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なんか、みんな、敗北してしまったね。そして、生き残りビトとは、ぜんぜん気の合う気がしないよ【PAUSE, RESUME #2】

ゲームプレイ中のプレイヤーの頭の中ではさまざまなことが渦巻いている。その意識をそのままテキストに移し替えたとき、何が起きるのか……?
新連載『PAUSE, RESUME』とは、ビデオゲームや映画を、独自の文体、詩的な感性で綴ってきた、若葉庭による、あるゲームのプレイで起きた意識の流れを映す実験テキスト。今宵は何のゲームが彼の意識を乱すのか……。意識の先に、彼が遊んだゲームが姿を現わす。

6行ずつ文章を綴ります。

いくつかのスクリーンショットを置きます。

新たなるゲーム実況であり、

新たなるゲームレビューの形なのです。

いいえ、そんな大言壮語は、持ち合わせてはいません。

ただ、こんな感情を写したくなっただけです。

企画・執筆 / 若葉庭
編集・ヘッダーデザイン / 葛西祝


駅では、誰かの背中を見ながら、歩いてる。いつも。

まあ、ながらスマホも、まぁ誰かの背中みたいなものだしね。

思考は、あーあ、とことん奪われてしまったなぁ。

もはや、わたしたちの中には、未知の細菌、被災への恐怖と、社会から強制される不透明な正しさしかないよ。

これは、<からっぽな器>ですらないってことだよ。すっごく残念なことだよ。ねぇ、気づいてる?

誰かの背中は恐ろしい。だって、誰かに攻撃されそうな気がするから。バックアタックだ!


なんか、みんな、敗北してしまったね。

そして、生き残りビトとは、ぜんぜん気の合う気がしないよ。

駅こわい。町こわい。オンラインもこわい。純粋なるプログラミングと戯れたいよ。

そんなプレイヤーを批判しないでくださいな。ローグライクかよ。

ソロプレイかよ。

生身の人間が演技する映画とか、もう言語道断ですよ。あんなの、こわすぎるね。


世界は変わってしまった、とはよく聞くけど、

自分は変わってしまった、という内省のほうは、あんまり聞かない話題ね。

一方で、自分を変えよう、というのはよくある主義なのに、

いわゆる受動性と、こうした能動性との差って、一体なんなのだ?

もちろん、いまブラウン管のテレビジョンのスイッチを入れても、何も映らない。

つまりは、受け身はいけないことだ、という言説を、あまり信じたくはないのだが。


私は、じぶんは、監視カメラには常に敬意をもっております。 

ええ、そうです。ご察しのとおり、じぶんはこらえ性のない人間です。怠惰で、ゲーマーです。さらには、ゲーマーとしても、怠惰です。

つまり、監視力がない。まったく監視には向いていませんよ。

すぐによそ見ばかりしてしまう、だからPCモニターも一画面に制御しました。

じゃあ、ひとつの画面なら、いかにも集中できそうですが、人間には目と首があるため、様々な角度を実行します。 

だから、駐車場の監視カメラの真似は到底できません。私は、移動する車をすぐに目で追ってしまうことでしょう。


その頃はまだ、生を授かったときからスマートフォンがある時代でなく、 

デジタルネイティブという社会的な称号も付与されていませんでした。

とはいえ、私自身、多ボタン機器に対して、えもいえぬ抵抗感を否定できません。 

ゲームコントローラーは8ボタンが限界なのです。もうこれ以上、進化しないでください。お願いしますよ。

ジョグダイヤル的なものは、好きなんですよ。

あの回す気持ちよさは、ユーザーの万能感を刺激するものだと確信しています!


監視社会ともいえる現代では、監視カメラという可視可能なオブジェクトはもとより、 

不可視な監視要素を察知できる、センス(能力)を求められています。

街中のあちこちに蔓延る無関心とは、逆行するように、わたしたちの潜在的な、好奇の目は活発になっています。 

もちろん、それを共有するためにカメラは必要不可欠です。

フラットなカメラ・アイを通して、わたしたち全員が視ます。

そういえば、最近、ウォッチドックスに動きはないんでしょうか? 誰か知っていますか?


綺麗に死にすぎている死体。

死によって、人があまりにも綺麗に消え失せてしまう。

でも、火に包まれながらという意味で、焼死にはまだ救いがあるって?

それとも、ただの地獄の業火なの? 

〈火よ我と共に歩め〉。

火は、わたしたちを連れ去る。運び屋。


あるいは、または、ハートに火をつけて。

さすれば、わたしたちは無になるまで、燃え尽られるかい?

SHCは、fireよりも短すぎて、

熱さをまるで感じさせないよ。

響きが、ものすごく冷たい。科学用語にまつわる、この感触は、 

この矛盾は、わたしたち日本人特有のもの?


科学ルート宣言!! さよなら日本(一ソフトウェア)!

これを見るに、Jホラーの衰退は、インターネットの発展とリンクしているようで。

掲示板怪談によって、大きな物語というものは脱構築された。 

もはやJホラーなど不要であり、小さなコミュニティの語りに回帰している。ある意味、原初的な地点へと。

常識でははかりしれないことは、当然ながら、死者のせいとも限らない。

一方で、わたしたちは、近代以前の思考を完全には捨て去れていないのだが。


その末路が、二次元信仰とは、なんたる?

誰か、声高に、二次元への信仰を否定してくれないか。

ただのドットの絵なのだ。その声を信じてはいけない。 

人の皮をかぶったデジタルだ。ただのまやかしだ。

だから、死者に関しても、生者(せいじゃ)の意志を投影できて、当然であり、 

遺影がある時代のわたしたちは、イメージできてしまう、けれども、実像がない時代の祖先は、じゃあ、いないのもおんなじだって? それはなぜ?


ドアを開けただけでは、外出ははじまらない。

だから、置き配の受取だけでは、外出には当たらない。

用事さえ無ければ、いっさい外出をしないで、常に家にいることは可能です。 

衣食住のうち、<衣>を削ることすら、理論的には実現できます。 

もちろん、置き配を受け取るときには、<衣>をすることは最低限のマナーとして必要には違いないので、 

つまり最終的に、<衣>を削ることはできないので、いつでも、その考えは改めてくださいね?



監視カメラは、必要正義なのでしょうか? 正しさを過信してはいけないよ、ほんとに。
さて、この作品のタイトルは、『東京サイコデミック』でした。今から発売がほんとうに楽しみですね。

それでは、さようなら。また会う日まで、さようなら。若葉庭でした。


『東京サイコデミック』
世の中の殺人事件の5%は未解決事件である。 それら未解決事件を再検証するADV。新型コロナウィルス以降の現代を、実写映像を交えた表現で描くことが特徴。 物証などをダークウェブなどを根城にする専門的な能力をもつ仲間と協力し、 解析ツールや自身の捜査能力を使って事件の解決を目指す。
本作は『東京魔人學園伝奇』シリーズや『九龍妖魔學園紀』などを手掛けた今井秋芳氏の新作。今井氏のこれまでの作風とは趣が違う、挑戦的な作品となる。Steamなどで体験版が公開中。


若葉庭
アグリ系。来たるポストアポカリプス時代と向き合い、頭を悩ませながら、暮らしをつむいでいる。しかし、なんということだろうか!その手本となるべき、ポストアポカリプス系の名作に出会うという劇的なことが、まだ起こっていない。

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