まさかり

27歳 小説を書いたり、エッセイを書いたりします。読んでいただいた方全員がブラザー。ソ…

まさかり

27歳 小説を書いたり、エッセイを書いたりします。読んでいただいた方全員がブラザー。ソウルメイト。幸あれマジで。 夢は小説家になって市民プールへ入水未遂。 青鯖を空に浮かべてここは雪国。 どこまで正気か無用な憶測はせぬがよい。

最近の記事

今日、

今日、メダカ一匹の水槽が生まれた。

    • 缶コーヒー折り重なる日々

      なんて用事のない休日の朝に、冷やしておいた缶コーヒーを手に取りながら 「なんかちゃうねんな〜」 と納得いかない思いを抱く。 プルタブを引く。パシュ。コーヒーの封印が解かれる。缶コーヒーはひと口目が大事。ひと口目の香りが広がる。やっぱり 「なんかちゃうねんな〜」 となってしまう。 一等賞に美味しい缶コーヒーは、朝からうんざりするぐらい働いて、もう夕焼けも落ちかけてる頃、これからしばらく電車に乗らなきゃいけないって時に自販機から拾い上げる冷えた缶コーヒー。これに勝るものはない。

      • ショートショート 記憶冷凍

        冷凍庫の、親父がトリスの瓶を冷やしている向こうに、もう何年も眠っている記憶がある。苔みたいな霜が深く覆って、元の大きさもわからない。でも誰かの記憶がそこにあった。 記録的な猛暑の夜に冷蔵庫は音もなく壊れた。おれと親父は朝になって強烈に臭う冷蔵庫を掃除して、それから冷凍庫を開けた。冷凍庫の中は全て解凍され、十年以上重なり続けた冷凍庫壁面の霜はとけて底には水がたまっていた。親父が残念そうにウイスキーをすくいあげると、その下からむき出しになった記憶が現れた。 ハーゲンダッツ クッ

        • 株分けする訳

          ハオルチアの株分けをしている最中に、せっかくなんやから元の状態の写真を撮っておけばよかったと後悔した。ビフォーアフターということで、あんなにもっさりしていたハオルチアのオブツーサが、こんなに小振りでかわいくなりましたよ、といった具合に紹介できたほうがよかった。でもすでにその時には株分けは終わっていて、元はひとつだったオブツーサはバラバラになっていた。時すでにお寿司。お寿司は鯛。時間を巻き戻し鯛。手遅れなことはわかっているけど写真を撮った。 オブツーサは硬めのグミみたいな感触

          小説「月下美人の傍ら」

          置きっぱなしにしていた携帯から、泳いでいるような音がきこえてくる。布団のあいだ、シーツの海を泳ぐ音。彼女が起きたらしい。開けていた窓からは小豆から炎へグラデーションの空が見えた。 「あらよ」 声がとろけてこぼれそうだ。 「あらます」 似せて返す。 「おきれらの?」 彼女が察したとおり、私は一睡もしていなかった。 その夜、私が眠らずにいたのにはふたつのことがあった。 ひとつは、月下美人が咲いたこと。もうひとつは、彼の命日の夜であったこと。 窓の縁に置いた拳ほどのサボテンが花芽

          小説「月下美人の傍ら」

          指先の恋愛ソング

          雨のコメダ珈琲でのこと。ブレンドとアメリカン。 映画の話になった時に、そういえば恋愛映画って観ないなという話になった。 避けているというわけでもないのだけど観たことのある映画を思い出してみても恋愛恋愛してる映画がない。タイタニックは恋愛映画と言われると驚いてしまうけど確かに恋愛映画だ。愛しあっているもの。死ぬけど。たくさん。 恋愛ソングには二種類あるという話もした。世界な恋愛ソングと、指先の恋愛ソング。どういう違いかっていうと指先の恋愛ソングは恋愛を五感越しに歌うって感じ

          指先の恋愛ソング

          俺たちの超芸術トマソンを探しに行く。森ノ宮から難波へ。

          グッドルッキングガイ(以下グッガイ)の友達に「散歩しにいこーよ」と声をかけたら「いいですよ」と言ってくれた。イカす絵を描く彼なら、この誘いに乗ってくれると思っていた。センキューベリーマッチ。 ここまで読んだ人は全員彼のインスタの絵を見てください。 散歩の出発地点はルーレットで決める。やることはただの散歩なわけで、でたらめに歩くってだけなのだけど、ルーレットで行き先を決めればイベント気分を味わえるというわけだ。ルーレットの様子は私のTwitter(旧X)をご覧ください。 と

          俺たちの超芸術トマソンを探しに行く。森ノ宮から難波へ。

          黄色いシャツを探します

          黄色いシャツが欲しい。 ほの暖かい春先の風が吹いている。はだをやわらかくなでていく。これは、とても心地がいい。湿り気の少ない優しい風だ。どこかで大切に仕舞われていたみたいな、取って置きの心地よさが吹き抜けていく。 朝の7時の、まだ浅い陽が町を町を町を照らす。照らされる町の中に私もいる。眩しいのはわかっているけれど太陽に目を向けてみる。植物にかけた水は光を受けてキラキラ輝いてる。ユーカリのもう老いた葉は水を弾かず、丸い水滴を抱きしめている。 こんなにいい陽気で、いい日で、急

