アラガイヤー

会話をするとき、なんとなく「コロナ某々」という語を使わないようにしている自分がいる。罹患せずとも程度こそあれ精神的鬱屈から逃れられない中で、口にするといっそう気が滅入る。
それに、これは自分でもよくわからないのだが、現在の生活形態をもたらした原因をソヤツだけに押し付けたくない思いもある。「ソヤツのせい」と断じることはとても容易で、それは数々の頓挫に対して生まれた悲しみや怒りといった感情のはけ口として、なんとかその矛先を人間社会に向けないようにするひとつの解決策でもあるけど、もう恨んでもあとの祭りの感が強く、犯人探しは(少なくとも庶民の自分にとっては)まったく不要不急なのだから、責任を求めるのは”諦めたい”と思っている。今と、今の先を見るしかない。濃霧で対岸は視認できないが。

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久しく顔を見ていないかつての知人のことがふと頭をよぎったとき、ひょっとしたら彼は枝分かれした並行世界にそれとなく流れていったのではないかと思うことがある。仮に彼の居場所を一方的に察知して、地を踏みしめ一歩ずつ近づいていったとしても、その場所にいる彼が自分には認識できないのではないか、と。およそ自分の行ける範囲をくまなく探索しても、彼はついぞ現れないだろう、という奇妙な確信を覚えるのだ。彼の世界では新型感染症の姿形もなく、かわりにヤクルトが圧倒的投手力でリーグ優勝を飾っているかもしれない。
だから、久しぶりに連絡をとった友人が「コロナ」という語を使っていると、彼も自分と同じ世界線で生きているのだな、と思う。その一語だけでは証拠として不十分かもしれないが。

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虹のマークのあれ、自治体が検査したのちに配ってるのかと思っていたけど、当然そんなメンドウなことはしていない。早い話が自己申告制だということに、該当ホームページを閲覧してようやく気づいた。目立てばなんでもいいと言わんばかりのレインボーだけど、外装に気を配ったオシャレなお店が可哀想なので別のなにかを考えてほしい。いや、外装に気を配ったオシャレなお店のことはどうでもいいが、単純に見栄えが悪い。あのステッカー、一度貼ったら自らの意思では二度と剥がせない社会性という糊でくっついているのだし。

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ベタベタと絡まりながら歩くカップルを見ながら、この人たちは社会の破壊と子孫の繁栄を一手に引き受けるアンビバレントな存在だな、と思った。輝かしい未来はあなたたちの手の中に。

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