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自分を賢い者とうぬぼれてはいけません

私の悪い癖なのですが、「知識ひけらかす」ことを喜びにしていること。悪意ある言い方になりましたが、知識人間ということですね。自分の集めてきた知識を、さも当然のように公開すること。人のためにやっているようで、実際はそうではないことも多々。想いが込められているものは、すぐにわかります。一方で、ただの知識羅列はただの文字なだけ。何が言いたいのかというと、うぬぼれになっていませんか?という問いかけです。これは書く人間として、自分への戒めでもあります。

知識がある人は偉いのか

この世界を優位に生きていくためには、知識力のある人は必要とされがちです。人の上に立つかのように偉くなることすらできます。有名になれることも。尊敬の目を集めることもできます。もちろん、人それぞれです。なんだか、知識がある人って素敵に見えますよね。少なくとも私はそれに憧れており、また、自分自身の性質も小学生頃からインプット&アウトプットが大好きでした。よって、知識こそ正義だと。しかし、この考え方は正しいのか?

善悪を考える時点で何かがおかしくなる

正しいとか、正しくないとか、これらは「どうでもいい」と今の私なら思います。別に白黒つける必要はないと。それはただの、その人の意見に過ぎないから。上記の知識力についても同じです。偉いとか偉くないとかも、物の見え方なだけ。少し角度を変えたら、別に大したことはない。何事にも言えます。本当に素晴らしいことはあるようで、ないと。何とも虚しいですよね、私の目線。けれど、虚しいだけではありません。むしろ平和です。

うぬぼれは苦しみになる

「私は人よりも◯◯だ」みたいな感覚、きっと誰もが持ったことがあるかと思います。上を見れば青天井のように果てしないけれど、それは下も同じ。でもこの目線って、自分の偏見なだけなんですよね。隣の芝は青く見えるだけ。そして、自分を過大評価しているに過ぎない。つまり、うぬぼれ。人間はそういう感覚が時に出てしまったりします。その行き着く先が、他人との強い比較です。それも、直感レベルで。そうなればもう、自分の心に平和はありません。苦しいですよ。

人間関係は愛

上記のように、うぬぼれが発生する理由は明確です。愛がないから。いえ、少し違うかもしれません。他人に対して愛がなく、自分だけを愛しているから。自分本位といってもいいでしょう。自分、自分、自分だから、見え方に偏りが出てくる。いじわるな目ともいいましょうか、人を愛するよりも分別するのです。あなたは一体何者ですか、という話になりますよ。人間関係が上手くいかない人は、こういった視点・前提から始まっています。

学びはそんなに必要ないのかもしれない

大前提、学ぶことは重要です。人間は一人では生きていないから。社会の中で生きていく以上は、それ相応の学びは必要です。けれど、それが人の素晴らしさや価値だとは言い切れないと思っています。学ぶことは素晴らしいですが、こういった知恵に傾くと、愛が冷えていくと私は時々感じます。私がそうだからです。自分ファーストになりすぎて、人を切り捨てている自分に気づいたからです。これのどこか、素晴らしいのでしょうか。素晴らしいと思っていた学びが、素晴らしさとは反対の人間へと変えていくことすらあるのです。学びそのものは悪ではないのにも関わらず。

自惚れ(うぬぼれ)の意識

私は先ほどから「うぬぼれ」と使ってきましたが、漢字にすれば「自惚れ」です。あえてこれを使ったのには、考えていただきたいからです。漢字にしたとたん、ハッとする人はいませんか? 何か気づきを感じた人はいませんか? 自分の自がありますよね。自分、自分、自分、の意識が滲み出てみえます。少なくとも私にとっては。

自分を賢い者とうぬぼれてはいけません

自分で自分のことを「賢い」「頭がいい」などと思っていてはいけないと思っています。何がいけないのか? 人が見えなくなるからです。愛の薄い人になるから。厚みのない、カサカサとした心になるから。それは本当に意味では、人のためにはならないと思っています。どんな人でも尊敬をもって向き合いたいものです。これは私への戒めの言葉でもあります。

人の優劣関係に疲れた

この世界、生きづらいなぁと思います。人に対する優劣が凄まじいからです。かといって、「じゃあ、あなたは誰とでも平等に付き合えるのですか」と言われたら、NOです。そこには自分のプライドや欲望、偏見の目があるから。誰だってそうです。それが人間です。人類史上、あとにも先にも、人を平等に見てきた人は、イエス・キリストのみだと思っています。それくらいに、人間関係というのは壁があります。

とはいえ、それも自分次第。継続は自分次第ですが、最初の一歩を踏み出すことはできるはずです。そう思いたいです。このようなことを真面目に考えてしまうくらいには、この世界はどこまでも競争社会ですね。

この記事で言いたいこと

人と比べたり、自分は優位だとかうぬぼれたり、自分ファーストでいることは、どうk長得ても苦しい生き方になるということをお伝えしました。平和的な生き方とは真逆ですから。そうではなく、本来ならば平和的に生きたいですよね。そのためには、人を愛すること。これに限ります。今の時代はマウントばかりの人や、イライラばかりの人、自分さえよければの人、人をお金としか思っていない人も多いです。それでも、自分は染まらないように、柔和な人であれたらいいですよね。書く人間として、言葉には一層気をつけたいと感じた今日でした。

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