サトウリョウタ@毎日更新の人

ライター兼編集者。広報/PR関連の取材執筆、メディアのディレクション、編集業務に携わっ…

サトウリョウタ@毎日更新の人

ライター兼編集者。広報/PR関連の取材執筆、メディアのディレクション、編集業務に携わっています。ベーチェット病と闘病しながら楽しく生きる方法を日々模索中。

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

SNSのない世界にいた

先日、SNSを一切使わない女性と出会った。彼女いわくSNSはよくわからないものらしい。「インターネットに時間を取られるのがいや。現実世界を生きていたい」が彼女の持論だった。 アパレル業界で働く彼女は、綺麗なネイルを塗り、おしゃれな服装をしている。アパレルで働く欠点は、好きでもない服を買うことだと言って、頬を膨らませていた。先日から出張続きで、どうやら昨日地方から帰ってきたようだ。 「インスタ映えも楽しいかもしれないけれど、インスタに熱中するのではなく、いまに熱中したほうが

    • 言葉は無力だけれど

      文章と向き合っているときに、誰かのためになればいいという願いが芽生えてくる。それは自身が書いた文章によって何度も救われてきたためだ。その経験によって、自分のような人が増えればいいと願っているのかもしれない。 学生時代に小説を貪るように読み、太宰の自堕落な生活に自分よりもダメ人間がいるのかと安堵した。江國香織の思わず手に取ってみたくなる作品のタイトルに感銘を受け、登場人物の強さに自分もそうなりたいと願いを込めた。吉本ばななの織りなす寂しさと人生の美しさに魅入られて死生観につい

      • 5/26〜31の日記

        5/26 朝の4時にECLの決勝戦のレヴァークーゼン×アタランタを観た。今季無敗のレヴァークーゼンが2-1で勝つと予想していたのだが、結果はルックマンの驚異的なパフォーマンスによって、アタランタの圧勝で幕が閉じた。アタランタは恐ろしいほどにプレスの強度が高かった。前線かたのプレスの徹底によって、徐々にパスコースがなくなり、相手のミスを誘発する。サッカーにおいてミスはつきものだ。いかに相手のミスを誘うかが勝利の鍵を握る。ボールを持つ回数に比例してミスの確率は上がるため、ミスを少

        • 文章を書ける人、書けない人の決定的な違い

          文章を書き始めた当初は、今読み返すのが恥ずかしくなるほど酷い文章ばかりを世の中に出していた。地元の友人から「才能ないからやめた方がいいよ」とSNS上でエアリプされたこともあるし、知らない人から「駄文を書くな」と批判されたこともある。悔しい気持ちはあったけれど、その事実に抗えなかった。己の非力さを恨むよりは、愚直に文章を書き続けた方がいい。悔しさをバネに変えて、毎日いろんな人に文章を読んだり、試行錯誤しながら文章を書いたりしていた。 僕が文章で得た最初の成功体験は、小学生の頃

        • 固定された記事

        SNSのない世界にいた

        マガジン

        • 何度も読みたい
          60本
        • 或る日常
          35本
        • エッセイ集
          178本
        • 映画と音楽
          35本
        • 東京百景
          17本

        記事

          全部、気圧のせいにする

          朝、目を覚ました瞬間から嫌な胸騒ぎがした。体が重くて動けない。頭痛もあるし、肩あたりがズキズキとする。このままでは朝から取り掛かる予定だった仕事をどうも進められそうにない。隣で寝ているパートナーの足の間に猫が寝ている。この2人に健やかな表情を見るのが好きだ。それだけで何かを頑張れるのだけれど、今日はうまくいかなさそうだ。 少し寝れば良くなるだろうと思って再度目を閉じた。網戸の隙間から入ってくる風が心地よい。日光も相まって、いつの間にか眠りについていた。目を覚ましたときに、時

          全部、気圧のせいにする

          突然、街の中華屋さんが休業した

          今、住んでいる街の中華屋さんが突然休業してからもう3ヶ月近くが経とうとしている。以前も数ヶ月休んでいたため、そのうち再開するだろうと思っていたのだけれど、どうやらお店が再開される様子はない。お店の前を通るたびに、「休業」と書かれた張り紙がなくなっていないかを確認してしまう。張り紙を見た瞬間に、まだ再開されないのかと落胆する。お店の休業が長くなればなるほどに、店長が作る料理の味の恋しさが増していく。 お店が休業したのは、3月の桜が花を咲かす時期だった。気温もまだ上がっておらず

          突然、街の中華屋さんが休業した

          5/21〜25の日記

          5/21 今日は1日のほとんどを家の中で過ごした。割り当てられた作業を淡々とこなす。猫がクローゼットの中に侵入するのが見えた。普段はすぐさま外に出すのだけれど、今日はそのままにすることにした。12時過ぎから16時過ぎまで猫はその場を動かなかった。きっと寝ているのだろうと思って、猫の様子を見に行くと、予想通りだった。猫は暗い場所が落ち着くようだ。加えて家の中で一番居心地のいい場所を知っている。今日、家の中で一番居心地のいい場所がクローゼットの中だった。仕事をしているだけで時間が

          月が見えない夜に差し込んだ一筋の光

          暗闇の中に朧げに浮かぶ月を見たときに、美しいとか、どれだけ手を伸ばしても届きそうにないとか様々な思いが溢れてくる。月を見たときに抱く感情は人それぞれだ。そのときの気分によって、胸の内に沸く感情は変わっていく。その感情と逃げずに向き合った数だけ誰にも明かしたくない自分だけの秘密と出会えるのかもしれない。 今日は空にどんよりとした雲がかかっている。今夜は月が見えそうにない。それに安心する場合もあれば、不安を感じて泣きそうになる場合もある。今日はどのような気分になるのだろうか。き

