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新興国アメリカって不思議!①

 アメリカ合衆国という国は、実は不思議な国である。
 世界史の中でアメリカ合衆国は、いってみれば新興国である。建国から200年しか経っていないので、欧州だけではなく、アジア、アフリカ諸国と比較してもかなり若い国、できたてホヤホヤの国なのだ。

 なぜ建国して200年余りの国が、世界経済の覇権を握るほどになったのだろうか。そしてアメリカは、よく知られているように、そもそもは植民地だった国なのに…。そもそも先進国の中で、かつて植民地だったという国は他にない。また、アメリカ合衆国はヨーロッパの国ではない。

 「欧米」とひとくくりにされることが多いが、アメリカは、ヨーロッパからは遠く離れたところに位置する国である。そして、南北アメリカ大陸には現在、50以上もの国や地域があるが、その多くは発展途上国である。
 なぜアメリカ大陸の中で、アメリカ合衆国だけが突出しているのか。現代を生きる私たちは、「超大国としてのアメリカ」「アメリカ中心の世界経済」を当たり前のように受け入れているが、このようにアメリカには多くの不思議がつまっているのである。そして、その不思議を解くカギは、この国の特異な歴史にある。アメリカ合衆国の経済力の第一の源は、その広大な領土と資源である。まず領土がとにかく広い。世界で3番目に広い国土を持っている。
 これだけ広大で、しかもロシアのように国土のほとんどが凍土などではないのだから、掘ればなにかが出てくるはずである。金脈、油田、鉱山…この広い広い国土が、アメリカ合衆国のなによりも強い武器になっているのだ。
このように広大な国アメリカ合衆国ではあるが、実ははじめから大きな国だったわけではない。

 アメリカというのは独立当初は、東海岸の13の州しかなかった。マサチューセッツ、ニューハンプシャー、ロードアイランド、コネティカット、ニューヨーク、ペンシルバニア、ニュージャージー、デラウェア、メリーランド、ヴァージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージアである。現在50州あるうちの13である。面積は約200万平方キロメートル…今のメキシコと同じくらいである。もしアメリカが独立当初のままの領土しか持っていなかったら、超大国にはならずに中堅国どまりだったかもしれない。
しかしながら、アメリカは、独立以来、急速な膨張政策を採ってきた。アメリカ独立当時の「アメリカ大陸」は、虫食い状態のようになっていた。西洋列強の植民地が割拠していたのだ。

 当時の北アメリカではイギリスがカナダ周辺に、フランスがルイジアナ地域に、スペインがメキシコ周辺に植民地を持っていた。以前はオランダも、ニューアムステルダム(今のニューヨーク)など各地に植民地を持っていたが、イギリスに駆逐された。こうした西欧諸国の割拠状態が、アメリカ合衆国に付け入る隙を与えた。というのは、当時、西欧諸国は、植民地の経営に疲れ始めていたからだ。植民地経営というのは、実はそう簡単ではない。
植民地経営の旨みは、貴重な物品、農作物などを安く収奪できるという点にある。しかし、目ぼしい輸出品が簡単に見つかるとは限らないし、農場経営などは儲けが出るまでには長い年月がかかる。その間には先住民との争いもあるので、軍隊を常備しておかなければならない。費用の割にはあまり儲からないことも多かったのだ。19世紀のアメリカ大陸には、植民地経営に行き詰まっていた地域がたくさんあった。アメリカはそれらを片っ端から買い漁ったわけである。

 1803年、独立から20年後、アメリカはフランスからルイジアナを購入した。214万平方キロメートル、1500万ドルである。これで、アメリカの面積は約2倍になったのである。そして1819年には、スペインからフロリダを購入した。なぜアメリカはそれほどまでに植民地を買い取ったのか。アメリカにとって、アメリカ大陸で新たに領土を獲得すれば、それはもはや「植民地」ではない。陸続きの「国土」が増えることになるのだ。

 つまり西欧諸国のように、植民地経営のためにお金や時間がかかるわけではない。国民が入植しさえすれば、そのまま国土として成り立つのだ。だからアメリカは西洋諸国が捨てていった植民地を買い取っていったわけだ。国土は広いほうがいい。たくさんの人口を養うことができ、国力が増すからだ。アメリカは、西欧の植民地だけでなく、インディアンからも、オハイオ、インディアナ、イリノイなどを買い漁った。もちろん土地取引に不慣れなインディアンと対等な商取引が行われたはずはなく、アメリカ政府がうまく言いくるめてインディアンの土地を巻き上げてしまったということであ
る。アメリカ政府は、インディアンの土地を1エーカー(約1200坪)1セントという破格の安値で買い取った。当時の1セントは現在の日本円にして12円程度である。インディアンは当然、反発したが、アメリカ政府は武力で押さえ込んだ。これが西部劇でよく見られる「白人とインディアンとの戦い」の実情である。アメリカ政府への反発から、インディアンたちは1812年の米英戦争では宿敵英国と同盟を結んでいる。

 さらに1845年に、アメリカはテキサスを併合してしまった。このテキサス併合にもいわくがある。テキサス州は、もともとメキシコの領土だった。1821年にスペインから独立したメキシコは、テキサス地方を開発するために、国籍を問わず入植をすすめた。すると、土地を持てないでいたアメリカ人たちが大挙して押し寄せた。テキサスに入植する際には、カトリックに改宗するなどの条件があったのだが、アメリカ人たちはそんなことにはお構いなしだった。当時、メキシコの国教はカトリックであり、アメリカ人はプロテスタントが多かったので、メキシコに入植する条件として、カトリックへの改宗を掲げていたのだ。しかし、プロテスタントのアメリカ人たちは、その条件を無視して、メキシコに入植していった。そして1936年には、テキサスはメキシコに対して独立を宣言してしまう。もちろんメキシコは、鎮圧部隊を派遣する。テキサス初代大統領サム・ヒューストン率いるテキサス軍に返り討ちにあってしまう。そして事実上の独立を果たしたテキサスは、アメリカ合国に併合してほしいとの打診をするのだ。アメリカとしては、テキサスが欲しいのはやまやまだったが、もしテキサスを併合すれば、メキシコと戦争になるかもしれない。なるべくならそれは避けたかったので、しばらくは遠慮していた。が、「テキサスを併合しろ」という世論が過熱し、合衆国政府は1845年、メキシコに特使を派遣して、若干の補償金を出すことを条件にテキサス領の併合を持ちかけた。しかしメキシコはこれを断る。するとすぐさま戦争に突入、アメリカはメキシコ領内まで攻め込み、1年足らずでメキシコシティーまで陥落させてしまった。

 この勝利でアメリカは、テキサス州のみならず、カリフォルニアとニューメキシコまで手に入れた。代価1500万ドルで割譲させたのである。メキシコの名がつく「ニューメキシコ」が、アメリカ領内にあるのはこのためである。この時点で、ほぼ現在のアメリカ領土の形ができ上がる。独立当時から比べれば4倍になった。そしてアメリカがカリフォルニアを手に入れた直後の1849年、金脈が発見されゴールドラッシュが起こる。このときにカリフォルニアを訪れた人々のことを「49年組(フォ1ティーナイナーズ)」と呼び、アメリカンフットボールのチーム名にもなっている。

つづく

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