見出し画像

「生きるとは、人の記憶に残ること」

どこかの記事で読んだ。
どういうことなのか、その記事をもう一度読みたくて探すけれど、見つからない。いつもならば、読み返したい記事はブックマークしているはずなのに。探しても、探しても、その記事が見つからない。
覚えている一文が、心に座ったまま窓を見つめている。

大みそかの22時、家族でテーブルを囲み、年越し蕎麦を食べていた。
ふと、その一文を思い出す。

「生きるとは、人の記憶に残ること」

今年、私の記憶に何が残った?
逆バージョンの問いが生まれた。
夫婦のいざこざ、真っ先に思い浮かぶのがこれだ。
楽しいことも嬉しいこともたくさんあったはずなのに、悲しくなった。
娘の記憶にも同じ景色が残っていたら悲しい。

黙々と蕎麦をすする。
年越し蕎麦ってどんな意味があるんだろう、と考える。
毎年食べているけど、意味を知らないままだった。

今年は自分で年越し蕎麦に意味付けしよう。
蕎麦と一緒に苦しい記憶、辛い記憶をすすってしまおう。
来年まで持ち越さない、年越す前にすすってしまおう。

死ぬ時に思い出す記憶は、できれば明るいものがいい。
自分の中に残っている、辛い記憶は、今日この年越し蕎麦と一緒にすすってしまおう。辛い記憶を自分の中に留めておくのは、何か理由があるはずだ。
思い出すと辛くなるのに、ここ数年、年を跨いでも大事にとってしまっている記憶。忘れられないのではなく、忘れたくないのだ。
辛い記憶を武器にして、一人で戦い続けていたのかもしれない。
平和を願いながら、武器を置かなかったのは私か?
終わったことなのに、記憶の断片が思考の海に漂う。

今日、手放そう。丸呑みしよう。
カラダの外に出してしまおう。
年越し蕎麦と一緒にすすってしまえ、と思ったら
頑丈な箱に入れてしまっておいた記憶と、さよならできそうな気がしてきた。
忘れられないのではなく、忘れないようにしていたのは私だった。

ゾゾゾゾゾーッ、蕎麦をすする。

あの世に持っていくのなら、明るい記憶を持って行きたい。
人の記憶に残るなら、笑っていたい。
そんなことを思いながら、蕎麦と一緒に一年分の、いや、
数年分の辛味を丸呑みした。

これからは一年分を溜め込まない。
自分の中で決着がついたのに、忘れられないことがあったなら
ご飯と一緒に丸呑みしてしまおう。
カラダを動かしながら、暗記する方法があるように、
行動とセットにしてしまえばやれるはず。

私は身勝手だ。
こうして年越し蕎麦を食べながら、ふと、
何年も手放せなかったものを丸呑みしてしまった。







読んでいただきありがとうございます。 noteで出会えた奇跡に感謝します✨ サポートいただけましたら楽しい寄り道に使います。