テスラは業績不振とかで、10%の人員削減を報道されていたけれど、イーロン・マスクみたいな社長の下では気が落ち着かないだろうな。 業績が良ければそれなりの待遇をしてくれるだろうけれど、不振になるとすぐにリストラされるのでは、長期的に腰を落ち着けないだろうし、人生設計の場当たり的になってしまうのだろうか。 実力社会といえばそれまでだけど、その時々の好不況で簡単にリストラされる会社に、献身的に働きたいとは思わないだろう。
困難な状況の時、眉間に皺を寄せて乗り越えようとする人がいる。 他人から不謹慎だと批判されたくないのだろう。 そういう人を真剣だとか真面目だとか言う昭和のジャーナリストもいるけれど、私はそうは思わない。 困難な時に眉間に皺を寄せている人は、困難という圧力に負けている人だと思う。
「もしトラ」が囁かれる現在、世界の各国は再びトランプがアメリカ大統領に就任して、保護主義やアメリカ第一主義になるのではないかと懸念している。
大谷翔平選手の水原元通訳による巨額横領事件で話題になったスポーツ賭博だけど、日本でも認可してもいいのではないかと思う。 今はインターネットを介した海外の違法賭博をしている人も多くいるし、日本国内で取り締まることも出来ずに野放しになっている。 それならば、いっそ競艇や競輪やオートレース等を縮小したり、廃止して新たにギャンブルの模様替えして自治体直轄で行った方がいい。 競馬は農林水産省、競艇は国土交通省、競輪やオートレースは経済産業省、宝くじは総務省、スポーツ振興くじは文部
岸田総理も日大も古くはフクシマも悪いレッテル貼られてご苦労様です。 人は先入観から確信を得ているかもしれないので、一度レッテルを貼られてしまうとなかなか消えない。 一旦、レッテルを貼られると、実力以上に歪められたり、過小評価や過大評価になってしまう。
私は二十代の頃、商品管理の仕事をしていた。 毎日、夕方になると倉庫に佐川急便が来て集荷していった。 「中野区で二番目に荷が多いんですよ。」と彼は言っていた。 「今度、結婚して、ハワイで挙式するんですよ」と幸福そうに彼は言っていた。 「佐川急便で稼いで将来は居酒屋を開くのだ。」と彼は言っていた。 当時、佐川急便はハードな仕事で知られていた。
日本は人口減少の時代に入ったが、世界的には人口増加が続くと見込まれている。 しかし、食糧事情は地球温暖化による気候変動等で悪化していくと予測されている。 今後、食糧の奪い合いが激化していくだろう。
良いことをして報酬を受けないことと、悪いことをされて報復しないこと。 それは反応しないことでも無視することでもない。
私は人を救ったことがない。 でも人からは救われたことがある。 主に父から救われたケースが多いが、社会の仕組みのお陰で救われたこともある。 救われた経験から言うと、救うということは助けるとか引き上げるとかではなく、相手を自分の中に含むことではないかと思う。 自分の心の中に占める割合によって、大きく相手を含むものは多くを救済し、少ししか含まない者は小さな救済に留まるのではないだろうか。 自分の中に相手を包み含有してしまうことは相手と同化するもので、救済者は対象者の所有す
罪を犯した人は罪の重さが分からない人が多い。 罪悪感が少なく、特に犯罪後逮捕されたり、拘留されたり、尋問されたり、裁判の場に立たされたり、刑務所に服役したり、そういう行く末を知らないと想像力や推理力や直感が働かない。 イメージが湧いてこないのだろう。 偶にTVニュースなどで受刑者の生活について報道することもあるが、裁判や刑務所での服役生活や受刑者の告白、または被害者側の苦しみや悲しみや喪失感、その後のあり様などを映像化し、中高生に視聴させる機会を設けたらよいのではないか
私はいつも諦めてしまうことが多かった。 何かをずっと継続して行うことをせず、いつも数年のうちに挫折していた。 統合失調症のせいだったからかもしれない。 心がいつも不安定でポジティブな時は世界の支配者を夢見ているが、ネガティブな時は全てを放り投げて全てが嫌になるのだった。
嘘をつけない性格だった。 誤魔化したり、騙したりすることが出来なかった。 だから上司に求められてもずる賢く世渡りするより、自分から身を引いた。 生きるために知恵を小賢しく使って、生き延びるより正直に生きることを選んで生きてきた。
米国と中国は様々な相違があるようだ。 政府レベルだけにとどまらず、国民意識で言っても誤解や偏見や見解の相違があるように感じられる。 けれども、その誤解や相違を取り除くための手段は講じていないような気がする。
人は自分の意思とは関係なく生まれてくる。 そして心の成長は、外部からの刺激や情報を取り入れることで育まれていく。 それなのにアイデンティティーの確立と共に自分を主張し始める。 自分が全て他力によって成り立ってきたにも拘らず、まるで恰も初めから自分自身があったかのように自己を主張し始める。
36歳の時、幻覚を見ていた。 統合失調症だった私は、幻覚と幻聴に悩まされた時期があり、その時幻覚と共に女の声が聞こえた。 「未来から過去へと生きていく16歳の女の子がいる、その娘はもっと辛い人生を生きているんだよ。」 その時はその幻覚の意味が分からなかった。
どうして日本人は周囲のことばかり気にするのだろう。 空気を読むとか、その場に合わせて自分を抑えてしまうのは国際的な常識とはズレているといわれているのに、自己主張するよりも周囲に合わせることを重視してしまう。