合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己

合同会社Uluruの代表:山田勝己と申します。愛知県名古屋市が本拠地ですが、これまで東…

合同会社Uluru(ウルル) 山田勝己

合同会社Uluruの代表:山田勝己と申します。愛知県名古屋市が本拠地ですが、これまで東は埼玉、西は大阪まで呼んでいただき、児童虐待など子どもの人権問題、地雷被害の問題、海洋プラスチックなどSDGs関連をテーマに、人権教育・国際理解教育のファシリテーターをさせていただいております。

最近の記事

「木を植える」 イオンのサステナビリティ活動がすごい!

 私が担当している「人と自然環境」という授業で、イオンのサステナビリティ活動を題材にさせていただいた。イオンにはこれまでも個人的な買い物でお世話になってきたのだが、イオンがかなり丁寧で現実的なサステナビリティ活動がこんなにしっかりしているとは知らなかった。ぜひ多くの皆様に知っていただきたく、記事にすることにした。きっかけは4月27日(土)の朝日新聞でイオンの広告に目が留まったからだ。  私の大好きな谷川俊太郎さんがイオンの活動に対して「木を植える」というタイトルの詩を贈ってい

    • 世界で一番古い動物園はロンドン、日本では上野

       動物園の起源は古代エジプトをはじめとする各国の王侯貴族の娯楽や権利の象徴として個人庭園で動物をコレクションしていたことだそうだ。一般市民にも開かれた最古の動物園は、オーストリアのシェーンブルン動物園で、初めは王侯貴族の娯楽だったが、1765年に市民に公開されるようになった。また、フランス革命後のパリ動物園も一般公開の始まりだといわれている。  王侯貴族のコレクションを起源に持たない近代動物園の一歩目は、1828年に開設したイギリスのロンドン動物園だった。世界各地から動物を

      • 食品ロス・食品廃棄がもたらす地球沸騰化

         国連環境計画(UNEP)は「食品廃棄指標報告2024年版」を発表し、世界で1日10億食以上が廃棄されている一方で、およそ8億人が飢えに苦しんでいると指摘した。それによると、2022年に世界で廃棄された食品は10億5千万トン。家庭や飲食店、小売店などで食品の約5分の1が廃棄されている計算になる。加えて、世界の食品の13%は農場から食卓へ行く途中で廃棄される。合計すると食品の約3分の1が製造過程で捨てられている。  対照的に、世界の人口のおよそ3分の1は食料不安に直面し、7億

        • 名古屋を海外へ導いた渋澤栄一

           日本の資本主義の父とされ、新一万円札に肖像が採用された実業家渋澤栄一(1840一1931)。その渋澤が明治末期に団長を務めた民間の米国視察団「渡米実業団」について、名古屋から参加した伊藤祐民(のちの松坂屋初代社長、1878-1940)の回顧録が見つかったそうだ。過密日程の中で、先進国アメリカから懸命に学ぼうとした伊藤祐民青年の姿がにじむ。  まずは伊藤祐民の先祖について説明する。  1611(慶長16)年、 伊藤家初代祐道が清須越しにて、清須より名古屋本町へ移住。織田家の

        「木を植える」 イオンのサステナビリティ活動がすごい!

          GW西尾フィールドワーク② 西尾城と大給松平家

           西尾市の岩瀬文庫で開催されていた「船頭重吉の484日漂流ギネス記録パネル展」を見学した後、初めて西尾城を訪ねてみた。西尾城を幕末に治めていたのが、大給松平家だ。ちなみに松平家は18もあり、大給松平家は、徳川家康の高祖父松平長親の弟である松平乗元が初代となる。三河国加茂郡大給(現在の愛知県豊田市)を領したことから大給松平家と称する。以下の文章は、西尾市資料館の企画展「大給松平のお殿様と転封」というパンフレットを参考に書かせていただいた。  永禄7(1564)年、4代親乗が長

