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自分が辿りつきたい宛先の設定 【#79】


快楽と苦痛のホメオスタシス

京都旅行から帰宅し、11時間くらい不乱に眠った。ときに睡眠から覚醒状態へ移行する束の間の半覚醒に、物語の種になるような、感覚的インスピレーションを持ってして起きることがある。

この感覚はすぐにノートに書きつけておかないと、数秒で蒸発してしまうので、慌てて携帯のメモアプリbearに殴る。かれこれ3年くらい書き溜めているので、それなりにネタ帳として膨らんできた。いつかその点と点がつながる瞬間を捕まえられれば、ある程度の形のていを成す日がやってくるかもしれない。

再び先週と同じ過ちを犯してしまう。ジムの時間を確認せずに一時間早く来てしまったのだ。仕方がないのでギアを置かせてもらい、近くのドトールで一時間潰す。この間に読みかけだった『世界は経営でできている』を読了。

怒りの感情が湧いたときには、まずは①怒る(怒鳴る、取っ組み合いの喧嘩をするなど、怒りを表に出す)、②怒らないという二つの選択肢を頭の中に思い浮かべてみるといい。  次に、いまこの状況で自分が目指しているものは何か(=目的)を明確にする。さらに、その目的の実現のために①と②の選択肢がそれぞれどんな役割(③と④)を果たすか考える。この時点ですでに突発的な怒りの持続時間は過ぎているため、落ち着いて考えられるだろう。

世界を経営学的に眺め、その瑕疵を剔出してみるなら、どんな不条理が抽出できるか。純文学に浸ってきたという筆者の独特な冷笑文体が小気味よい。だがしかし、論旨に納得しつつ、読後間で浮かび上がってくるのは、どこまでいっても”人間のままならなさ”であり、群としての滑稽さなのである。多くのページの紙背に、”one of them”として漂う自分の姿を無視できないだろう。

時間になったのでジム。デフォルトの下半身と背中。レッグプレスで悶絶。帰宅して犬と戯れる。もう少し暖かくなってきたら太陽の元で昼寝を習慣に取り入れたい。

この動画がかなりempiricalに納得感と発見があった。快楽とか苦痛とか一方向で感受したり理解しがちだけども、もう少しホーリスティックに自分の身体を把握する必要があるなと、体験的にも思う。環境論的に物事を眺める。収斂性やホメオスタシス。部分ではなく全体で均衡のメカニズムにアプローチする感覚。人生という単位でセルフレジリエンスを陶冶するために何ができるのか、は結構重要な視点かもしれない。そのためには身体論的に時間をかけて、時には実験を挟みつつ自分を知るのが重要なのだろう。

直観的に仮定を受容する

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