          月が見えない夜に差し込んだ一筋の光

          言葉の呪縛と救い、誰かの一言がもたらす影響

          誰かが何気なく発した言葉がいつまでも胸に残っている。そして、その言葉をお守りにしながら余生を過ごす。悲しい出来事が起きた日は、過去にもらった嬉しい言葉を読み返して、元気を分けてもらう。その言葉をくれた人たちからすれば、あげた言葉の記憶が薄れてしまっているかもしれないし、やりとりすらも覚えていないかもしれない。 逆も然りで、誰かの何気ない言葉がずっとトゲのように胸に刺さっている場合もある。いわば呪いのようなもので、その呪縛から逃れるのは簡単ではない。胸の奥に残ったしこりはふと

          言葉の呪縛と救い、誰かの一言がもたらす影響

          誰かに認められたい夜、編集者との対話から見えたもの

          とても気持ち悪い夢を見た。どういった理由でそうなったのかはわからないけれど、カフェで知らないおばさんと話をしている。なぜその人と一緒にいたのかはわからない。その人はとにかく自分を褒め続けていた。仕事を頑張っている、面倒見がいい、優しさに溢れているなど、自分の頑張りを認めてくれる人だった。夢は希望の表れだと聞いた覚えがある。それがもしも事実だとするならば、僕は知らないおばさんが掛けてくれた言葉をもらいたいのかもしれない。悍ましく思った。全身の毛が奮い立つ。開き切った毛穴の奥底に

          誰かに認められたい夜、編集者との対話から見えたもの

          生きる意味なんてどうでもいい

          先日、「生きる意味」を問われる機会があった。さて、生きる意味とはなんなのだろうか。ちなみに、自身は生きる意味は死ぬ前に見つかれば万々歳だと考えている。それは生きる意味に囚われて、大切なものを見失うことが怖いためだ。生きている間に生きる意味が見つからなくても、それはそれで良しである。 自身の思考の癖として、過去に起きた出来事をなるべくマイルドに話してしまう傾向がある。苦しみの核心に触れないように、要所を端的に話す。そして、最後は前向きに話を締めるようにして、その話が誰かのため

          生きる意味なんてどうでもいい

          美しい呪い

          いつも彼女は写真を撮っている。外に出かけるときは、カメラが必須らしい。僕はカメラに詳しくないのだけれど、一眼レフが高価なものなのは知っている。いつも肩に引っ提げていたカメラは彼女の華奢な体には似つかわしくない重厚感があった。一緒に行った場所や食べたものだけでなく、自撮りやツーショットを撮るのが僕たちの恒例行事となっていた。ふと彼女に写真を撮る理由を尋ねたことがある。彼女は「思い出はいつか消える。だから写真に残すことで、いつでも思い出せるようにしたいの」と言っていた。彼女の言葉

          文章を書きたい、書きたくないの繰り返しの中で気づいたこと

          久しぶりに、エッセイの企画書を作ってメディアに送ってみた。ライターになった当初は企画書を片っ端からメディアに送っていたのだが、書くことを諦めていたため、企画書を送るのは愚か作ることさえしなかった。結果はどうなるかわからないし、連絡が返ってくる保証もない。それでも一歩を踏み出したその事実は賞賛に値するものだ。 文章を書きたくなかった。それは文章に対する自信がなくなっていたためだ。編集者としてキャリアを積む中で、たくさんのライターさんたちの文章を読んできた。読めば読むほどに自分

          文章を書きたい、書きたくないの繰り返しの中で気づいたこと

          友達がいない

          5月の中旬までは公私共に忙しかった。それは大阪に帰省していたためだ。31歳になるまでずっと住んでいた街にはたくさんの友人がいる。大阪には僕のためにわざわざ会う時間を設けてくれた人がいて、それは非常にありがたいことだ。会いたいと思ってくれる人がいるのであれば、その期待に応えたい。1週間ほどの帰省だったけれど、あっという間にスケジュールは埋まり、充実した時間を過ごせた。 だが、東京に帰ってきた途端にプライベートの予定が真っ白になった。その証拠に5月中旬から予定が1件もない。真っ

          5/16〜20の日記

          5/16 今日は月一の難病の定期通院だった。「蛍光眼底造影検査」を受けた。これは静脈内に蛍光色素を投与することで、眼底に炎症度合いを調べる検査らしい。検査室の中で大きな機械に座り、目の中を撮影した。その間ずっと光を浴びせられるため、終わった後は酷く疲れてしまった。お腹の奥がじんわりと気持ち悪い。この程度で済んだ事実を喜ぶべきなのかがわからなかった。右目は良好のようだが、左目の炎症が酷いらしい。目の炎症を抑えるために両目に点眼をしている。数ヶ月前までは自己注射をしていたのだけれ

          きっと、今しか書けない文章がある

          インスタ映えもしないただの日常を生きている。何かで成功したわけでもなければ、その兆しもない。たられば、もしも論ばかりが脳内に思い浮かび、こんなはずじゃなかったという人生の続きをかろうじて生き延びている。後悔の数を数え出すとキリがないため、いかに後悔を納得に変えるかに照準を当てて生きてきた。この人生に失敗はないとは言い切れない。失敗は成功の元とよく言われるが、失敗を失敗のままで終えてきた経験がいくつもあるのは、逃れようのない事実だ。 もしも自身が主役の映画が作られたとしても、

          きっと、今しか書けない文章がある