・ウォーター」を前情報なしで予約し、前作の知識が必要と知って当日慌てて前作を鑑賞、つごう6時間連続でアバターの世界にとらわれることとなったり、こちらも3時間超のインド発ド級エンタメ「RRR」を2回も鑑賞してナートゥダンスを完全にご存知にさせられたり。
映画館にお金を払って作品を見に行くのは、映像美・音響美を味わうのに加えて、作品の世界に没入するため、自分を劇場の椅子に縛り付ける手数料でもある。家では見るのに尻込みしたり、他のことに気が散ったりするばかりで、いくらお金がかからないからといっても楽しみきれないのだ、私は。
お金を失って、隣にも人がいて‥‥という環境だからこそ、「アクション怖い、主人公負けそう、帰りたい」と心の底から思っても歯を食いしばって映画を見続けることができる。

「THE FIRST SLAM DUNK」はバスケットボールの試合を見ているような臨場感が出色の”動”の熱にあふれた作品。一方、極音上映という形態で封切り以来5年ぶりに見た「リズと青い鳥」は乱暴に扱ったら壊れてしまう”静”の熱をくすぶらせる作品で、どちらも劇場で見てよかった。(上映時間も2時間かからないし‥‥)

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映画など、心動かされるなにかを見たときに、その動きがどんなものだったか?記録するのは大変に難しい。長くなっても言葉にできたら汎用的だけど、毎度そうもいかない。
ひとりで感じた名状しがたく大きさも不明のカタマリを、せめてずっと抱えてあげたい、中身が見えなくても。うっかり揺らして、中身が見えることだってなくはない。
そしてその重さをいつか忘れても、カタマリを抱えていることを思い出すのに、こんな短い記録でもきっと役に立つだろう。
忘れるってことを忘れる前に。

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