見出し画像

前に進むということは、それだけで希望そのもの【PAUSE, RESUME #1】

ゲームプレイ中のプレイヤーの頭の中ではさまざまなことが渦巻いている。その意識をそのままテキストに移し替えたならなにが起きるのか……?

新連載『PAUSE, RESUME』とは、ビデオゲームや映画を、独自の文体、詩的な感性で綴ってきた、若葉庭による、あるゲームのプレイで起きた意識の流れを映す実験テキスト。今宵は何のゲームが彼の意識を乱すのか……。意識の先に、彼が遊んだゲームが姿を現わす。

6行ずつ文章を綴ります。

いくつかのスクリーンショットを置きます。

新たなるゲーム実況であり、

新たなるゲームレビューの形なのです。

いいえ、そんな大言壮語は、持ち合わせてはいません。

ただ、こんな感情を写したくなっただけです。

企画・執筆 / 若葉庭
編集・ヘッダーデザイン / 葛西祝




誰しも、幸せに、手が届く。必ず。必ずだ。

だから、ビデオゲームをプレイしているときには、

じぶんのことを写真に撮ってほしくなる。ほんとうはね。

彼女の祖母の誕生日だった、そのケーキのロウソクの数は、

もう数えられないくらいの量に到達している。

彼女の祖母は、まだ会話ができるくらいに、元気だった。スクショの中の写真。



叶うことなら、もう一度、話がしたい。とおもうから、

言葉というものは、不在感によって、いくらでも生まれてくる。

ヒトの部屋に入ると、なぜだろう、想いはいっそう強まる。

インテリアを見ていると、誰かの視線を借りている気がしてくる。

けれど、お皿にインタラクトしても、重さは感じられない。どんなプレイ時も。

ぐるぐるすることは、できる。いつだって、なんだか馬鹿みたいな気分になる。



キャラクターという存在が、別のキャラクターという存在のことを想起する。

わたしたちにとっては、もはや、完全に存在感のない人物ではあるのだけれど。

不在感をめぐる冒険は、何度でも試みられる。

あるいは、まったくの無こそが、誰しもにある不在感と響き合うというのか。

テスという、このキャラクターが、祖母のことを話して、わたしたちの人間関係にフィードバックする。

結局、誰かを愛おしむのは、記憶の中だけ。



持って行き場のない感情とは?

もうほんとに、どこにもないもの。

陳腐だとしても、そんな数値化できないものに、イメージを与えよう。

そのために、ビジュアルやサウンドの力を借りよう。

その魅力を、わたしたちは本質的に理解している。

だから、マネーも時間も投資する。ほとんど、それはつまり、人生そのものを捧げている。



もうすぐ、空き家になろうとしている家。

ということはつまり、荷箱だらけの家ということだね。

箱は、荷物にとっては、あるいは家とも云えるね。

置き去りにされる荷物もある。けれども、

ここを去らなければならない。

あまりにも、人間らしい。この選択こそが正しいと思い込むことは。



家の外にあるポストは、どうして魅力的にみえるのだろう?

常に妙な期待感をはらんでいる。

これまでの人生、どれだけの時間、まなざしを送りつづけただろう?

中年の人間がアルコールに酔って窓辺に立っていたら、それは哀れに映る。

テスというティーンには、そういう心配はいらない。

ポストに入ってくる文章も、肯定感の強い内容だろう。そうに決まってるじゃないか。



どんなにひもじい状態でも、1円、2円くらいは、財布に残っている。

まあ、慣用句なんだけど。

でも今や、それも、ただのリベラルな皮肉にしかなってなくない?

うん。この本を残してくれた人も、たいして学べることを期待しない。うん、

1つか、2つくらい、何かあるだろってくらいで。

そんなヒトももういない。なにも聞くことはできない。本は話してくれない。


一生の内に一度くらいは、こんな細工をしてみたいね。

ゲーマーとして育ったのなら、実人生の中にもゲーム性を残したいよね。

自意識は押し付けたくないけど……、

心の秘密を文章で吐露するより、ひとつの鍵のほうがよっぽど有効ではある。

少なくとも、誰かの頭の中に、はてなマークが浮かぶ。

物語に登場した銃は発射されなくてはならない。これこそ、チェーホフの銃。



あの鍵とは、もちろん、車のキーではございません。

あるべきところに鍵をはめこむため、主人公たちは旅立つのであります。

朽ち果てかけた、納屋やサイロしかないような道を進むのです。

母と娘の物語は、やや劇的になっていきます。

ある意味で、前に進むということは、それだけで希望そのもの。

日常から解き放たれ、するべきことをする! その大儀において、一切合切は些末なものに帰していく。



多くの作品に触れることで、ローカライズの品質については、ついつい、一家言が出てくる。

それにしても……これは、変な日本語ですね。

うん! すごいよ、パパ!

パパ、陽気なの? なんだか、すごく、驚いたよ、パパ。

パパだけ、作品世界からすごくはみ出してるよ!

ちょっと変なパパだけど、お金を稼ぐことはできるんだね(うらやま)。



カナダという国については、ほとんど何も知らない。

けれども、アメリカという国で、その逃亡の地としては、あまり相応しくない気がしてしまうんだ、なぜか。

<逃亡するならメキシコへ>というステレオタイプな思いつきは、ハリウッド映画を浴びすぎて、毒されてるのか。

にしても、サイケバンドのロゴ文字のような<CANADA>。

いろんな<NIPPON>だって、ありますよね。およそメイプルシロップ臭のしないカナダがあっても、当然なのだろう。

納豆臭のしないニッポンの朝もよくありますよね。



そして、逃亡者は何から逃げるのか?

母と娘は、ユーモアセンスを競っている。

指名手配者と逃亡者は、似て非なるもの。ロマンの問題として。

実際のところ、逃亡者は、ほんとうに彼らに追われているのか。

問題の本質は、警察やギャングや良心から逃げるようになった理由のほうではないのか。

むしろ、何かから逃げるために、その人は、逃げる理由をつくったんじゃないのか。


その続きは、果たして、作品内で語られるのでしょうか?



さて、この作品のタイトルは、『Open Roads』でした。

それでは、さようなら。また会う日まで、さようなら。若葉庭でした。


若葉庭
アグリ系。来たるポストアポカリプス時代と向き合い、頭を悩ませながら、暮らしをつむいでいる。しかし、なんということだろうか!その手本となるべき、ポストアポカリプス系の名作に出会うという劇的なことが、まだ起こっていない。
IGN JAPANなどで映画、ビデオゲームについて執筆

ここから先は

0字

¥ 500

『令和ビデオゲーム・グラウンドゼロ』は独立型メディアです。 普通のメディアでは感知していないタイトルやクリエイターを取り上げたり 他にない切り口のテキストを作るため、サポートを受け付けています。