          GW西尾フィールドワーク② 西尾城と大給松平家

          GW西尾フィールドワーク① 世界最長漂流ギネス記録:小栗重吉

           4月に佐久島へのフィールドワークに出掛けた際、江戸末期に重吉という船頭が遭難に遭い、その漂流期間記録がギネスに認定されたと知った。重吉は佐久島の百姓善三郎の次男として生まれ、尾張半田村百姓庄兵衛の養子となった。29歳のときに廻船督乗丸の沖船頭として乗組員13名とともに師崎から江戸へ航行し、その帰路に伊豆子浦沖で暴風雨に会い、約17ヶ月間、太平洋を漂流した。イギリス船フォレスター号に救助され、アラスカ、カムチャッカを経て5年後に帰国を果たしたが、この間に船員は次々と亡くなり、

          有料
          390

          GW西尾フィールドワーク① 世界最長漂流ギネス記録:小栗…

          GW知多半島を巡る旅④ お江が暮らした大野城

           愛知県常滑市に大野城という城郭跡がある。知多半島の旅から名古屋に戻る途中で気まぐれに立ち寄ってみた。なんと二代将軍徳川秀忠の正室お江が再婚であったことを初めて知った。  浅井長政とお市の方の娘である3姉妹の末娘「江」が常滑市大野の領主・佐治一成に嫁いできたのは1583年のこと。父の佐治信方が永禄初年頃に信長の妹・犬を室に迎えていることから、一成と江は従妹であり織田一門格ということになる。父・信方は織田氏による伊勢長島攻めに従軍して戦死したため、幼少の一成が家督を相続する。

          GW知多半島を巡る旅④ お江が暮らした大野城

          GW知多半島を巡る旅③ 野間埼灯台に初登頂

           半月ほど前、私が現在勤務する専修高等学校の1年生の知多半島美浜でのオリエンテーション合宿にて、2日目のグループオリエンテーリングの最終目的地が野間灯台だった。知多半島を旅することの多い私にとっては、まさにシンボルであり、野間灯台の真っ白な雄姿を見ると海に来たなぁと感じられるスポットだ。昨年秋に妻と一緒に美浜町のイベントに参加した際、野間灯台に灯台守のカップルが就任されると聴いた。野間灯台の灯台守は平成元年にいなくなり、無人管理となっていた。美浜町の野間灯台を愛する方々の努力

          GW知多半島を巡る旅③ 野間埼灯台に初登頂

          GW知多半島を巡る旅② 岩屋寺奥之院

           以前から一人では何度か訪れているが、家族と一緒に来たのは初めてかもしれない。第2弾は長い長い歴史をもつ岩屋寺。  岩屋寺のホームページの情報によると、開基は相当古い。  草壁皇子と元明天皇の娘である元正天皇が即位された霊亀元(715)年に勅使として押小路中納言実直卿が都より派遣され、 後に東大寺建立に尽力され日本で最初に大僧正になられた行基菩薩が導師となり聖観音の開眼供養が行われたのが始まりと伝わっている。    大同元(805)年、弘法大師(空海)が唐の国から戻ってから

          GW知多半島を巡る旅② 岩屋寺奥之院

          GW知多半島を巡る旅① 時志観音

           ゴールデンウイーク…どこに出掛けても混雑は免れないと思い、あえて日帰りで家族4人の知多半島フィールドワークの旅を計画した。  第1弾は、以前妻とも母とも訪れたことのある時志観音へ。  もともとは慈雲山影源寺称し、永正元(1504)年、聖窒有賢和尚を開山として創立された真言宗のお寺だ。本尊の時志観音は十一面観音菩薩で、天長4(827)年、三河湾に浮かぶ佐久島の漁師の網にかかり島内に安置されていたのだが、疫病の流行に際し、佐久島の島守の夢枕に観音菩薩が現れ、発せられた光明が発