          黄色いシャツを探します

          春を待つ植物と私

          最近すこしばかりSNSから離れていた。SNSが駄目とかではなくて、どうしても見過ぎて時間が取られてしまうから避けるようにしていた。人と人が揉めてるのは面白いからね。さかのぼってでも覗きに行きたくなってしまう。 そんなわけでSNSから離れて、私は植物を無闇に育てていた。 植物を買うのは町の花屋さんとか専門のグリーンショップであることも多いのだけど、私はあえて百均で買うことも多い。DAISOとかキャンドゥではプラスチックトレーに小さな植物が大量に並べられている。案外種類も多くて

          春を待つ植物と私

          あの頃は両手サイズの映画館があったんだ

          初めての映画体験は映画館のふかふかのシートの上ではなくて、VHSを差し込んだビデオデッキと長方形のブラウン管の前、父のやかましい解説付きというものであった。しかもそれもまだまだ幼い、たしか四歳ぐらいの頃だっただろうか、父が好きで持っていた「うる星やつら劇場版2 ビューティフルドリーマー」であったので、私の屈折したサブカル好きは類まれなる環境で育まれたと言っても差し支えはないだろう。 中学二年生の頃、身の丈に合わぬ私立中学校などというものに自ら望んで進学した私は、あまり愉快で

          あの頃は両手サイズの映画館があったんだ

          お笑い芸人になれなかった私たち

          少年のぼくにとって、友達を『笑かす』ことは、それはそれはもう笑いごとではなく、命がけになって相手を笑かしにかかったものだ。 テレビで流行ってたギャグ、校長先生の真似、クラスメートの癖、校長先生の真似、親から伝授された小ボケ、校長先生の真似、あの手この手を尽くして笑かしにいったものだ。大阪という土壌ゆえだろうか。笑かしのライバルは多かった。ぼくはあまり体の動きで笑いをとれるタイプではなかった。むしろ人の体の動きを例える方が向いていた。社会の教科書の端の方に載っていたのを思い出し

          お笑い芸人になれなかった私たち

          大掃除は延長戦。徒歩三秒の三年前。

          住所というのは思っている以上にわかりづらい。似たような名前のマンションが乱立していたり、高架を挟んで番地が飛ぶこともあったり、番地が同じ一軒家が何軒も連なっているなんてことまである。更には今どき、ほとんどみんな表札に名前なんて書かないものだから個人の特定が難しい。 住所の代わりにもっと柔らかい表記がもうひとつあればいいのにと思う。 「大阪府XX市XX町 ちぃかわを祀りあげてる白い家」 こんな表記があればわかりやすいのにね。近所は怖いかもしれないけど郵便配達の人はすぐわかるよ。

          大掃除は延長戦。徒歩三秒の三年前。

          今もどこかで鳴いている

          「犬は生きよ、猫は死ね」  これは押井守監督の怪作中の怪作「紅い眼鏡」の中に登場する台詞である。千葉繁大先生の渋い声で放たれるこの台詞はカッコ良くもあり酷いものでもある。実際の犬猫をどうこうする場面ではないのでご安心いただきたい。白塗りの男たちが中国拳法でわんさか倒されるだけである。  私はこの台詞を気に入って、時々なんの気なしに言っていることがあった。  夜中二時の自分の部屋で、朝ぼらけの散歩の中で、不意に思い出したかのようにぼそっと言ってみていた。とにかく口に出したかっ

          今もどこかで鳴いている

          鳥は、

          鳥は、庭だよ 小鳥は、ピザだよ 鳥は、庭だよ 檻は、君だよ 鳥は、庭だよ 波止場は、昨日だよ 鳥は、庭だよ 宝は、墓だよ 鳥は、庭だよ アガベは、ここだよ 鳥は、庭だよ 水は、西だよ 突き抜けてくるみたいな陽射しが、ベッドごと僕を包んでくれていた。 段々温かくなる布団の中で、足を左右に行ったり来たりさせていた。 この時間だけのために、眠るものだと思っていた。 雨降る日は、雨どいを叩くリズミカルな水滴の音が起こしてくれた。 音は夢の中に入り込んできて、誰かに地団駄

          病院行ったら激の者と豪の者が待ってる

          一ヶ月ほど前に風邪をひいた時、ぞんぞんする寒気に辛い気持ちもあったのだけれど、同時に新しい漫画本を開く時のようなワクワク感があった。 このワクワク感は子供の時に風邪になると必ず覚えたものだった。分厚い布団をかけられて知らない朝の番組を耳だけで聞いている時、無性にワクワクしたものだ。普段健康な身体が不調をきたしている。そして、そのことによって普段は知らない世界に居ることができる。子供の時には辛さよりもワクワクの方が若干勝っているぐらいまであったんじゃないだろうか。 驚きだったの

          病院行ったら激の者と豪の者が待ってる

          小説「電話ボックスで泳ぎ疲れる」

           その日、駅の改札口近くの壁にささっていたタウンワークを持ち帰ってバイトを探していた俺は『電話ボックス撤去』の求人を見つけて、二時間悩んでから電話をかけた。  電話口での質問は 「体は動くか」 「物忘れは適度にするか」  というもので、正直に答えるとそのまま採用となった。  俺の作業パートナーは後藤というおっさんで、これが後藤との三回目の仕事であった。後藤は採用後すぐに免停になったということで、長い撤去ルートの全てを俺が運転させられていた。どんくさいおっさんの後藤は皺が刻ま

          小説「電話ボックスで泳ぎ疲れる」