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インクルーシブ哲学へ⑦:音と言葉

▲前回


2023年12月21日

大学では、哲学対話の授業をやっている。
毎回の授業で、その日の担当の学生さんに、約80分を自由に使って哲学対話をしてもらう。

受講生の中に、哲学対話の活動を活発に行っている学生さんがいる。
その学生さんが、言葉を使わない対話を、実験的に試みてくれた。

その日、参加者はそれぞれ、音の出るものを持ってきた。
ビー玉の入った瓶、木の板、鈴のついたおもちゃ、それから柑橘の果物まで、いろんなものが机の上に置かれた。

参加者たちは、その中から気に入ったものを選んで、音を鳴らす。
みんなで雨の音をつくろうというのだ。
雨の音の中で、自分の居場所を見つけようという試みだ。

音を鳴らす時間が始まり、僕は木のスティックでプチプチシートをなでて、音を鳴らした。
教室の中が、いろんな音であふれはじめた。
その音に耳を澄ませた。

一つ一つの音をぜんぶ聴き分けることはできない。
自然と注意が向く音は、僕の鳴らす音とリズムが似ている音だった。
リズムの似た音を聴いていると、合奏をしているかのように、自分の音も大きくなったりした。

リズム。
生きている人間は、それぞれリズムを刻んでいる。
対話というものはまず、リズムの似た相手と始まるのだろうか。

音を鳴らす時間が終わり、みんなで語り合う時間になった。
哲学対話の著名な実践者であるNさんもいた。

Nさんは、日雇い労働者の街での対話について話をした。
その対話では、参加者たちが音を鳴らすこともしたそうだ。
Nさんは、そういう場所で言葉を使って話していると「詰まってくる」と言った。
そういうときに、みんなで音を鳴らすことをしたのだそうだ。

言葉を使っていると詰まってくる!
檜原村で考えたことだ。

僕は、「何が詰まってくるのですか?」と、Nさんに質問した。
Nさんは、言葉で問いについて話していると、言葉が出なくなってくる、そういうときにみんなで音を鳴らすと、花火みたいにバーンと打ち上げることができる、と応えてくれた。

檜原村では、詰まりを取り除いて、循環を起こすということを考えていた。
Nさんとしては、詰まりを取り除いて、花火のように打ち上げる、か。
これは面白い!

ほかの参加者の一人は、どんな音を出してもいいと思える中で、声は出しにくかった、と話した。
なるほど。声というものは、普通の音ではない。

言葉は独特な意味の世界をなしている。
それと同時に、言葉は独特な音の世界をなしている、と気づかされた。

言葉と、言葉でないもの。
その境い目は、独特な意味の世界と、その外の世界との境い目。
そして、声という独特な音の世界と、それ以外の音の世界との境い目。
境い目が二重になっている。

言葉と言葉でないものの境い目をなくして、哲学対話がしたい。
それは、この二重の境い目をなくす試みなのかもしれない。


▼次回


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