森喜朗元会長の女性差別発言を「炎上」で終わらせないために必要なこと(Wezzy2021.02.17掲載)

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗元会長の「女性は競争意識が強い」「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」といった発言が女性差別であるとして大きな話題になりました(発言の全文はこちら)。

この件を受けた経団連会長や自民党の二階俊博幹事長の発言も同様に批判の対象となり、ボンバーマンの連鎖でも見ているような気分になります。

森元会長の発言に限らず、社会ではいまだにあらゆる場面で女性差別が行われています。こうした状況を改善するためにすべきことは多数ありますが、『Oxford Review of Economic Policy』という学術雑誌の最新号で組まれていた「ジェンダーの経済学」という特集に、いま何をしなければならないのかがクリアに見えてくる論文がありました。「バイアスと差別:既知の事」と「ジェンダーと文化」の2本です。

今回は、女性差別の起源に迫る経済学分野の研究を簡潔にレビューしている2本の論文を紹介しながら、日本の女性差別の起源とどのようなアクションを取るとよいのかを考えたいと思います。

女性差別の3つの起源

「バイアスと差別:既知の事」は、女性差別について①好き嫌い、②統計的差別の二点からレビューをし、「ジェンダーと文化」は、③文化の点からレビューしています。この3つの起源から起きる女性差別の解消のためには、それぞれで採るべき対処策の方向性も違っています。順に見ていきましょう。

まず、①好き嫌いについてです。人間誰しも好き嫌いがあります。私も、大リーグのワシントン・ナショナルズの長年のライバルであり、チームの主砲を引き抜いたフィラデルフィア・フィリーズのファンが嫌いです。これが排除や制限に繋がっていない限りは個人の自由なのですが、就職や就学などと結びついてしまうと差別になります。

しかし、この好き嫌いに基づく差別は、非効率であるので、市場が機能していれば排除されていくことになります。

例えば、女性を不当に安く雇用したり、昇進から排除したりしていると、別の企業や組織Aが、男性より安くとも今の企業や組織よりも良い待遇をオファーすればその女性を引き抜けるでしょう。さらに別の企業や組織BがAよりも良い待遇をオファーすれば……を繰り返していきます。そうすると、結局のところ、女性を不当に安く雇用したり、昇進から排除したりしていると、その非効率さから市場から退場せざるを得なくなります。

しかし、教育経済学の研究の多くは、なぜ教育市場が機能しないのか、その解決策は何なのかに充てられています。というのも完璧に機能している市場というのはほとんど存在していないのです。

労働市場においても同様で、女性の教育水準が極端に男性よりも低い場合、差別が十分に非効率にならないので、期待した通りには女性差別をしている企業や組織が排除されなくなります。アメリカの黒人差別なんかはこれに近い状況に陥っているのではないかと私は考えます。

次に、②統計的差別です。これは主に、人間や企業が非対称ないしは不十分な情報の中で決断をしなければならないことに起因しています。人材採用を例に考えてみましょう。人材採用をする時に、会社や組織側は応募者が持つ属性(性別や大学など)からいろいろなことを読み取ろうとします。なぜなら、応募者が自分で理解している自分の能力や思惑と、採用者が面接で理解できる応募者の能力や思惑が同じ(対称)ではないため、履歴書や面接で直接得られた情報以外の情報にも頼らざるを得ないからです。

より具体的な状況を想像してみましょう。ある会社では、これまで大半の女性社員が結婚や出産を機に離職していたとします。そのような状況では、この会社の人事が、「女性は仕事が長続きしない」というステレオタイプを持ち女性採用に躊躇してしまう可能性が高いでしょう。

このステレオタイプは、特定の応募者の女性が働き続けるか否か分からないという人事側の情報不足にも起因しているので、自分は結婚・出産後も働き続ける意思があることを上手く・強くアピールすることで、この情報不足を解消できるかもしれません。結婚・出産後も働き続ける女性が増えて、「情報」がアップデートされることで、ステレオタイプが緩和されることも期待できます。