          GW知多半島を巡る旅① 時志観音

          ビキニ環礁での水爆実験が生んだゴジラ

           ビキニ環礁は、かつて日本委任統治下南洋諸島の1島で1945年8月15日のアメリカ合衆国への割譲以降、1946年7月1日のアメリカ合衆国による第二次世界大戦後の最初の核実験(原子爆弾実験)と、それ以降1958年まで23回の核実験(原子爆弾および水素爆弾)が行われた環礁である。現在はマーシャル諸島共和国に属する。  1946年7月の原子爆弾の実験が由来となって水着のビキニの名称が生まれた。1946年7月1日の原爆実験(クロスロード作戦)の直後の1946年7月5日にルイ・レアー

          ビキニ環礁での水爆実験が生んだゴジラ

          日本から世界を照らすソーラーランタン

           2009年2月、カンボジア地雷撤去キャンペーンという博多のNGOが主催するスタディツアーに参加した。私にとっては初めての途上国への訪問だったは、カンボジアの人々と関わる中ですぐに大好きな国になった。ツアーにツアー中に理事長から、名古屋で当NGOの団体の責任者を引き受けてほしいと依頼され、それ以来、カンボジアへの渡航を8回ほど経験してきた。  カンボジアは、都市部こそ電気や水道があるが、都市部からほんの2~3km離れると、インフラは未整備の状態である。電気も水道ももちろんガ

          有料
          390

          日本から世界を照らすソーラーランタン

          「メダカの学校」から思う

           体長3~4センチの可愛らしい日本メダカ。体が小さい割には目が大きく、その目が上のほうに付いているという理由から、「目高=めだか」というのがその名の由来だとのことだ。かつては、小川や田んぼでよく泳いでいたのに、最近はめっきり見かけなくなった。河川改修や農薬によって激減しているからだ。環境省のレッドデータリストで絶滅危惧種に分類されるほど、今では数を減らしている。  さて、そのメダカだが、”弱い人間ほど、集団行動をとりたがる”という意味で、「とかくメダカは群れたがる」などと

          有料
          390

          「メダカの学校」から思う

          マラリア根絶への道:かつて光源氏も感染?

           人類を長く苦しめてきた病、マラリア。いまも年間2億人以上が感染するなかで近年、ワクチンの開発が進み、根絶に向けた闘いを後押ししはじめた。一方で、気候変動の影響が、新たな課題にして立ちはだかっている。  アフリカのケニア西部ビタの港から小型ボートで15分ほどの距離にあるムファンガノ島は、アフリカ最大の湖・ビクトリア湖に浮かぶ島だ。八丈島ほどの面積に約2万5000人が暮らす。1月初め、島東部の公立病院セナ・ヘルスセンターを訪ねると、赤ちゃんを抱いた女性たちが予防接種の順番を待

          マラリア根絶への道:かつて光源氏も感染?

          地球の未来を守るグリーン・リカバリー

           世界中に深刻な打撃を与えた新型コロナウイルス感染症。コロナ禍からの回復に向けて、いま国際的な気運として高まっているのが「グリーン・リカバリー」と呼ばれる考え方だ。直訳すれば「緑の復興」だが、グリーンが意味するのは森林などの自然だけではない。「環境に配慮した取り組み全般を指し、エネルギーや交通、廃棄物など、幅広い領域を網羅します」と説くのは、国内外の環境開発協力に携わる海外環境協力センター(OECC)の理事長だ。政策としての取り組みの発端は、コロナ禍以前の欧米にさかのぼるとい

          地球の未来を守るグリーン・リカバリー

          『空海』ってこんなすごい人だったんだ!③

           奈良国立博物館での生誕1250年記念特別展「空海 ~密教のルーツとマンダラ世界~」の第3弾。  言い伝えでは、空海が42歳の時、弘仁6(815)年に四国霊場を開創したと言われている。有名な説の1つが、弟子の真済がの遺跡を遍歴したことから始まったとされるもの。空海が生きていた平安時代、四国は修行の地とされ、空海自身も四国で修行していた。空海の入定後(死後)、真済ら修行僧がその軌跡を追って旅を始めたのが、四国遍路の原型だという話がある。こうして時代を追うにつれて空海ゆかりの地

          『空海』ってこんなすごい人だったんだ!③