IN CONTROL 【#80】
旅から逆算される記憶と贖罪
『葬送のフリーレン』が良すぎる。なんで自分は旅に出ていないのか、出ていないでいられているのか、とドキッとする。百年、一千年という単位で寿命が違ったら?人との出会い、時間、記憶は確実に考え方、生き方に変化を及ぼす。後悔と贖罪は、信念や正義そのものを規定する。漫然と生きるよりも、自分で意味を見出すことで人生がドライブしていく。儚さと美しさはいつだってセットなのだ。
土曜日。差し迫ったタスクの類に解放されているので、読書から。『芸術起業論』に続けて『芸術闘争論』を読んでいる。
昼過ぎに飛田給へ。大学時代の友人らと連れ立ち、FC東京のホーム開幕戦 vs サンフレッチェ広島を観戦する。久しぶりのJリーグ生観戦。寒い。
現所属のFC東京の選手の中だと、自分は松木玖生よりも断然俵積田推しなので、もうちょっと早いタイミングで投入してほしかった。実際、出場してからの10分強で違いを見せていたし、PK未遂も誘発していた(それでもMOMは荒木遼太郎で異論ないでしょう)。
観戦を終え、混雑を避けるために飛田給は迂回。調布まで30分ほど徒歩で移動する。土曜日、Jリーグ終わりということもあり、飲食店はどこも満席。適当な焼肉屋に入り、大学時代の友人らとくだらない話に花を咲かせる。朝の6時には起きていたので、瞼が落ちてきて、ふらふらのまま帰宅。
コミュニティの同質性と排他性
ReHaQでの文春・新谷さん第二弾のインタビューは必見だった。SNS時代の真実相当性、あるいは正義そのものあり方、切り取られ方にメディア人としてどう向き合いべきか。後藤さんと高橋さんの相手へのリスペクトは持ちつつも、批判的にそのスタンスに切り込んでいこうとする姿勢がかなり良かった。策士策に溺れるではないが、気づいたら仕組みは変容を遂げ、その自己生成的な仕組みに無自覚に加担してしまう可能性は誰にでもある。
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ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。