DTMを使わず作曲をがんばるひとがいる
今回は、作曲をやって自分の曲を外部に発信しているひとの中でも、
弾き語りをやっている
バンドをやっている
歌うことを活動の主体としている
楽器の演奏全般に取り組んでいる
などのひとに向けた、私の個人的な思いについて書いてみます。
ネットにおける「DTM作曲」派の存在感
現代における「音楽活動の発信」といえばネットがその主体であり、逆の言い方をすると、
といえます。
この「ネット」というのは、具体的にいえば
YouTubeへ音源(動画)をアップする
SNSに音源をアップする
音楽系のサブスクサービス(Spotify、AppleMusic等)で音源配信をする
などの、いわゆるインターネット上で音楽を流せるもろもろのところを指しますが、そこで問題となるのが
という点で、それゆえに、自分が作った曲をネットで公開できる品質で音源化できるひとの存在が大きくなります。
つまり、作曲に取り組むひとの中でもDTMをやって音源を作っているひと、または(きちんとした完成形の音源を作っていないにしても)DTMを作曲のツールとして使っているひとの存在が大きくなり、目立ち、音源としてアップできるものが常にあるので前に出やすいといえて、それに相当するひとの方がネットでの発信では「作曲をやってる感」が出ます。
ネットにおける「作曲」や、それを含めた「音楽を作る」という話題においてはDTMを使っているひとたちが主役のような存在となり、
になるそのスタイルは、音楽活動をネットで発信するうえでものすごく優位な立場にあるといえます。
DTMを(主に)使わず作曲をしているひとたち
それを踏まえつつ、その一方で、
がいます。
これが冒頭で述べた、
弾き語りをやっているひと
バンドをやっているひと
歌うことを活動の主体としているひと
楽器の演奏全般に取り組んでいるひと
を指しますが、彼らの作曲は総じて
という属性を持っています。
もちろん上記で挙げたひとたちもDTMを使って音源を作ったりすることはあるものの、作曲活動のメインがDTMではないため、作曲の過程を伝えたり、デモ、音源、となるとやっぱりDTMで作っているひとたちよりは存在感を出しにくく、「ネットにおける作曲活動の発信」という意味で、立ちまわるフットワークの軽さもやってる感も出しにくく、結果としてやっぱり立場は弱くなりがちです。
*
この記事で私が言いたいのは、「私はそれをわかってます」ということです。
DTMを使わず、音源化を目的とせず、ネットでの存在感が薄めでも、生演奏での披露を前提として、そのDTM派のひとたちと同じ熱量で作曲に取り組んでいるひとはたくさんいます。それを私は理解しています。
だからその生演奏派のあなたは、気にせず自分の作曲に向き合ってほしいです。
DTM派のひとたちを変に意識することなく、
とスタイルによってやるべき音楽性を無理に変えなくていいです。
その生演奏主体の作曲に誇りを持って、そちらを存分に追求してほしい、という応援の気持ちを私は持っています。
生演奏はかっこいい
生演奏派のひとたちにとって、ネットでの発信では
ライブ配信
演奏音声/動画
などが存在感を出せるコンテンツになるため、特にそのあたりを重視しつつ積極的にライブ配信を行ったり、自分がオリジナル曲を演奏しているところをまるごと音声や動画にしてコンテンツ化していくことが検討できます。
個人的な思いとして、例えばギター1本の弾き語りでも、楽器のソロやバンドなどで編成やサウンドがDTMほど豪華な感じではなくても、それを生演奏で、人間の生声でやるのはすごく格好良いと考えています。
生演奏というリアリティや緊張感、そこで少し音程がずれたり、テンポが走ったり、それもまた生演奏ならではです。
DTMで曲にいろいろな音が詰め込まれていて、それがデータによって完璧に表現されていると、
という印象をコンテンツの受け手に与えることができますが、自分が作った曲をみずからの演奏や歌で表現していることもそれに匹敵するくらい素晴らしいです。その生演奏で十分コンテンツになります。
だから、
「自分は生演奏で作曲をやるアーティストです」
「それでこんなに良い曲を作るんです」
と胸を張って、ネットでも存分に発信してください。
*
生演奏派のアーティストにとっては、この「DTM主体で活動しているひとよりネットで存在感を出しにくい」という問題は常について回りますが、その点に上手く折り合いをつけつつ、ぜひ前向きに音楽活動に取り組んでみてほしいです。
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