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わたしのなかのひとり (エッセイとつぶやき)

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記事一覧

新詩集のこと(編集あり)

新詩集のこと(編集あり)

先日、こちらの記事を公開しましたが、詩集の上梓日が変更になりましたので、編集させて頂きました。
(読みながら、あちこち追加しております(太字)一度読まれた方もまた読んで頂けたら嬉しいです)

詩集の刊行は、7月です。

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新詩集を上梓することを決めた。
2年前に上梓するつもりで準備するものの、詩の活動自体を休止したため、無期延期していた。そもそもわたしは「ひつじの箱」で詩

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七月堂のヤバイ本フェア

七月堂のヤバイ本フェア

梁川の第二詩集「ひつじの箱」の版元である七月堂さんの
ヤバイ本フェア がはじまります!
梁川も寄稿させて頂いておりますので、ぜひはじまりましたらご覧ください。
このフェアでは、七月堂から出版されH氏賞受賞詩集「髙塚謙太郎『量』」を特集した冊子の無料配布もあります。TOLTAによる解説、37人の詩人、作家に聞いた「あなたにとってヤバイ作品」(←梁川はこちらに寄稿)これは二度とないチャンスです!

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「そして私は霊媒師になった 2階に住みつく父母の敵を一喝」を読んで思うこと

「そして私は霊媒師になった 2階に住みつく父母の敵を一喝」を読んで思うこと

「なかまある」というサイトの「もめない介護」からの記事「そして私は霊媒師になった 2階に住みつく父母の敵を一喝」を読んだ。

唸った。これこそが「傾聴」だ。文字にすればたった二文字を、これほどまでに実践した例をみたことがなかったからだ。以下の記事を読んで頂ければ分かるが、ざっとまとめてみる。

そして私は霊媒師になった 2階に住みつく義父母の敵も一喝 もめない介護97

義父母が「2階に誰かがいる

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「片袖の魚」全文書き取りをしました

「片袖の魚」全文書き取りをしました

先日、大好きな詩人である文月悠光さんの「片袖の魚」という、文月ファンの私が今最も好きな詩、を全文書き取りしてみた。

細やかな息遣いが聴こえてきた。

句読点。「その」という連体詞の配置。一連目と最終連の同一の一行「あなが誰かのものになっていく。」の効果。

小学生の頃、全文書き取りの宿題をよく出す先生がいた。きれいに書かないと駄目、指定された教科書に載っている小説を10枚以上を書き写すという宿題

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かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
(アナグラム詩)

かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを (アナグラム詩)

ものさしはひとさえもしやにかく
くさきをたおるしももしらないふゆ

物差しは人さえも視野に描く
草木を手折る霜も知らない冬

しらゆきもふとやさしいはなをたおる
しのひくもにえかくさもしさ

白雪も、ふと優しい花を手折る
忍び、雲に描く、さもしさ

ふたつ作ってみましたが、類似が見られますね。どうしても「手折る」から逃れられなかったことが明白です。「る」ってしりとりでも断然難しいので、動詞にしたか

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ココア共和国11月号やながわの感想

ココア共和国11月号やながわの感想

今月号の詩のレベルの高さは、これまでで一番だったと思う。ひとつ感想(評)を書きおわり、ページを捲ると、また新しい言語に圧倒された。
ココア共和国の成長スピードがあまりにも速く、追いつけない。これは「やばい」レベルだ。ちなみに、これは佐々木さんの編集後記を読まずに書いている。引っ張られてしまう可能性を避けるためになのだが、書き終えた後、読んでみると、同じようなところを取り上げていたり、全く違うところ

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ココア共和国12月号やながわの感想

ココア共和国12月号やながわの感想

すでに1月号の告知が出ているというのに、12月号やながわの感想をやっとUPしている。
さて感想。

「ある日私が完成していたこと」あけめねす
「私」は、一昨日くらいに私は完成していたという。指も足も手も口も「僕」の言うとおりにしか動かない、それって、これまでは僕でないものでも「動かせていた」ということになる。完成した「私」は、川沿いの工場まで行かないことを悲しくない。完成したら「変わってしまう」。

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圧倒的な光と寂寥

圧倒的な光と寂寥

「トレモロ」とは、「単一の高さを連続して小刻みに演奏すること」らしい。「たたん、たたん」という音が表記された詩、「あけぼの」を、まずみてみたい。

 寝台特急「あけぼの」は、二〇一五年に運行終了となったブルートレインのことだ。「今はない」列車の旅は、2050(二十時五〇分)に上野を出発し、638(六時三十八分)に秋田に着くまで続く。作者の見ている風景は、記憶なのか、あるいはまったくの虚構なのか、そ

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ココア共和国10月号やながわの感想

ココア共和国10月号やながわの感想

ココア共和国10月号の感想です、やっと。

 様々な手段で、わたしたちの世界を(これは妄想や、目に見えない世界も含む)切り取る。切り取り方、差し出し方は違えど、「この世界を知ってる?」と微笑む少女のような生きものが現れたり消えたりする。
 出入国自由な此処は、毎月たいそう賑わっている。飛行機で、車で、小舟で、時には空気に紛れ込んだ粒子としてやってくる言葉たち。

 出来るだけたくさんの方の詩へ言葉

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ココア共和国9月号やながわの感想②

ココア共和国9月号やながわの感想②

詩のなかの「わたし」は現実社会の私とイコールか?②では①で予告のとおり、佐々木貴子さんの「嘘八百屋⑥」について。

「一読者として、読みたがり屋の「わたし」が著者であり、書きたがり屋の「佐々木貴子」に何かしらを書いてもらい、それを読んで楽しむスタイル」

驚いた。佐々木さんと梁川のスタイルはまったく同じだ。このスタイルについて、詩友と論じたことがこれまであまりなかった。他の方は、わたしとは違うので

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月刊ココア共和国9月号:やながわ的感想①

月刊ココア共和国9月号:やながわ的感想①

ココア共和国が月刊誌になって6ケ月。詩誌としての充実度を増してゆく様には圧倒される。

まず、この詩誌の凄さは、前月の結果が翌月に発表されることだ。数か所に投稿した経験のある梁川からみると、これは驚異的なスピードだ。たいてい2ケ月はかかる。編集をはじめ冊子の作成に関わる方々は寝ていないのではないか、と思うほどだ。まだ自分がかいた温もりの残るうちに結果が出ることは、投稿者にとって何物にも代え難いので

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ひつじの犬 その2

ひつじの犬 その2

きゃんはちょびのおっぱいを飲み、溢れんばりのちょびの愛ある育犬により、すくすく大きくなっていった。

目がまだあかない
目がうっすら開いた

こんな小さな犬を育てたことのない、ひつじの家族は、きゃんがちゃんと育つのかまったくもって自信がなかった。
前章でも書いたとおり「一匹しか生まれなかった」ので、ちょびは一匹に集中しすぎて、舐め過ぎたきゃんの足の毛はなかなか生えてこない。ちょびは小屋に入れようと

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ひつじの犬 その1

ひつじの犬 その1

ももは、我が家の三代目のわんこだ。

実家で犬を飼ったことはあった。
わたしが中学生の頃、駅前に捨てられていた「ラン」だ。
月に一度程度の頻度で駅前に犬が捨てられていた。当時の実家は田舎の駅前にあり、段ボールに入れられ捨てられた仔犬が、そこからふらふらと出て歩く様はかわいく、小さい頃から親に「飼いたい」と何度お願いしただろう。
駄目の一点張りだった母。それがなぜ急に飼うことになったのか。

最初は

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