行き当たりばったりの散歩が聞かせてくれたのは、私たちにはこんなにも終わらない歌が要るのだということ…
先日、東銀座を散歩していました。行ってみたいなぁと思うカフェがあったのです。だけど行ってみたら…あらら、予想していた以上の大行列。まぁ…びっくり。私はあんまり長い列に並ぶ気持ちはないので、うん、この日はこちらをお邪魔する日ではなかったんだってあきらめて、またぶらぶらと歩きだしました。
どうしようかなぁ、髪留めがほしかったので予定していた三越に行こうかなぁ
の~びり歩いたらね、なんだか入ってみたいカフェがあって。そこでゆっくりコーヒーを愉しんでいたら親切にも店員さんが建物の中に雑貨屋があることを教えてくださったのです。
そこは歌舞伎座でした。
髪留めなんてあるかなぁって思ったけれど、ちょっとおもしろそうだし見てみることにしました😊
やっぱり髪留めなんてないよね、と地下のお店を見て歩いていたのですが、目に飛び込んできたのは簪のお店でした。
わぁぁ~✨素敵…!
キュンとして、こんな簪で髪を結ってみたいって、惹かれるものをじっくり見ていたのです。こちらのお店でも接客してくださった店員さんがいたのですが、簪のことよくわからない私の質問にも答えて下さいました。
いいなぁ。。いつもシャツにジーンズにパーカーとかばっかりだけど、髪をさっと簪で留めてみたいなぁ…でも、まだ髪の長さは肩より上だから留まらないかもと思ったのです。
その店員さんは私の髪の長さでも留められる方法を親切にも教えて下さっただけではなく、長い時間引き止めてしまいますのに、買うかどうかわからない私の「もしよければ、留めてみていただけますか?」というお願いも快く聞いてくださいました。
たくさんの人のやさしさのおかげで、私は桜柄の緑の簪を手にすることができたのです🥰
もともと簪が欲しいなと思ったのは、以前、浅草を散歩していたときに簪屋さんがあって、とても惹かれたからなのです。そのときはお金がなくてあきらめたのですが、こうして簪が導いてくれた出会いでもありました。
行き当たりばったりのお散歩はとても楽しくて…!
すごく行きたいお店でも、大行列ならそれでいいし。並んでいる皆さんが楽しんだならそれでいいよ。ふっと惹かれたカフェに入って、教えてもらって。自分の予定は三越だったけど、行ってみて。そこでまた出会いがあって。
計画を立てたり、ここに行けば間違いないって正解を出そうとするのではなくて、自分はまるではじかれて釘にあたって、あっちへコロコロこっちへコロコロするピンボールみたいに、なすがまま流れにゆだねて…
そんな散歩が楽しいの(*^-^*)♪
髪を結っている間、その店員さんが日頃は着付けやヘアセットを仕事にしていることを知りました。いつもはお金をもらって髪を結っている方だったのですね。
でも、結えないんじゃと不安な私のお願いに、なんの下心もなく結って下さった…
私はとても嬉しくて。その方のやさしいお気持ちで結ってくれた、簪をさした髪で銀座を歩けるのが本当に嬉しくて。たくさんの人たちのやさしさで、こうして穏やかに平和に生きています。
そして、「仕事」というのは本来、「事に仕えること」で、ただ「行為すること」という意味なのですよね。そこには人に認められるとか稼ぐとか、我慢とか忍耐とか、そんな意味はないのです。
ただ行為する、そして、結果としてお金は後からついてくる。お金はただ払うのが当たり前のものというわけではなくて、ありがとうの感謝の気持ちで渡すものではないかと…
私がいつも行くカフェだって、コーヒーとサンドイッチの単なる料金なのではなくて、おいしいお料理とくつろいだ時間を本当にありがとうの気持ちでお金を払うのです🍀
この日、お散歩をしていて、仕事、お金、そして社会の中で幸せや豊かさってこんなふうに循環していくものではないかな?なんて…そんなことも感じたのですよ。
谷川俊太郎さんの「愛」という詩から一節を紹介させてください。
私は働く力がほとんどなくなってしまって…
肉体的にも精神的にもポンコツで未熟で、人格も破綻してるし、どうしようもないほどめんどうくさがりだし、すぐに不安や恐れに呑みこまれるし…
だけどまだこうして言葉を綴ることもできる。歩けるし、自転車にも乗れるし、食べることもできる。
だから、今日一日、今このとき、私も豊かさの循環のために、ほんのちょっぴりでもできないことはないかなと思うのです💖
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