しかし、やはり物事はそう簡単ではありません、なぜなら人間は確証バイアスを持っているからです。確証バイアスとは、自分が持っている信念と合致する情報のみを探す・受け入れてしまうというものです。占い好きの人が、10個中1つしか当たっていない占いを見ても、その一つだけに注目して「やはり占いは正しい」と思ってしまうのが好例です。

先ほどの例で言うと、10人中9人の女性が結婚・出産後も仕事を続けるようになっても、辞めた一人に注目して、「ほら見たことか」とステレオタイプが強化されてしまうことがあるということです。特にそのステレオタイプが、アイデンティティに絡んでいる場合、この確証バイアスは起こりやすくなってしまいます。恐らく、ステレオタイプが①の好き嫌いに絡んでしまっている場合も、これに該当するでしょう。

最後に、③文化・慣習です。社会の中のジェンダー規範(例えば、女性が子育てをすべきだとか、いったもの)の中には、様々な要因によって、時間をかけて形成されたものがあることも分かってきています。その要因には、産業化以前にどのように農業がおこなわれていたか、言語の特徴、家族形態、婚姻の習慣といったものがあります。

例えば、社会保障が存在せず、男子が家を継いで、女子は嫁ぐという家族形態が一般的という途上国で広く見られるような社会では、女子の教育よりも男子の教育を重視して、教育で女子が差別を受けることは容易に想像がつくと思います。一見すると文化的に形成されたジェンダー規範に基づく女性差別は解消が難しそうですが、変えられないわけではありません。これまでに、戦争やテクノロジーの進歩などが、それを変えてきたことも分かっています。

今後取られると良さそうなアクション

私の知る限りでは、森元会長の発言直後、「女性よりも男性の方がしゃべる」という論文が広くシェアされていました。

これは女性差別が②の統計的差別・ステレオタイプに基づくものであった場合、そうではないことが明らかになる情報が与えられたという意味で効果的だと考えられます。しかし、①の好き嫌い、即ちミソジニーに基づくものであった場合、全くもって意味がないものだと考えられます。事実であろうとなかろうと関係がないからです。

次に、辞任を求める運動が立ち上がりました。こうした運動はミソジニーに基づく女性差別について効果的ですが、それは市場が機能している場合という但し書きがつきました。

日本で市場がしっかり機能しているかというと、日本はOECD加盟国の中でも女子大生の方が男子よりも少ないという稀有な国であり、大学院の女子学生比率は約1/4、東大の女子学生比率は1/5以下と、女性の相対的な教育水準が先進国でもダントツの最下位になっています。そんな国ではジェンダーに関連する市場が十分に機能しているとは考えられません。

トップの首(今回の場合は森元会長)をすげ替えたところで、瞬間風速的に事態が好転しても、長期的に見ればあまり効果はないでしょう。むしろより悪い後継が出てくる恐れもありますし、溜飲が下がり満足してしまった結果、長期的に見れば改善に向かっていたかもしれないトレンドが悪化する恐れもあります。

とどのつまり、今回の騒動は、年末に発表されて世間を騒がせるものの、年始には極々一部の人以外はすっかり忘れているジェンダーギャップ指数問題と似たような流れになってしまう恐れがあるのです。

運動などのアクションも重要ですが、せっかく燃え上がった火なので、①女性差別が十分に非効率になるように女性の教育・トレーニング水準をあげていこう、②ステレオタイプが解消されるように情報を明らかにしていこう(そして、社会に出てからステレオタイプに晒されないと女子を安心させて、より学習に励んでもらおう)、③先進国で最低レベルという女子教育の現状と企業・社会におけるジェンダーステレオタイプを引き起こしている文化的な部分を特定して、解消のための政策的な介入を求めていこう、という女性差別解消に向けた包括的かつ長期的な取り組みに引火していくと良いなと願っています。

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。